コメディ・ライト小説(新)
- day24 朝凪 ( No.24 )
- 日時: 2024/08/28 19:29
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Eay7YDdj)
「糖子ちゃん、夏休みだからっていつまでもゴロゴロゴロゴロ、ゴロゴロと! 朝です! お散歩に行きましょーっ」
と、夏休みにも関わらずセーラー服の女に叩き起こされた午前四時。四時起きはゴロゴロの内に入らないよ。私が十時くらいまで起きて来なかったらそうやって起こしてくれ。
眠い目を擦りながらやってきたのは海岸だった。家、埼玉の住宅街にあるから、近くに海なんか無いはずなのだけど。ああそっか、埼玉湾か、これ。
誰もいない浜辺を二人、下駄で散歩する。いつの間にか私達は浴衣に着替えていた。ずっとセーラー服だった海月(みつく)も、金魚柄の浴衣に赤い帯。髪は浴衣に似合うようにしっかりとヘアアレンジをして結われている。私自身も青と紫を基調とした花柄の浴衣になっていた。帯の黄色がよく映える。
「折角夏なのに浴衣を着ないなんて勿体無い。だけど涼しい時間に着ないと熱くて仕方ない。というわけで、早朝に浴衣で散歩。理にかなってるでしょ」
「まあ、夏らしくていいかもね」
砂浜を下駄で歩くと、偶に下駄の隙間に砂が入ってきて煩わしかったが。それも風情と思うことにしよう。
四時。早朝の群青に染まった空を薄明と呼ぶらしい。それを海月に教えると、物知りだと感心された。
「逆に夕方のことは暮れた空だから、薄暮と言うんだよ」
「へえ。糖子と居ると知らない言葉を知れて面白い」
浴衣の袖を揺らして、海月が笑いかけてくる。その笑顔がむず痒かった。
「でも海月。あまり興味のなさそうな人の前でこういう知識を披露しないほうがいいよ。こういう知識はオタク臭いって馬鹿にされるだけなんだ」
「そ? 私は知るの楽しいけどなあ」
「海月みたいな人ばっかじゃないの」
「ふうん」
海月はふと立ち止まって、波打ち際に視線を落とした。彼女の視線を追うと、青く透き通った、リボンのようなものが落ちている。波に運ばれて、打ち上げられたのだろう。海月がそこに屈んで、じっくり観察しようとしている。
「触っちゃ駄目だからね、それ。カツオノエボシ。猛毒のくらげだよ」
「げ! 怖い怖い!」
私の注意を聞いて、海月は慌てて逃げ出した。その後ろ姿を笑って、私も彼女のあとを駆ける。浴衣は走りづらい。二人してちまちまと小さな歩幅で海岸を走った。
薄明の空が、いつの間にか昇り始めた朝陽で色付いている。水平線の雲が鮮やかな紫に染まる。朝焼けだ。
「起こしてくれてありがとうね、海月」
「え?」
「私、この時間の景色好きだ。空気と何処か透き通っていて、透明で、肺の中すら透けるみたい」
「なにそれ? 肺が透けたら糖子、そのまま透明になって消えちゃいそう」
「あは、朝焼けに溶けて消えちゃえたら……最高だね」
ぴたり。海月が足を止める。私の方を見る。神妙な眼差しが私を射抜いた。
「そんなこと言わないでよ、糖子」
海月がちょっと泣きそうな顔をしていた。そんな顔されるなんて思ってなかったから、私はおどおどしてしまう。
「じょ、冗談」
「…………」
「海月。ごめんってば」
海月は私に近寄ってきて、浴衣の裾を摘む。私を見つめる目が、潤んでいる。嗚呼、私、こんなに大切に思われているんだ。自覚して、胸の内が何か温かいもので満たされていくのを感じる。
でも卑怯だな、と思う。海月はまるで死にたいみたいに振る舞うのに。私の浴衣を摘む指に巻かれた絆創膏も、その先の手首を覆う包帯も。生きていたくないを形にした証明なのに。海月は私には消えてほしくないなんて思うんだ。
私だって、海月に消えてほしくないって思ってるのに。ずるいよ。
言わなかったけど、言いたかった。そんな言葉を静かに飲み込んで。慰めようと海月の頭を撫でた。
ふと、今の時間、なんの風も吹いていないってことに気がついた。
「朝凪」
「え? なに?」
「朝方に海風と陸風が交差して、一時無風になる時間がある。そういう現象を朝凪と言うの。夕方に同じ現象が起こったら夕凪」
「…………」
「私、根暗で、陰キャで、オタクだから、そういう知識結構あるの。そんなことで良ければ、これからも海月に教えていくよ。だから海月もずっと、側にいてよね」
「…………」
「ずっと同じ夢を見続けようね」