コメディ・ライト小説(新)
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- 雨を見た夏、私は逃げ出した
- 日時: 2019/07/16 13:11
- 名前: 扇子 (ID: 1PrAEpZb)
命の危機を感じたのかもしれない。
なにか得たの知れないものが私を誘おうとしたのかもしれない。
勢いあまってかもしれない。
ただ、私は、そのとき、こう思った。
「ここから離れなければ」
- Re: 雨を見た夏、私は逃げ出した ( No.1 )
- 日時: 2019/07/16 13:25
- 名前: 扇子 (ID: 1PrAEpZb)
01
私は母子家庭だった。いつから父がいなくなったのかは分からないが、最後に父と一緒に過ごしたのは家族で旅行にいったラベンダー畑のよく見える宿だった。私は父の膝の上に座り、その土地の名産品であるレモンを使ったシャーベットアイスを食べながら、父とともに窓の向こうのラベンダー畑を見つめていた。
「ねえ、よく見えないね」
「そうだな。もう夜だからな。明日の朝、じっくり見ればいいさ」
「うん。写真いっぱいとろうね」
「ああ。とってあげるよ。思い出にね」
そう言う父の顔は、どこか寂しげで、どこか遠くを見つめるようだった。
幼い私は、少しだけ不思議に感じながら、でもやっぱりすぐにレモンのアイスに興味が向いてそっちに集中してしまった。
たしか、そのころ、私の家族は私を含めて6人いた。
母親と父親、そして上に姉が一人、下に弟が2人いた。
そのときも、一番下の弟が好き勝手に暴れて姉に怒られていた気がする。
もう一人の弟は、ゲームに夢中で自分の世界につかっていた。
母は、明日行く観光名所を旅行雑誌を読みながらアクセスなどを確認していた。
普通の家族。だった。
今思えば、普通の家族だった。あの頃は。
その後父は、いなくなった。
あの旅行からどれだけ時間が経ってからかは分からないけれど、父がいなくなる頃の私たちの家庭の中は、少しバランスが崩れていた。
一番上の姉は母と口を聞かなくなった。
弟は、一番下の弟を連れて、外に遊びに行こうと手を引いて家から出ていくことが多くなった。
父は、たしか----―
「名弓ちゃん」
私の肩が拒絶反応を起こすように震えてしまった。
振り返るまでに時間がかかった。
高校の制服のスカートのしわをギュッと握りしめて、息をのむように、ゆっくりと後ろで私の名を呼んだ男性を見た。
「やあ、名弓ちゃん。やっぱりそうだった。今帰り?」
30代前半と思われるその男性は、優しそうな人間を演じるように声とか雰囲気とかを気にしながら私の顔をのぞきこむ。
私服であろう白いジャケットと白いズボン。中には黒いV字のシャツを着ており、全体的に白が特徴のその男は、ややその場所では目立っていた。
ここは、大学や高校が密集した地域の最寄り駅であり、下校中の高校生たちの群れの中に入り込んできたその男とその男に声をかけられた私という構図からして、なにやら怪しく見える。
私は周りを気にするように目線をそらして、「…そう、です」と遠慮がちに返答をする。
男性は察したらしく、群れの中から出ていき、駅前のベンチのほうへ歩んでいく。
男性が私に背を向けているうちに、下校する学生の群れに紛れて姿を消そうかと迷った。
けれど、その判断をしている最中に、男性は振り返ってしまい、こちらに手招きをするのだった。
男性は優しげに笑って、手招きをしている。
私は鳥肌が立ちそうな思いだった。
けれど、誘導されるように、引き寄せられるように、そちらへ足を進めてしまった。
男性が自販機で買ってきた缶コーヒーを受け取ったが最後、私は完全にそこに腰を下ろす羽目になり、男性と微妙な距離を開けてベンチに並んで座っていた。
男性が無糖のコーヒーを飲みだし、口から缶が離れたとき、話を始めた。
「家が、決まりそうなんだ」
私の目が見開く。少し時間がたってから、男性のほうを向いた。
男性はこちらを笑顔で見ていた。
それがなぜだか、目線を離したくなるほど、怖かった。
「タワーマンションなんだけどね、キッチンは広いし、お風呂にはテレビがついてる。名弓ちゃんの部屋ももちろんある」
男性の中には私に求める反応があった。
私はすぐに察知して、求められる反応を演じた。
「すご。早く住みたいです」
私はいかにも欲しいものを買うよう親にねだる子供のごとく、眉と目を近づけて口角を上げて声色も高く、物欲しそうな顔でそう言った。
反応を確認すると、男性はニコッと笑って「まあ、もうすぐだから、待っててね」と言い、またコーヒーを飲みだした。
「雪代さんにも今日会って、内観の資料を見せる予定なんだ。名弓ちゃんにも今度見せるね。いやぁ、雪代さんがキッチンはエル字型が良いって言うから相当探してさぁ、でもこうやって良い物件に巡り合えたし、きっと喜ぶよね」
「そうですね」と相槌を打ちながら、私は心の中でこの場所から、この男性から離れるための言い訳を考えていた。
「あの、田宮さん…」
「ところで名弓ちゃん、近頃帰りが遅いけど、もしかして彼氏でもできた?」
私の全神経に、信号が出た。
信号が、赤に点滅している。
男性の表情は、笑っていなかった。
私のこの人が怖い。
この人が家に来てから、毎晩毎晩いなくなった家族のことを思う。
彼らについていけばよかった、と後悔する。
母の連れてきた恋人・田宮陽春。
仕事の都合で一週間に一度しか家に帰ってこない母は、田宮を私と母が住む家に住まわせ、そこで早く父親と娘として慣れ親しんでもらうためだと、私と田宮はかれこれ2年以上一緒に住んでいる----。
- Re: 雨を見た夏、私は逃げ出した ( No.2 )
- 日時: 2019/07/16 14:32
- 名前: 扇子 (ID: 1PrAEpZb)
02
高校3年生になった私は、進路先をここから遠い県の大学からいくつか絞っていた。だが、母は私が遠くへ行くことを許しておらず、彼女の許容範囲内の大学の中で選ぶよう言われていた。そのため、進路希望調査の紙をもらうたびに、私は母が納得する大学の名前を書き、それを母に見せたあと、自分で書き換えて提出していた。
うちの高校の進路面談は親の都合を考えて参加は任意であったため、そこも母の帰らない日などを確認して調整した上、担任と母の間で間違った情報交換がされないよう仕込んでいた。
ただ、この歳の6月、事態が急変した。
「えっ、いま、なんて…」
私はケータイを握りしめたまま、自分の額から冷や汗が落ちていくのを感じた。電話口の向こうにいる相手は、そんな私の様子など知る由もなく、淡々と話をつづけた。
『だから、陽君を私の代わりに面談に参加させるって言ったの』
母は当然のごとく私にそう言い張り、何やらズルズルと即席麺をすするような音を出した。
「またカップ麺?」
『今日はカレー味』
「もっとちゃんとしたの食べなよ」
『そんなこと分かってるわよ。だけど、時間がねえ、明日も早いし』
ため息が聞こえた。
同時に私も、ため息をついた。
『とにかく、陽君にも言ってあるから。面談の時期になったら教えてあげなさいよ』
「いや、でもさ…」
『なによ』
「あの人、戸籍上父親でもないんだし…」
恐る恐るそう言うと、母の返答に時間がかかった。
『いずれは戸籍上の父親になるわ。それに今だって、父と娘のように暮らしてるじゃない。どう?2年も一緒に住んで、もう慣れたでしょ?』
----ああ、この人は、なにも知らない。
「わからない」
力のない声でそう言った。
母は「まあ、難しいわよね。わかるわ」と深刻に考えている様子もなさそうに、言葉だけはそれらしく喋った。
私は腹立たしくなり、電話を切りたくなった。
『あなたももう少し、陽君と向かい合ったほうがいいわ』
「……。ねえ、ママ。ママはどうしてあの人と…」
『あぁ、馴れ初め?今度時間があるときに話してあげる。ちょっと明日も早いし、今日はもう切るわよ』
母が切る前に、即座に私のほうからブチっと切った。
さすがにそういう切り方をしたせいで、向こうにも苛立ちが伝わったかもしれない。
でも、それでもいいやと思う。そう思わせるぐらい、させていいんだ。
私はケータイを着ていたパーカーのポケットにしまい、じっと空を見た。
星が無数に光っていた。
珍しくこの町で、こんなにも星が見える。
6月に入ったし、もうすぐ梅雨入りの時期だ。
しばらく、星を見ることも少なくなると思えば、今見ておくに越したことはないだろう。
ベランダの手すりに肘をついて、両の掌に顔をのせ、ボーっとした。
「はあ」
声に出して言ってみた。
それだけで、だいぶ気が楽になれるような気がした。
耳を澄ますと、部屋の奥のほうからシャワーの音が聞こえる。
私は「あ、もうすぐ出るな」と予感し、ベランダから部屋に入った。
雑誌を適当にとって、テレビをつけ、バラエティ番組にかえた。
しばらくして、リビングのドアが開く音がして、田宮陽春が「あぁ、いい湯だった」と髪の毛をタオルで包みながらにこやかに入ってきた。
私は雑誌に食い入っているふりをして、目線を向けなかった。
田宮は私の座るソファの後ろのほうに立ち、テレビでやっているバラエティ番組を見てそこに映る若手女優の女の子を指さした。
「ね、知ってる?この子、名弓ちゃんと同い年なんだよ」
「…へ、へぇ」
それだけ答えて、また、雑誌に目線を移し、そっちに集中するふりをした。
田宮がどんな顔をしているから知らないが、私は緊張感と不安感を入り混じらせながら、ゆっくりとページをめくった。
「雪代さんが、今度3人で食事に行こうって」
田宮は私に言葉を投げかけることをやめなかった。
「いいですね」
声色を気にしながら、自分の緊張感が伝わらないように発言する。
「でも、3人で食事するより、名弓ちゃんと二人でご飯食べるほうが俺は楽しいけどね」
田宮の声が、耳元で聞こえる。
ソファにを手をつき、上体を前かがみに、田宮は私の横から顔を覗き込んでいた。
背筋が震えるような恐怖に近かった。
別に、この人に危害を及ばされたわけではない。
悪い言葉を言われたわけではない。
そんなことは、一緒に暮らしてから、一度もなかった。
けれど、この男が、醸し出す、どこか気色悪い空気と首元を冷たい手で絞められるような冷えた空気が、私はいつも怖くて仕方がなかった。
何よりも、母の前と私の前で、彼の人格が明らかに変わることが、私の中の不安感を増幅させた。
表情、声色、口調。
一定のリズムで進んでいたなにかが、たまに不規則に進み始めるかのように、田宮は突然に違う空気を私の前で醸し出す。
母は、知らない。
この人は、危ない。
そして、この人と一緒に過ごす私は、今日も自分の身の安全を祈るように、息を殺すように、自室で寝静まるのだろう。
- Re: 雨を見た夏、私は逃げ出した ( No.3 )
- 日時: 2019/07/17 10:48
- 名前: 扇子 (ID: 1PrAEpZb)
03
高校は自宅の最寄り駅から8駅先の場所にある。
電車に乗って、窓の向こうを見つめながら、自宅アパートが少しずつ離れていく瞬間が、私にとっては一日の中で一番に安心する時間であり、気を紛らわせることのできる時間だった。
「橘ー」
背中をたたかれたのと同時に、窓の映る、背後の人物と目が合う。
私は振り返って、同じ制服を着た少女に「北見」と相手の名を呼んだ。
北見かおりは高校でできた友達であり、高校3年目でようやく同じクラスになれた。
同じ電車を使うため、一緒の時間帯に乗り合わせることが多い。
「ねえ、今日、どうする?」
「どうするって?」
「あれ、忘れちゃったの?先週から約束してたでしょ。今日、桑島先輩がこっちに来るからみんなで集まろうって言ってた話よ。明日は土日だし」
「あぁ…」
言われるまで忘れていた。私と北見が入学当初から仲良くしていた先輩の一人である桑島先輩。私が、進路先として希望している大学に通っているため、いろいろと進路相談にのってもらう予定だった。
「どうせだったら、桑島先輩の実家にみんなで泊まろうって話なんだけど」
「泊りかあ」
「あんたんち、厳しいもんね」
北見がすぐに察してくれた。北見には、家庭のことを少しだけ打ち明けている。
母親が仕事の都合でたまにしか家に帰らないこと。母親の愛人と二人で暮らしていること。
北見は、相談にのってくれていたとき、静かに相槌を打って、私の気持ちを理解してくれた。
きっとこのさき、なにかが起きたとしたら、私は北見のもとへ助けを求めることになると思う。
そのくらいに、彼女には信頼を寄せていた。
「言ってみる。私はみんなと泊まりたいから」
「うん。もし駄目って言われたらあたしが直談判しにいってやるから」
「はは。北見そういうの強そう」
「口喧嘩で負けたことはないから」
二人でその後も話をしていると、気づけば高校の最寄りの駅についた。
駅を出ると、一気に学生の群れが広がっていく。
駅から10分ほど歩いて、ようやく学校に到着し、私と北見は教室へ入っていく。
その日一日、平凡に授業を受け、友達と喋り、お昼ごはんは学食で仲の良い後輩も交えて食事を楽しみ、田宮のことや母のことが頭によぎることもなく平和に過ごしていた。
だからこそ、学校にいる必要がない時間がくることが、いつも私に不安を覚えさせていた。
「6月に進路についてまた面談を行う。今までは親御さんの参加は任意にしてたが、できるだけ今回からは参加してもらうようお願いしたい。どうしても都合がつかないという場合は、それは考慮する。その場合は、先生に連絡をしてほしい」
担任がそう言って、面談の希望日のアンケートを配り始めた。
前から順に回ってくるその紙が、私には、恐ろしく感じた。
前の生徒が私のほうへ振り返ってアンケートの紙をまわしてきた。
だが、私の手が動かなかった。
「橘さん?」
前の男子生徒が怪訝そうにこちらの表情を伺っていた。
「あ、ごめん」
固唾を飲んで、ぎこちなく紙を受け取り、自分の分をとると、残りを後ろの生徒に回した。
私は、紙を四回にわたって織ると、丁寧に折り曲げた部分を線に沿って、なぞった。
(今回は、どう騙したらいいだろう)
相手は今回、母ではない。田宮なのだ。
- Re: 雨を見た夏、私は逃げ出した ( No.4 )
- 日時: 2019/07/19 10:47
- 名前: 扇子 (ID: 1PrAEpZb)
04
日曜日、母が自宅に帰ってきた。帰ってくるなり、娘の私ではなく、恋人の田宮陽春にキラキラした笑顔で抱き着いてきた。
田宮は遠慮がちに照れ笑いをしながら「名弓ちゃんが見てますよ」と首元に巻き付く母の両手を優しく離した。
「いいじゃない。ね、名弓」
「どうぞ勝手に」
母が恋人といちゃつく姿なんて見飽きている。ただ、それにしても自分の年齢を自覚しているのか、自分は青春時代に戻ったとでも勘違いしているのか、娘たる私への配慮がない。
一回り以上離れた年下の男と人目を気にせずラブラブしている姿を見るのは、何となく自分の母親をどこか他人のように感じてしまう。
疎外感に似ている気がする。
私という人間を、田宮といるときの母は、排除しているように思った。
三人で食事に行く、映画に行く、ドライブに行く。
それらは三人という建前なだけで、実際は必然的に2対1の構図を作られることになり、私は母が若い男の前で色気づく姿を数メートル後ろ、または彼女の横で見ることになる。
そんな姿を見ていると、いつもよぎるのが、父の顔。姉や弟たちのこと。
あの頃の母は、平等に家族ひとりひとりを愛していて、母親としての責務を全うしていたように思う。
悲しくなって、母と田宮の姿を、立ち止ってボーっと見ることもあった。
たまに、頬を涙が伝うときもあった。
母の目に私は映っていない。田宮と交際を始めてからの母は、私となんとなく視点を合わせてこない。
「ランチのお店。12時に予約してるから。戻ってきたところだけど、すぐ出るわよ」
そう言って、自室に閉じこもって、着替えを始めた。
母がいそいそと準備をする中、リビングでは私と田宮がソファの両端に座っていた。
会話をしたくなかったため、また逃げ場であるテレビをつけようとリモコンに手を伸ばした時、田宮から「何か俺にいうことあるんじゃない?」と穏やかな声が聞こえた。
どこからか、冷や汗がしたたりそうな、緊迫感が漂う。
けれど、私は落ち着いた。息を吸い込み、次に息を吐きだすときに「なにも」と自然に、けれど強い芯を持って、そう発言した。
この男には、隙を見せることが一番危ない。
田宮と私の視線が交差する----。
一瞬、私の心の奥底をとらえようと目を細めた気がした。
だが、田宮は次の瞬間ケロッと笑顔になる。
「そうか」
にこやかに笑いながら立ち上がる。
私は油断することなく、彼が立ち上がりリビングから出ていくまでの足音を慎重に耳に入れていた。
手に取ったチャンネル。数字の部分を適当に押した。
「1」「1」「0」
何度も押した。
不安なとき、このリビングのソファに座って、私はリモコンのボタンで気を休めている。
といっても、ただ数字のボタンを押しているだけだ。
きっとチャンネルでなく、私用の携帯電話を使えば、そのボタンを押した後、警察に繋がる。
けれど、警察に相談できるほどの確固たる被害の証拠は一つもない。
だから私はこうして、届くはずのないSOSをこの小さな家で、このたよりないリモコンから送っている。
いつか誰かに、このSOSが届いたら…。
私をこの居心地の悪い空間から解放してくれるだろうか。
「名弓ー、出るわよー」
玄関のほうから、母の声が聞こえる。
リモコンをテーブルの上に戻すと、私は重たい腰を上げて、動き出した。
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