コメディ・ライト小説(新)
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 駆けて駆けてつかまえて
- 日時: 2025/05/01 05:48
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
「──待って!」
少しずつ小さくなる背中に、私は思わず力の限り叫んだ。
その声に一瞬肩を振るわせた相手は反射的に振り返り、目を見開いていた。
私の姿を、彼の黒く澄んだ瞳がとらえる。吸い込まれそうなほど濁りのないきれいな目。
「……なに?」
彼の一言にハッとする。
呼び止めたのは自分だった。見惚れている場合ではない。
「あ、あの……その、えっと」
続く言葉がうまく紡げず。しどろもどろになってしまう。
別に伝えたいことがなかったわけじゃない。内容もちゃんとある。
ただ、はっきりと告げる勇気と根性を持ち合わせていない。
それも今、急遽、この交差点の上で作り上げる気持ちなんて。
「──あっ、交差点!」
そうだ、ここは立派な公共道路。老若男女問わず誰もが利用する公の場。
さらにその道路上に大きく描かれたボーダーの線に、まさにその上に立っている私たち。
思考が追いついたときにはすでに手遅れ。
「すみませんーっ!」
右にも左にも迫りくる乗用車、トラックに頭を下げて踵を返す。
高校生にもなって幼児レベルの大失態を犯すなんて。
恥ずかしさのあまり全速力で駆け出していた。
「えっ、ちょっ──」
驚いた彼が私の腕を掴もうと手を伸ばす。
振り払うでもなく、その手は私の制服をかすめて届かず、みるみる離れていく。
走り出したら止められない。私ってそういうやつなんだよな──。
- Re: 駆けて駆けてつかまえて ( No.1 )
- 日時: 2025/05/01 06:12
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
何事にもそうだった。
別に走るのが好きとか運動神経がいいわけでもない。
むしろ走るのなんか好きじゃないし、運動神経はよくも悪くもない普通。
走ることで私は、消したい記憶や逃れたい現実から目を背けてきた。
嫌な出来事全てを振り払うための手段なのである。
それに走っている間は、誰にも顔を覗かれないし誰の支配下でもない、自由だから。
でもそれを“逃げ”’ととらえる人は一定数存在する。
私が走ること、走ってその場を放棄することを脱走、離脱、つまり敗北と断定する人が。
確かにそれはそうかもしれない。私は無責任な負け犬なのか。
都合が悪くなるとすぐ逃げる。忍耐力がない。楽な方へ翻す。
今まで幾度となく繰り返してきた。
たくさんの感情を振り払ってきた。
泣き笑いで手を振る少女、突然の別れを口にした途端──。
激しく言い争う男女の声、ガラスが割れる音がして──。
にこやかに笑いかけられ、すっと頭上に手が伸びてきた瞬間──。
ぼろぼろの布切れと骨組みだけになったそれを見捨てて大雨の中──。
全部全部、決してしまいたい過去。失態と失望と絶望と全部。
なかったことにしてしまいたい。なくしてほしい。
自分の過ちだけでなく、自分が受けてきた好意も行為も。
溢れ出る大粒の雫が頬を伝った。
垂れた液体をすすると鼻が詰まって息ができない。
走っている間だけ、この汚い顔を誰にも見られずに済むのだ。
「──おい、待てって!」
突然背後から力強く肩を掴まれた。
私は驚いてとっさに振り返る。
全速力の自分に追いついてきた人は初めてだった。
「え、誰……」
しかし、相手の顔を見るなり衝撃を受ける。
思い浮かべた顔ではなかったからだ。
- Re: 駆けて駆けてつかまえて ( No.2 )
- 日時: 2025/05/01 06:40
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
不満げに私を見下ろしている相手は、知った顔ではない。
陽光に透けて赤くきらめく髪、切れ長の瞳、瞳の色はやや茶が混じった色味。
肩で息をしながら、薄い唇がゆっくりと動く。
「──なんで走るの」
荒い気遣いは私も同じで、呼吸を整えるのに少々時間を要する。
その間に、彼越しに奥からもう1人黒髪の少年がこちらに向かって走ってきた。
近づいてくるにつれて、その少年こそが私の思い浮かべた人物であることがわかった。
「望月さん!」
少年は私の存在に気づいて安堵の表情を浮かべた。
そして走るのをやめて、息を荒くしながら歩いてくる。
額からは一筋の汗が滴る。見ると目の前の彼も汗だくだ。
「なんで、追いかけてきたの?」
私は思わず2人に問いかけた。
純粋に、単純に、不思議に思ったのだ。
「僕は、会話の途中で望月さんが急に走り出したから」
「いや、だってそれは恥ずかしいから……」
どうやらこの人には私の逃走が理解できないようだった。
いつも自信満々で、何事にも前向きで全力な彼らしい。
「……ていうか、この人誰?」
私たちの間を挟み、無言で突っ立つ謎の人物にツッコまざるを得ない状況。
彼の問いに、私も肩をすくめる。
私たちと同じ制服を着ているということは、同じ高校の生徒であることは察せるけども。
「橘くんも知らない人……」
彼の交友関係の広さを持っても当てはまらない人物とは一体。
- Re: 駆けて駆けてつかまえて ( No.3 )
- 日時: 2025/05/01 07:08
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
「もしかして、先輩すか」
突然目の前の彼が口を開いた。
開口一番、それ?
いや、一番じゃない、それより前に彼は何か発言していたような……。
「なんで走ってるのかと思ったら恥ずかしいって余計疑問符」
「そ、そうだった……」
その質問も初対面の相手に最初に聞くことじゃない気がするけど。
私は苦笑しつつ、無表情になった相手を上目遣いで観察する。
「俺は1年の守屋」
「1年……」
この落ち着き、貫禄、大人っぽさでまさかの後輩とは。
まあ、1年生だったら自分たちが知らないのも無理はない。
しかしながら、なんだか急に自分が情けなくなってくる。
突然走り出したら男子2人に捕まえられて不審がられて。
「2年の橘 海斗です。守屋くん驚かせてごめんね」
橘くんが丁寧に謝っている。私の過失なのに、申し訳ない……。
私も首を縮めて頭を下げる。
「ごめんなさい……」
「別にいいけど、てか握った腕痛くなかった?」
パッと手を離して、私の腕をさすり心配してくれる守屋くん。天使か。
ふわふわの自然体なヘアスタイルがより天使感を増強させる。
「──馴れ馴れしいね、君」
「え?」
瞬時に目前に現れ、私たちの間に入ったかと思えば、そんな橘くんが守屋くんの腕をさっと掴む。
掴まれた腕を一瞥、守屋くんはゆっくりと橘くんに顔を向けた。
橘くんの表情はこちらからは確認できないけども、対する守屋くんの相手を見据えるその表情に息を呑む。
やわらかいそよ風を止めるほどの、ただならぬ緊張感が走る。
「──っだ!」
耐えかねた私は隙をついてまた駆け出す。
息が詰まる状況からとりあえず抜け出したい。
- Re: 駆けて駆けてつかまえて ( No.4 )
- 日時: 2025/05/01 07:30
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
しかし今度は失敗した。
「同じ手には引っかからないよ」
「……逃げ足早いな」
前進しないと思ったら、2人の男子に両腕をとらえられていた。
自分より大柄な相手、しかも2人の体力にはさすがに敵うまい。
観念してまた2人の方に向き直る。
「すみません……」
首をすくめて謝罪する。
「あんた、名前は?」
「……君1年だよね」
守屋くんの自由な発言のその物言いに素早いツッコミが入る。
橘くんが引っかかっていたのはそこだったのか。
「先輩に対していきなりタメ口って誰に教わったの?」
「あ?」
橘くんの口調も内容も一見親切な問いに、若干の恐怖を覚える。
しかしそれに対する守屋くんのとぼけたような返事にも肝を冷やす。
2人の間の緊張感が半端じゃないんだって……。
「先輩っていっても1歳しか違わないじゃん」
まあ、そりゃそうなんだけどね……。
なんでこんな風習があるのか、なんて言い出したら規模が広すぎるよ。
「──確かに」
ん?
今橘くん普通に納得したよね、なんの嫌味もなく実直に。
「そうだよね、たった1年早く生まれただけで敬語使えって言う方がナンセンスだよね。ごめんごめん、なんかすっきりしたよ。先輩だっていばる価値俺ないもん、タメ口の方が親近感湧いていいかも」
ま、前向き……。そういうところが彼の長所であり武器である。
一気に距離詰めちゃうんだよね。だから友達も多い。
羨ましいそのコミュニケーション能力。見習いたい。
「──で? あんた名前何なの?」
いや、そこスルー!?
守屋くんはもう私の顔しか見ていない。
まるで橘くんの発言の存在もなかったことに。
ていうか今の私のこのぐちゃぐちゃな顔を直視しないで……。
- Re: 駆けて駆けてつかまえて ( No.5 )
- 日時: 2025/05/01 08:01
- 名前: ふみ (ID: wsTJH6tA)
「望月、結です……」
「ゆい? びっくりした、一緒かと思った……」
名前を聞いてそうつぶやいた守屋くん。
さっと顔を上げて、手のひらを出してくる。
「俺は類、名前似ててびっくりした」
この手のひらは握手を求めているのか……?
目の前に差し出された細い手をまじまじと見つめる。
指が長くて全体的にスマートな手。私とは大違いだ……。
「守屋類くん、よろしくどうぞ……」
手を握り返すことはできず、ぎこちないながらもそう笑顔で言うことが精一杯だった。
語尾は消え入りそうだったけども。
「じゃあ、帰ろっか」
なぜ隣に並ぶ……。
満面の笑みなのが表情を見なくてもひしひしと伝わってきて思わず顔を背ける。
打って変わってどんな対応? 苦手かもしれないその距離感といい……。
すると目の前に伸びてきた手、その手には青いハンカチ。
驚いて顔を上げると、その手の主は橘くんだった。
「顔、拭きな」
「ぅえっ、あっ……ありがとう」
人様のハンカチで恐れ多いと思う反面、気遣いやら人柄の滲み出た優しさに胸が熱くなるような嬉しさが溢れてきた。
そういう人だってわかっているけども、その優しさや心遣いが自分にも向けられることに感銘を受けた。
自分を人間と認識してもらったこと、それも橘くんからの恩恵を受ける資格が少しはあると認定してもらったような振る舞いに対しての嬉しさだった。
「言いかけてたこと、よかったら聞かせてほしい」
受け取ったハンカチで涙を拭き、鼻をかんでいたら橘くんがそっとささやくように言った。
片目を開いて顔を盗み見ると、彼の表情は至って真剣だった。
話を聞く覚悟、受け止める覚悟を決めたように。
逃げてばかりの私も、覚悟を決めなくちゃいけない……。
Page:1