コメディ・ライト小説(新)
- day20 摩天楼 ( No.20 )
- 日時: 2024/08/21 19:02
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Eay7YDdj)
夢の埼玉には、東京のスカイツリーを超える塔があると言う。その名も埼玉タワー。高さなんと八三五メートル。正真正銘、スカイツリー超えの塔である。
スカイツリー以上の高発色な電灯で七色に輝き、そのきらびやかさはスカイツリーを超える。流石埼玉。現実の世界の埼玉には叶えられない東京超えをこうも安安と。
私達はその埼玉タワーの頂上から世界を見下ろしている。足場の下の方は七色に発光しているらしいが、登ってしまうと残念ながらその光は見えない。代わりに摩天楼からの景色と言えば、と言った見事な夜景が見渡せる。星とネオンが入り混じってキラキラした世界。米粒のように小さな車が道路を流れていく。ランプがゆっくり動くのが連なっていて、光る蛇みたいだ。
見上げる空には星と月。いつもより空が近くにあるから、それらの輝きを掴めそうにすら感じた。手を伸ばす。掌に触れる虚空を掴んだところでなんて虚しさ。
イカロスだっけ。神話に登場する、太陽を目指して蝋で固めた翼を羽ばたかせたのは。夜じゃ太陽は見えない。しかし、月になら。私達の翼を溶かしてしまう灼熱はなりを潜めた。今の私達になら、月だって掴めるかもしれなかった。
「ま、肝心の翼が無いんだけどね」
ぼやく。隣で景色を楽しんでいたセーラー服の女の子は、私の声に反応して、こっちを見た。夜風が彼女の髪を攫う。それを煩わしそうに手で押さえつつ、彼女こと海月(みつく)が口を開いた。
「翼なんかなくたって、私達は飛べるよ」
言いながら、海月はフェンスに脚をかける。八百メートルもあるここから落ちることを想像してゾッとした。私は咄嗟に海月の手を掴む。
「馬鹿、死ぬよ」
「じゃあ死のうよ」
面食らって、言葉を失った。海月は微笑んでいる。
「空も地上もキラキラしてて、光の海に挟まれているみたい。ふふ、こんな景色、見覚えあるね?」
「夜空と溶けた夜空に挟まれた日のこと?」
「そうそう。あれは綺麗だったね。周り全部がキラキラしていた。沢山の光に包まれて、私もお星様になれたみたいだったな」
嬉しそうな横顔に、同じ気持ちになれないことが罪悪感。こんなんだから、私はひとりなんだ。自覚して、痛みを覚える。
「糖子。世界はこんなに綺麗だよ。一緒に飛び込んでみよう?」
「私、は」
死ぬのが怖い? 生きていたい? 嗚呼違う。死ぬのは怖い。だけど、同じくらい生きることも怖いこと。
死んでしまいたい? 生きていたくない? それは。半分違って、半分違わない。
私は死にたくなかったし、生きていたくなかった。だから。
世界を見渡した。キラキラ。キラキラ。星と月の優しい輝き。ネオンのギラついた激しい輝き。別々の光の海はただ、美しかった。
犬吠埼を思い出す。崖から見る波の激しさ。海の青さ。見事な絶景で、そこは自殺の名所だという。人は、死ぬ前に美しいものを見ていたい。どうせ死ぬなら、美しいものに包まれて死んでしまいたい。そういうものらしい。
摩天楼の景色は申し分無いほど美しい。園に見を投じてしまえたら。
フェンスに脚をかける。二人、手を繋ぎながらそこに立った。
海月の顔を見る。彼女は薄く微笑んでいた。悲しそうだった。どうして最期に、そんな顔をするのだろう。
「海月」
「なあに?」
「いこう」
「うん」
私達はキラキラの中へ飛び込んだ。浮遊感に臓器が揺れて、強い風の中私達は落ちていく。それでも海月の手を離さなかった。
イカロスのように飛べはしなかったけれど、蝋の翼がなくたって私達は飛んでいける。それを証明している気がした。
おちて、おちて、おちていく中、海月の笑顔だけが側にあった。ずっと悲しそうに笑っている。その哀切の正体を知らないまま、私達は光の海に消える。