コメディ・ライト小説(新)

Re: 世界の隣に君を探して。 ( No.5 )
日時: 2024/07/01 21:38
名前: むう ◆CUadtRRWc6 (ID: X4YiGJ8J)

 その日の夜、わたしは自分の部屋で、机に向かって作業をした。
 広げられた大学ノートに、ゆっくりと鉛筆を走らせる。
 シャーペンの線が白い紙にスーッと流れて、ひとつの文字を形作る。

「よし、これで明日の発表は大丈夫」
 
 実は明日、日直当番をしなくちゃいけなくて。
 日直は花瓶の水替えや黒板の掃除のほかに、朝の会で三分間スピーチをすることになっているんだ。
 
 お題は自分で自由に決めていいことになっているけど、ぶっつけ本番でみんなの前で発表するのは結構難易度が高い。
 よって、大半の子は前日に発表することを紙にまとめておくの。
 
「でも、本当にこのテーマでいいのかな~。ありきたりって思われたらどうしよう」
 
 テーマに選んだのは、『自分の家族について』。
 お父さんやお母さんの好きなところや感謝していることを、文章で表す。
 本当は、自分の好きな小説について書けたら一番いいんだけど……。
 クラスメート三十人が全員、受け止めてくれるかって考えて、書くのを辞めた。

 ピコンッ。
 
 ふと、机の上に置いていた携帯の通知音が鳴る。
 見てみるとそれは、千晴くんからの連絡だった。
 公園でお互いの気持ちを伝えたあと、連絡先を交換したんだ。

【乙。只今、ゲーム中。今日こそ推しを引き当てる也】
 
 桜の花びらが描かれたイラストのアイコンから、緑色のふきだしが伸びてる。
 相変わらずの、ちょっぴり堅い文面に頬がゆるむ。
 そのコメントの奥に、確かな優しさを感じたから。

【頑張って! わたしは今、スピーチの原稿を書いてるよ!】
【スピーチか。自らの想いを伝えるというのは、難しいことだ。敵を作るかもしれないという恐怖と立ち向かわねばならん】
 
 敵を作るかもしれないという恐怖。
 本当のことを話して、嫌われたらどうしようという不安。
 確かに、自分に嘘をつかないということはものすごく難しい。

【応援してる。雛坂が頑張っていると、元気になれる。自分も頑張ろうって、勇気をもらえる】
 
 シュポンッという音と同時に送信されたコメント。
 言葉って不思議だ。温度も熱もないのに、それを読んだだけで心がポカポカする。
 
 わたしは連絡アプリを閉じ、検索バーにとあるサイトのURLを打ちこんだ。
 小説投稿サイト、ピュアフル。
 そのログイン画面をタップして、自分のメールアドレスとパスワードを入力した。
 
 不特定多数の人に、読んでもらうために書くんじゃない。
 たった一人、自分の小説を愛してくれた人のために、わたしは小説を書く。
 
 文字を打つのはやっぱりまだ怖いけれど、それでも。
 それが、わたしができる唯一の恩返しなのだとしたら。
 君は君のままでいいんだよって、伝えられるのだとしたら。
 
 わたしは一年ぶりに、止まっていた時間をそっと進めた。
 ただ一言、大切な人に『ありがとう』と伝えるために。

  
  ◆◇◆

 翌日。日直当番のため、いつもより四十分早く学校に来た。
 昇降口で靴をはきかえ、まず向かったのは職員室。
 学級日誌を先生から受け取って、授業の様子や感じたことを書かないといけないんだ。
 
 職員室は一階の廊下の突き当りにある。
 中に入ると、数人の先生が「おはよう」と返してくれた。朝礼前だからか、まだ十数人しか来ていない。

「日直当番?」
と声をかけてくれたのは、保健室の日渡先生。
 肩まで伸びた艶やかな黒髪と、白い白衣が印象的な女の先生なんだ。

「はい、そうです」
とわたしが言うと、日渡先生は「ふふふ」と上品に笑った。
 
「雛坂さん、確か一年四組だったわよね」
「え? はい、そうですけど、それがなにか?」
「彼が、雛坂さんに会いたいって」
 
 ……彼?
 首をかしげるわたしに、日渡先生は何も答えず、ただのんびりとほほ笑んだ。
 
 と、ガラガラガラッと入口の扉が開いて、廊下から一人の生徒が中に入ってくる。
 その子の顔に目線を移したわたしは、目と口を大きく開けてしまった。
 だって、だってだってだって。

「……千晴くん、学校に来たの⁉」
 
 そこにいるのは間違いなく、あの千晴くんだったから。
 学校指定のセーターは若干丈が大きくて、手首が袖に隠れてる。その上に重ねられたブレザーはシワひとつなくて、着慣れてないのが分かった。
 
「ど、どうして。人が怖いから、学校には行かないって……」
「俺も、自分が学校に行ける日が来るなんて思わなかった」
 
 わたしの指摘に、千晴くんは照れくさそうにはにかんだ。
 そして、そろりと視線を下に向ける。話始めるときの、彼のクセだった。
 
「世の中には、嫌なやつが沢山いて。そいつらばっかり気にしていたけど。中には、雛坂みたいなやつも、ちゃんといるって気づいたから。だから来た」
 
 そう言いつつも、千晴くんの右足は震えていて。
 集団いじめを受けていた過去を持つ彼は、多分人との関りをものすごく警戒してる。初めて会ったときも、なかなか目線が合わなかったし、声もかぼそかったっけ。
 
 それでも勇気を出して、この学校という場所に来てくれたんだ。
 わたしに会うために、重たい腰を起こして、トラウマに立ち向かって、今日この場所に来てくれたんだ。

「一時間だけ教室に行って、それ以降は保健室にいる。でも、絶対、逃げたりしないから」

 自分の世界とも、自分の周りにいる人たちとも、ちゃんと向き合ってみたいんだと千晴くんは言った。
 
 すぐ目の前にいるのに、なんだかその時だけ彼が遠い世界にいるように感じて。
 ……わたしは学級日誌を持つ指に、グッと力をこめたんだ。
 
 ――自分も、そろそろ勇気を出さなければいけないんじゃないかって。

  
  ◆◇◆
 
 朝の会開始まで残り五分。
 教室にいる生徒の人数も増えて、教室はガヤガヤと騒がしかった。
 
 いつもは好きな芸能人の話とか、夜やっているアニメの話で盛り上がっているけれど、今日みんなが話しているのはその話題じゃない。
 
「ねえねえ、鵜飼くんって兄弟いるの?」
「なに小出身?」
「好きな女子のタイプってある?」
 
 最後尾の席に座る千晴くんは、多くのクラスメートに囲まれていた。
 矢継ぎ早に質問されて、ギョッと体をのけぞらしたりするけれど、質問には一つ一つ正確に答えてる。
 
 「好きな漫画は?」と聞かれて、「えっとぉ!」とテンションが上がっちゃうのが、千晴くんらしいなとわたしは思った。
 人が怖いだけで、人が嫌いなわけじゃないんだよね。
 
「へぇ、鵜飼ってああいう感じなんだ。なんかイメージと違ったわ」
 横の席の美織ちゃんが頬杖をつきながら言う。
 
「普通に良い子だね、あいつ。若干オタク気質だけど」
「だからずっと言ってたじゃん。千晴くんは、本当は優しくて明るい子だって」
 
 わたしは机に置いたノートの表紙を閉じ、美織ちゃんに向き合った。
 大事なことを話すときは、きちんと相手の顔を見なくちゃいけない。
 小さいとき、お母さんにそう教わったから。

「美織ちゃん。わたしね、小説を書くのが好きなの」
 
 息を吐いて、喉の奥から、抑えていた本音を音に乗せる。
 つかえて取れなかった大事なものを、しっかりと相手に伝える。

「昔、そのことで友達に嫌なことをされたことがあって。それで怖くて、ずっと言えなかった。親友なのに、信じたいのに、ずっとずっと嘘をついてた」
 
 一つ二つ言葉にする度、押し殺していたものが滲む。
 服の袖で拭っても、絶えずそれは溢れていく。

「本当にごめんっ、わたしっ、本当はっ……、嘘、つきたくなくて……っ。でも、なんか、素直になれなくて……っ」
 
 美織ちゃんは、「はあ」と肩の力を抜いた。
「……星那ちゃんに信用されないなんて、あたしもまだまだだなあ」
 
 そして、うつむくわたしの肩に、そっと両手を置く。
 肩から伝わる体温は温かくて、優しかった。
 
「大丈夫だよ、星那ちゃん。星那ちゃんが好きなものは、好きって思い続ける限り、そう簡単に壊れたりしないから」
 
 美織ちゃんはわたしの席をチラリと横目で見る。
 机には、スピーチの原稿が書かれたノートと、沢山の消しゴムのカスがあった。
   
「だから思いっきり、ぶつけておいでよ! 星那ちゃん!」

  ◆◇◆

 先生に呼ばれて、わたしは自分の席から立ち上がり、教卓へ向かう。
 昨日書いた原稿は、机の引き出しにしまってある。
 
 家族のことを話すのももちろんいいことだけど、わたしが本当に語りたいのはそれ
じゃない。
 わたしが、本当に話したいのは……。
 
 教卓の横に辿り着いたわたしは、大きく深呼吸をして胸をそらした。
 大丈夫、大丈夫。なにも、怖くなんてない。
 
 ゆっくりと前を見る。様々なクラスメートと視線が合う。
 千晴くんの席へ目線をやると、彼はこっそり右手でVサインを作ってて。
 
 言葉のやり取りではないけれど、なぜかわたしには、彼が「大丈夫だよ」と言っている気がして。
 それだけで、また少し泣きそうになってしまった。

「それでは、これから日直のスピーチを始めます。今日のスピーチは、雛坂星那さんです。それでは雛坂さん、お願いします」
 
 担任の佐原先生にうながされ、わたしはその場で一礼。
 そして、口を開け、閉じ、胸に手を当てて、呼吸を整えて、もう一度今度は確実に、くちびるを開いた。
 
「わたしは、小説を書くことが好きです」
 
 小説を書いていることを友達から馬鹿にされたとき。
 もしかすると、自分は周りと違う人間なのかなって、悲しくなった。
 
 自分がおかしいから、だからいつもうまく行かなくて、結果的に避けられるんだって。好きなことを好きだというのは、恥ずかしいことなんだって。
 でも、そんなことはなかったんだ。

「小説を書く自分が好きです。でも、昔は自分のことが大嫌いで、自分の作ったものが大嫌いでした。気持ち悪いと言われ、除け者にされ、わたしはいつからか、その言葉を信じるようになっていました。でも、ある日気づいたんです」

 多分みんな、気づかないだけで、確かにこの世界で輝いてる。
 その輝きを、無意識に相手へと送っている。
 その微かな光に人は感動し、笑い、泣き、手を伸ばしてくれるんだ。
 多分それが、繋がるってことなんだ。

「わたしは、この世界で生きていていいんだって、ここにいていいんだって、気づいたんです」
 
 暗かった世界に、ふと足を運んでくれた君のおかげで。
 わたしの景色は少しずつ鮮やかになっていった。
 
 きっと、わたしはこれからも、この世界の隣に君を探す。
 高らかに笑う君を、明るいだけではない不器用な君を。
 君と過ごしたその日その日を、忘れずに取っておくために。

「わたしは、この世界が大好きです。今日も、明日も、この世界を前を向いて歩いていきたいです」
 
 ゆっくりと顔を上げる。
 言いたいことは全て言い切った。
 だけど、もし自分の趣味を周りに受け入れてもらえなかったら……。

 そのとき。ふいに教室の前から、パチパチと拍手が聞こえた。
 ハッとして顔を音のする方に向ける。教室の前方に座る生徒が、ニコニコしながら手を打ってる。

 ううん、前方だけじゃない。彼らの後ろにいる子たちも、千晴くんも、わたしを見つめながら拍手を送っていた。

 その音は、徐々に大きくなる。
 拍手の音は、教室の空気を震わせ、静かにわたしの体を包んだのでした。
   
 【第一章 完結】