コメディ・ライト小説(新)

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縦幅25mの海
日時: 2023/08/18 16:11
名前: 梓海瑠夏 (ID: fbqYC.qT)


 あの青に身を沈められたら。
 毎年、プールの授業が来るたびに思っていた。
 同級生の子が水をかき分けてあがる飛沫。日光を反射してキラキラと輝く水面。
 全てが羨ましくて恨めしい。
 私は一刻も早く水に入りたいのに。
 あの小さな海の中に入りたいのに。
 どうして……
 どうして、私の足は動いてくれないのだろう。
 水なんて怖くないのに。

「莉瑠ー。今日午前中授業だから、もう帰ろうよ。いつまでもプール見てないでさー。」
 沙羅が急かす。この後彼氏との予定があるとかなんだとかで、忙しいそうだ。
 確かにもう下校時刻から二十分は過ぎている。
 でも、今日くらいしかプールを見ることはできないのだ。
「うーん……私はもう少しいるよ。先に帰ってて。」
「そう?わかった。莉瑠も早く帰んなよ。熱中症になるからね。」
「はいはい。」
 沙羅がいなくなったことを確認すると、私は水に手を沈めた。
 ――いつだったか。まだ幼かった頃の夏、家族と海に行った。
 その日、初めて嗅ぐ潮の匂いに、私は期待と興奮を感じていた。
「莉瑠、あんたは浮き輪いるでしょ。膨らませて来るから、ここで待ってなさい。」
「いやーだ!莉瑠も入るもん!おねーちゃんだけ入るの、ずるい!」
「わがまま言わないの!溺れたら大変でしょ。いいから、待ってて。」
 小さなため息をついて、数メートル先の海を見た。
 姉が笑いながら父に水をかけている。父もやり返す。それを繰り返していた。
「いいなあ……。おかーさん、遅いなあ……」
 その時だ。嘘みたいに真っ青な貝殻を見つけたのだ。
「あおいろ!」
 青色が好きだった私は、反射的に吸い込まれた。
 おぼつかない足取りで貝殻に近づく。すると、海に貝殻が飲まれた。
「待ってえ!」
 私は必死で海に入った。後ろから母が何か言っているのにも気づかず。
 すると、すぐ先に貝殻を見つけた。
 やっとの思いで貝殻を掴んだら、数十メートル後ろに父と姉がいた。
 (おねーちゃんもおとーさんも、いつの間にあっちにいっちゃったんだろう?)
 そう思った時には遅かった。私の体は海に沈み、口の中は塩の味で埋め尽くされた。
 その後どうなったのかは覚えていない。ただ、父も母も真っ青な顔をして私を抱えていたことと、それ以降は一度たりとも海にもプールにも入っていないことは確かだった。
 不思議と、私にとって水は怖いものとして認識されるようになり、水を前にすると体が固まるようになった。
 今は足以外は動いてくれるので、水にまったく触れられないわけじゃない。でも、泳ぐことはできない。きっと、もう一生。
 手に水がまとわりつく。冷たくて気持ちいい。
「ここに入ったら、さぞ気持ちがいいだろうなあ……」
「沙羅みたいに、綺麗に泳げたらなあ……」
「そうやなあ……」
「本当、私の足が動けばいいのに……って、誰!?」
 となりには、いつの間にか茶髪の男子が座っていた。
 なぜか水着。
「何しとん?」
 何しとん、って……
「な、何って、プールを見てるのよ。」
「何で?」
「何でって、そりゃ……」
 私は入れないからよ。
 これ以上話すと面倒臭くなりそうなので、私は黙っていた。
「そういうあなたは、水着姿で何をしてるの?今日は午前中授業でしょ?」
「見たらわかるやろ。泳ぎに来たんや。」
 泳ぎにきた?今?ここに?
「……見るか?」
 キラキラと私を見る彼に、私は頷きざるを得なかった。
 彼は音を立てずに入水すると、はあっと息を吸って潜った。
 するとどうだろう。彼は驚くべきスピードで水の中を駆けていき、瞬く間に驚く私の前に辿り着いた。
「どや、速かったろ?」
「う、うん……すっごく速かった。」
 口をパクパクさせながら私が答えると、彼は満足そうに笑った。
「授業中も泳ぐんやけど、時間が足りへんから。先生らは、俺が一人で延々と泳ぐからいうて、いつまでも泳がせてもらえん。」
「だから、午前中授業の時はこっそり泳いでる。」
 確かに、こんな速さで泳いでいれば、周りは圧倒されてしまうだろう。
 でも……
「泳げるのに、泳がせてもらえないなんて、すごく勿体ないわね。」
 私は泳ぎたくても泳げない。技術どうこうの問題以前に。
 遠い目をした私を、彼は覗き込んだ。
「泳ぐの下手なん?」
「いや、下手っていうか……わからない。」
「わからない?」
「泳いだことなんて、私にはないから。小さい時に溺れて以来、一回も海にもプールにも入ってない。水を前にしちゃうと、体が固まっちゃって……」
 自分で言って、鼻の奥がつんと痛くなる。
「どうしようもないくらい入りたいのに、水なんてちっとも怖くないのに、何で、何で動いてくれないんだろうって……」
 気づけば泣き出していた。地面に涙がポツポツと落ちる。
 泣きながら、幼い頃にあった事件や、それから今までのことを、全部吐き出していた。
 その間、彼は黙って聞いていた。
 私が落ち着くと、彼はやっと口を開いた。
「……こんなこと、無責任に言っていいかわからんけど。話を聞く限り、あんたはいつか泳げるようになる。しかも、かなり上手く。」
「え……?」
「あんた、根性強そうやん。しかも、小さい時にいつの間にか父ちゃんも姉ちゃんも追い抜かして行ったんやろ?それは才能や。俺と同じ。」
 俺と同じって……自分で言う?
 ふふっと笑ってしまった。
「あなた、名前なんて言うの?」
「俺か?俺は|海乃星那《うみのせな》。みんなからは『|海星《ヒトデ》』って呼ばれてるで。そういうあんたは?」
「私は|天川莉瑠《あまかわりる》。莉瑠って呼んで。」
 彼のオープンな雰囲気に、私もすっかり打ち解けていた。
「ほな、莉瑠。また会おうな。」
「うん、また。」
 ――いつかは泳げるようになる。
 社交辞令かもしれないけれど、誰かにそう言われたことがたまらなく嬉しかった。
 それから、校舎で彼を見かけるたびに話す仲となり、私たちは親睦を深めていった。
 とうとう夏休みに入る直前となり、クラスでは夏課題の減量を求める声が次々にあがっていた。
「莉瑠ー、呼び出し!隣のクラスの…えーっと、海乃さんから!」
 ヒトデが?なんの用だろう。
「よう、莉瑠。急やけどさ、住所、教えてくれん?」
「いいけど、何で?」
「暑中見舞い送りたいねん。俺の住所も教えるから。」
 そのためにわざわざ来てくれたのか…
 私とヒトデは、お互いに住所を書いた紙を交換した。
「じゃあな、莉瑠!夏休み中も元気でなー!また夏休み明けに!」
「うん、じゃあ…」
 ヒトデの住所が書いてあるそれを、私は握りしめていた。

 夏休み中、クラスの子たちに海水浴に誘われたりもしたが、全て断った。
 断ったあと、みんなは私がプールに一度も入っていないことを陰で指摘し始めた。沙羅以外は。
 私だって入りたい。入れるならね。
 それより、ヒトデからの暑中見舞いが楽しみで楽しみで、毎日三回ほどポストの中を覗き込み、母に揶揄われていた。
「莉瑠ー。珍しいわね。誰か彼氏でもいるの?」
「そんなの、いないわよ!」
 ついムキになってしまう。ヒトデはそんなんじゃない。
 きっとヒトデだってそうだ。
 ところが、ヒトデからの暑中見舞いは立秋になっても来なかった。
 初めは、彼のことだから暑中見舞いと残暑見舞いを間違えたのだろうと思っていた。
 しびれを切らした私は、とうとう自分からヒトデ宛に葉書を書いた。
『来週の月曜、公民館のプールで待ってる。』
 と。
 ヒトデは葉書もよこさず、プールにも顔を出さなかった。
 私は腹が立ってきた。
 何なのよ。自分から送りたいと行ったくせに。無視しなくたっていいじゃない。
 ……結局、ヒトデもみんなと同じだったのかな…
 夏休みが明けると、私はすぐにヒトデのクラスへ向かった。
「ヒトデ…じゃなかった。海乃星那、いる?」
「あー、海乃なら、地元の大阪に七月中に帰ったらしいよ。」
 …え?
 帰ったの?大阪に?
 そういえば、よく引越しを繰り返してると言っていた。
 それに、帰ったなら全ての辻褄が合う。
 合うけど…
 この怒りや失望を向けるものが無くなっちゃったじゃない。
 私は吸い込まれるようにプールの方へ行った。
 誰も泳いでいないせいか、水面に虫が浮かんだプール。
 ヒトデに会った時には、こんなんじゃなかった。
 変わってしまったんだ。
 …また、ヒトデに会いたい。
 どうしたら見つけてくれるだろうか。
 驚くほど速く泳いだヒトデの姿が目に浮かぶ。
 その瞬間、閃いた。
 でも、それは…とても私には…
 いや、やるんだ。
 できないんじゃない。やるんだ。
 全国水泳大会で、ヒトデに会えるように。
 私も、出場する。
 そう決心すると、鉛のように重たかった足が一歩進んだ。


「莉瑠、おめでとー!優勝は逃したけど、準優勝だよぉーっ!」
「ありがと、沙羅。応援してくれた沙羅のおかげだよ。でも、私、会いに行かなきゃ行けない人がいるから。」
 地元の放送局にインタビューを受けている優勝者。水に濡れた茶色い髪が、キラキラと輝いている。
 彼はこちらに気づくと、インタビューを中断させ、私の下へ走った。
 そして、再会を噛み締めるかのように抱き合った。
「……おめでとう、莉瑠。」
 顔は見えないが、声が湿っている。
「うん。あなたもおめでとう。本当に久しぶりだね。私、ずっとあなたを追いかけてたんだから。あなたが先に進んじゃう前に、届くようにって…」
「そんなの、いくらでも待つよ。俺の推理、大正解だったやろ。ほんま、頑張ったなあ…」
 私の頭に、彼の大きな手が覆い被さる。
「ねえ、今度会えない?ここの近くの、『縦幅が25mの海』で待ってるから。」
「おう。楽しみにしとるわ。じゃあな、天川莉瑠。」
「ちょ、何でフルネーム…」
「まさか、俺の名前忘れたとかはないよなぁ?」
「当たり前でしょ。またね、海乃星那。」


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