コメディ・ライト小説(新)
- day28 ヘッドフォン ( No.28 )
- 日時: 2024/09/01 21:47
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Eay7YDdj)
学校の屋上にいる。青空が近い。入道雲は私の心情なんか知らずに悠々と流れていく。手を伸ばせば掴めそうなくらい近い。そう思って伸ばした手は、何も掴まない。蝉時雨が煩かった。
私はいつも、何も掴めなかった。欲しいものは何一つ、手に入らない。この指の隙間をするりと抜け落ちて行く。水のように、そもそも掴めない物だったみたいに、私の元を離れていく。
だからもう、諦めちゃいなよ。誰かの声がする。死より麗しいものは見つからない。生きていくことは苦しいこと。だからほら、そのフェンスを乗り越えて。何もできないあなたにもそれくらいのことはできるでしょう。
それくらいのこと。
フェンスに足をかける。着地した空間の狭さに、息が震えた。パラペットの上に立って見下ろす地面は、何度めだろう。
遠い地面に焦がれて、手足が引き攣るように震えて、私はちゃんと怖かったのだと知る。死ぬことが? 生きることでしょう。どっちかな。もう死んじゃえばいいじゃんって、誰かの声がする。そのくせに怖いなんて今更。臆病者。そういう自分のことが、嫌いだったんだよな。改めて自覚。蝉時雨が煩い。
暗く濁っていくような、胸の内。落ちたってどうせ上手く行かない。落ちることすら上手にできないのなら、私には何ができるのだろう。何もできないのだろう。私には何もできない。上手な話ができない。だから、友達を笑わせることもできない。つまらない女だから、そもそも友達なんかできない。家の中に居場所を作ることもできない。地味で特に何かに秀でているわけでもない子供を、親は喜ばない。できない。なにも、できないのだ。
「なにも。私には、なにも、」
不意に耳元に何かが触れた。柔らかいものが耳を覆って、頭部にすっぽり収まる。なんだこれ、と触れてみて、すぐにわかる。ヘッドフォンだ。
「雑音は全部、聞かなくていいよ」
背後に誰かがいて、柔らかく私の胴に手を回してきた。聞き馴染みのある、女の子の声。
「そういうわけには行かない。いつか全部、向き合わなければならない。それは私もよくわかってるの」
「だけど、今は聞かなくていいよ。糖子は疲れちゃったんだよ」
「…………」
「なにも聞かなくていい。目を閉じて。全部忘れちゃおうよ」
「優しいね、貴女は」
「…………」
「海月(みつく)は優しいけど、都合が良すぎるくらいだよ」
「…………」
「でも、ありがとう。あともうちょっと、このまま。何も聞こえなくて、何も見なくていい。このままでいたいね」
「うん」
遠くにあるアスファルト。そこに叩きつけられて、中身をぶちまける。それでよかったのに、私は結局なにもしないまま。
吹き付ける風が心地良い。