コメディ・ライト小説(新)
- day8 雷雨 ( No.8 )
- 日時: 2024/07/09 19:43
- 名前: 今際 夜喪 (ID: Eay7YDdj)
誰もいない教室を出て昇降口へ。上履きとローファーを履き替えて、硝子戸をスライドさせた。
まあ、教室の窓からも見えていたからわかっていたのだが、外は酷い土砂降りだった。うわー、と思わず声を漏らして空を見上げた。重い鈍色に覆われて、太陽の気配なんて何処にも無い。どんよりとした空を見ていたら、こちらまでどんよりとしてくるような気がした。
遠くからゴロゴロ、と雷鳴が聞こえる。途端、心臓がキュッと跳ねて体が縮み上がった。
落雷。何処に落ちたのかはわからないが、そう遠くない騒音。思わず悲鳴を漏らす。
「雷、怖いの?」
いつの間にか隣に居たセーラー服の少女が、嘲笑うような調子で訊ねてくる。イラッときて睨みつけた。海月(みつく)だ。いつも通り、その白い肌は包帯や湿布に絆創膏が覆い隠している。傘は持っていない。ならば、私と同じ状況のようだ。
煽られた苛立ちのまま、私は早口で捲し立てる。
「は? 煩いんだけど。生物の本能なんですけど。私達がアウストラロピテクスのときから刷り込まれた本能。コンクリートジャングルで飼いならされた都会人は本能なんか忘れてるんでしょうね、田舎者のことは放っといて下さい」
「あは、めっちゃ喋る。それで、どうするの。雷止むの待つ? 私、早く帰りたいんだけど」
「先帰っていいよ。まあ、私達二人とも傘を持ってないのにどうやって帰るつもりなのか、知らないけどね」
落雷。もう一度小さく悲鳴を上げて、耳を塞いだ。
海月は私の様子を観察しながら、何やら黙り込んでいる。傘を持たない私達がどうするべきか、考えているのだろう。
「糖子はさ、私と二人でいるの、楽しい?」
「何を藪からスティックに。まあ……独りよりは、いいかなって思うこともあるよ」
「そっか。ふふっ、そうだよね!」
そうやって嬉しそうに言って、海月は突然私の腕を掴んだ。そうして強引に引っ張る。
「えっ、え、ま、嘘でしょ? ちょっ、海月、海月! 待って、」
雨空の下へ。海月は駆け出して行く。私の腕を引いて。
途端、襲いかかる雨粒の冷たさ。容赦のない降雨が髪を、肌を、服を濡らしていく。
「うわーっ」
冷たくて声を上げた。開けた口に水が入る。腕を引く力に抵抗できなくて、酷い雨の町並みを海月と二人、駆け抜けた。
全身が重たく湿っていく。濡れて肌に張り付く髪の毛と服の不快感は予想通りだけど、経験したことのないもの。当然だ、経験したくないもん。
大きな水溜りを踏みつけてバシャッと飛沫が跳ねるも、あまり気にならなかった。気にする必要もないほど靴は浸水していたし、いつの間にか一歩一歩グチョグチョと水音を立てている。
「あははっ、私達、水に落ちたみたい!」
「馬鹿、海月の馬鹿!」
誰もいない住宅路を駆け抜けて、声を張る。雨音に負けないように。
そのうち走り疲れた私達は立ち止まった。はあ、はあと呼吸を整えて。走って火照る身体を雨が冷やしていく。心臓が内側から胸を叩く。
「馬鹿、海月、ホント馬鹿! びっしょびしょだよもう!」
雨で張り付いた前髪を掻き上げて怒鳴る。怒っている私に大して、海月はなんだか楽しそうだった。
「あはは、はー、走った走った。どう? これがコンクリートジャングルに飼いならされた女の所業だよ」
呆れて何も言えなかった。
「馬鹿みたい。馬鹿みたいだけど、なんだか雨も雷も気にならなくなってきたかも。雷、克服したかな?」
「まじ? 最高じゃん」
雷鳴、落雷、騒音。かなり近くに落ちたようで、私はギャッと声を上げて海月に抱きついた。湿って冷たい服越しでも、体温が伝わる。ほんのり温かい。
海月は雷が怖い私を見るのが楽しいのか、愉快そうに笑った。
「あっはは、あ、口に雨入った、美味しい!」
「うわ、何言ってんのあんた。美味しいわけ無いじゃん、ホント馬鹿」
海月から離れると、濡れた包帯の隙間から痛々しい切り傷が覗いた。直ぐに目を逸らす。なんとなく、見てはならないと思ったから。
私の挙動に気付かない海月は、空を見上げて言う。
「でもさ、一緒に雨の中走るってなんか、すごい最高の気分じゃない?」
「……そんな訳ない、最悪の気分だよ」
そう言いながら、私も笑みが隠せなかった。