コメディ・ライト小説(新)
■漢字にルビが振れるようになりました!使用方法は漢字のよみがなを半角かっこで括るだけ。
入力例)鳴(な)かぬなら 鳴(な)くまでまとう 不如帰(ホトトギス)
- 301号室のタイムカプセル
- 日時: 2026/02/01 17:03
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
一回の投稿で終わらせようとしたのですが、勢い余って7000字を越してしまいました。最近は、僕の仕事がだいぶ落ち着いてきたというのもあり、投稿頻度がかなり増えています。前から投稿したいと考えていたので、その時に書いていたものも投稿しているので、最近のものとは少し口調などが違う可能性があります。
前編と後編(といっても、二章ずつなので大した長さでもない)に分けているので、ぜひ最後まで読んでください。10分もかからないと思います。(話の内容からして無理かもしれませんが)
ほかにも短編の小説は何作品か書いているので、ぜひそちらも読んでみてください。
連載物は気が乗らないので、かなり間隔があいてしまうのですが、何週に一度かチェックしてみてください。
皆さんの閲覧が僕にとってのモチベーションになります。(当たり前ですが)
というわけで、前編から投稿していきます!
- Re: 301号室のタイムカプセル 前編 ( No.1 )
- 日時: 2026/02/01 17:08
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第1章:引き出しの奥の遺言
築三十五年、西日がやけに長く差し込む「あけぼの荘」301号室。
この部屋に越してきて二週間、都内のIT企業で働く佐伯(さえき)は、いまだに前の住人が残していった「生活の澱」に悩まされていた。備え付けのクローゼットの建付けは悪く、換気扇を回せば老人の咳払いのような異音がする。
「……なんだ、これ」
その日、彼はデスクにしようと思っていた備え付けの引き出しの奥に、違和感を覚えた。引き出しを力任せに引き抜くと、レールと背板の隙間に、一通の封筒が挟まっていた。
経年劣化で茶褐色に変色した封筒。表書きには、丸みを帯びた、それでいてどこか冷たさを感じさせる筆致でこう記されていた。
『10年後の自分への手紙』
佐伯は、剥がれかけた壁紙を見渡した。10年前、この部屋には誰が住んでいたのだろう。
本来なら管理会社に届けるか、そのままゴミ箱に放り込むべき代物だ。しかし、代わり映えのしない日々に辟易していた彼は、吸い寄せられるように封を指先でなぞった。指先に伝わる紙のざらつきが、誰かの秘め事を開封する背徳感を煽る。
中から現れたのは、便箋一枚。そこには、短いメッセージが綴られていた。
もしこれを読んでいるなら、あの計画は成功したということだね。警察も、あいつも、結局何も気づかなかった。約束通り、取り分を隠しておいたよ。庭のツツジの下を確認して。301号室の私より。
心臓の鼓動が、不自然な早さで肋骨を叩いた。「計画」「警察」「取り分」。
穏やかでない単語が、黄ばんだ紙の上で不穏に躍っている。10年前の住人は、何か重大な事件に関与していたのか。
佐伯は窓の外を見下ろした。
あけぼの荘の裏庭には、手入れの行き届かない植え込みがあり、そこには手紙にある通り、季節外れのツツジが数株、黒ずんだ葉を茂らせていた。
「……バカバカしい。誰かのいたずらだ」
口ではそう言いつつも、佐伯の体はすでに動いていた。彼は物入れから小さな園芸用スコップを取り出し、スリッパのまま裏庭へと降りた。
時刻は午後六時。辺りは薄暗く、アパートの窓からは夕食の支度をする匂いが漂ってくる。日常の風景の中で、自分だけが非日常の「穴」を掘っているという高揚感が、彼の判断力を狂わせていた。
三番目のツツジの根元。湿った土を三十センチほど掘り返したとき、硬い手応えがあった。
泥にまみれたビニール袋。その中には、10年前の――正確には2016年の日付が刻まれた新聞紙に包まれた「何か」が入っていた。
佐伯は震える手で新聞紙を剥がした。
出てきたのは、二つの品だった。
一つは、重厚な真鍮製の、古びた**「鍵」。
もう一つは、表紙も中身も、一文字も書かれていない「真っ白なノート」**。
「鍵と、ノート……?」
金目のもの、例えば強盗の隠し金のようなものを期待していた佐伯は、拍子抜けした。だが、真っ白なノートをパラパラと捲った瞬間、彼は背筋に氷を押し当てられたような感覚に陥った。
ノートの最後の一ページにだけ、インクがまだ新しい、鮮明な文字でこう書かれていたからだ。
『見つかっちゃった。』
佐伯は息を呑み、周囲を見回した。
アパートの窓が、無数の巨大な目のように自分を見下ろしている。そのうちの一つ、隣の302号室のカーテンが、ほんのわずかに揺れた気がした。
その頃、隣の302号室では、住人の久保(くぼ)が、窓の隙間から佐伯の様子をじっと観察していた。
久保は、口元に歪な笑みを浮かべていた。
「よし。食いついた」
久保は、売れないミステリー作家志望の男だった。彼の日常は、あまりにも退屈で、清潔で、残酷なほど無風だった。誰かの生活をかき乱し、その反応を観察することだけが、彼にとっての「創作」であり、唯一の生の実感だった。
あの手紙も、あの鍵も、すべては久保が仕込んだフェイクだ。
301号室が空室になった隙に忍び込み、引き出しの奥に手紙を仕込み、夜中に庭を掘り返して「それらしいガラクタ」を埋めておいたのだ。佐伯という平凡な男が、偽りの謎に振り回され、滑稽に踊り狂う姿を、久保は最高の特等席で眺めていた。
「さあ、佐伯さん。次はどの扉にその鍵を差し込むのかな?」
久保はノートに書き込んだ。――ターゲットは鍵を回収。実験はフェーズ2へ移行する。
しかし、久保はまだ気づいていなかった。
自分が適当な骨董品屋で見繕って埋めたはずの「古びた鍵」が、実はこのアパートに実在する、**「決して開けてはならない隠し扉」**の形と、寸分違わず一致しているということに。
第2章:一致する鍵穴
その夜、佐伯は一睡もできなかった。
机の上に置かれた真鍮の鍵と、真っ白なノート。それらが放つ異様な存在感が、六畳一間の安アパートを、まるで見知らぬ迷宮のように変えていた。
「見つかっちゃった」
ノートの末尾に記されたあの五文字が、網膜に焼き付いて離れない。誰が書いたのか。10年前の住人か、それとも――。
佐伯は、隣の302号室との境界である薄い壁を睨みつけた。隣からは、時折カタカタとキーボードを叩くような、乾いた音が聞こえてくる。
一方、壁の向こう側で久保は、高揚感に身体を震わせていた。
「最高だ。あの怯え方、あの視線……。佐伯くん、君は本当にいい読者だよ」
久保にとって、これは最高傑作の執筆だった。プロットは完璧だ。退屈なサラリーマンに「自分は選ばれた探偵だ」という錯覚を与え、最後には何もかもが嘘だったと突きつけて絶望させる。その瞬間を録画し、ネットの掲示板にでも晒せば、自分の乾いた心も少しは潤うはずだった。
翌朝、佐伯は仕事に向かうふりをして、アパートの共用部分を調べ始めた。
「取り分を隠した」という手紙の内容が本当なら、この鍵は、金目のものが眠る「何か」を開けるためのものに違いない。
郵便受け、配電盤のカバー、屋上へ続くハッチ。佐伯は人目を盗み、手当たり次第に鍵を差し込んだ。だが、どれもサイズが合わないか、そもそも鍵穴の形状が違っていた。
「……やっぱり、ただの悪戯なのか?」
午後、雨が降り始めた。あけぼの荘のコンクリートは湿気を吸い込み、重苦しい匂いを放っている。
佐伯が諦めかけて自室に戻ろうとしたとき、階段の踊り場の隅に、不自然なベニヤ板の目隠しがあることに気づいた。それは、長年放置された粗大ゴミや、古い掃除用具が押し込まれた「開かずの物置」のようだった。
佐伯は周囲を確認し、ベニヤ板を少しずらした。
そこには、埃にまみれた、小さな鉄製の扉があった。
信じられないことに、その扉の鍵穴は、彼が持っている真鍮の鍵と、驚くほど似た「十字型」の特殊な形状をしていたのだ。
「……まさか」
佐伯は震える手で鍵を差し込んだ。
カチリ、という小気味よい音が、静かな踊り場に響く。
引っかかりは何もない。吸い込まれるように鍵は回り、10年以上放置されていたはずの扉が、音もなく開いた。
その光景を、302号室のドアスコープから覗き見ていた久保は、手に持っていたコーヒーカップを床に落とした。
「な……何だよ、あれ」
久保の心臓が激しく脈打つ。
あの鍵は、彼が近所の古道具屋のワゴンセールで、適当に100円で買ってきたものだ。どこの馬の骨とも知れぬガラクタ。それが、このアパートの「実在する扉」を開けるはずなどないのだ。
しかし、目の前で佐伯は、開いた扉の奥へと吸い込まれるように消えていった。
久保はパニックに陥った。自分の引いた筋書き(プロット)が、目の前で未知の怪物に変貌していく恐怖。
「待て、そんな場所、あけぼの荘の図面には無かったぞ!」
久保は、仕掛け人としての余裕をかなぐり捨て、自室を飛び出した。
佐伯の後を追って、その「開かずの物置」へと駆け込む。
扉の向こう側は、狭い階段になっていた。アパートの構造上、存在し得ないはずの、下へと続く隠し階段。
カビ臭い空気と、微かな「花の匂い」が混じり合う。
階段を下りきった先で、久保が見たのは、呆然と立ち尽くす佐伯の背中と――。
コンクリートで囲まれた地下室の壁一面に貼られた、**「膨大な枚数の写真」**だった。
それはすべて、あけぼの荘の住人たちの隠し撮り写真だった。
買い物に出る主婦、酔って帰宅する会社員、そして――。
今まさに驚愕の表情を浮かべている「久保自身」が、自室で偽の手紙を書いている姿を、窓の外から捉えた写真までが、そこにはあった。
「……久保さん? なんでここに」
佐伯がゆっくりと振り返る。その手には、地下室の机に置かれていた、もう一通の「古い手紙」が握られていた。
久保は声が出なかった。
自分が「悪戯」を仕掛けるずっと前から、この301号室の地下では、誰かが自分たちを「観察」し続けていたのだ。
佐伯が震える声で、その手紙を読み上げた。
『302号室の住人、久保へ。君の脚本はとても面白かった。だから、僕が本物の結末を用意してあげたよ』
「……計画は成功したんだ。10年前じゃなくて、今日、今この瞬間に」
背後で、重厚な鉄の扉が、不気味な音を立てて閉まった。
- Re: 301号室のタイムカプセル 後編 ( No.2 )
- 日時: 2026/02/01 17:16
- 名前: マツタケの香料 (ID: eEFm9oln)
- 参照: https://www.kakiko.info/profiles/index.cgi?no
第3章:観測者の部屋
地下室の空気は、地上よりも数度低く、それでいて肌にまとわりつくような湿り気を帯びていた。
壁を埋め尽くす膨大な写真。それらは単なる盗撮記録ではなかった。一枚一枚に、几帳面なフォントで日付、時刻、そして「対象の行動分析」が添えられている。
久保は、壁の一角に貼られた自分の写真を見つめたまま立ち尽くしていた。
そこには、三日前の深夜、彼がニヤニヤしながら偽の手紙を301号室の引き出しに仕込んでいる姿が、鮮明に映し出されていた。角度からして、アパートの中庭にある古びた給水塔のあたりから望遠レンズで狙われたものだ。
「……嘘だろ。俺は、俺が支配していたはずなのに」
久保の指先が小刻みに震える。自分が「神」の視点で佐伯を操っているつもりでいた間、自分もまた、誰かの箱庭の中で踊る「被写体」に過ぎなかったのだ。
佐伯は、地下室の中央に置かれた古びた木製デスクの前に立ち、そこにあるものを一つ一つ確認していた。デスクの上には、最新式のボイスレコーダー、数冊の分厚いファイル、そして――数分前まで誰かが座っていたかのように、温かささえ感じさせる「一杯の紅茶」が置かれていた。
「久保さん、これを見てください」
佐伯が手にしたファイルには、あけぼの荘の全住人の「余命」と「社会的抹殺の優先順位」という不穏なタイトルが記されていた。
ファイルを開くと、そこには住人たちの銀行口座の残高、不倫の証拠、あるいは過去の軽微な犯罪歴など、警察でも掴んでいないような極秘情報が網羅されていた。
「この鍵……庭で掘り出したあの鍵は、単にここを開けるためのものじゃない」
佐伯がデスクの引き出しに鍵を差し込んだ。カチリと音がして、重厚な底板がスライドする。
そこには、複数の「銀行の貸金庫の鍵」と、血の通わない冷徹な指示書が並んでいた。
【指示:久保が『偽の手紙』を仕込んだことを確認後、システムを起動せよ。】
久保の脳裏に、激しい火花が散った。
自分が「退屈しのぎ」に思いついたあのアリバイ工作のような悪戯。庭を掘り返し、手紙を書いたあの行為。それらすべてが、実はこの「観測者」によって事前に予見され、計画の「起動スイッチ」として組み込まれていたというのか。
「……あいつ、誰なんだよ。301号室に住んでたのは、大人しそうな老婦人だったはずだぞ!」
「いいえ、久保さん。手紙には『10年後の自分へ』とありました。でも、それは偽装だった。本当は『10年かけて準備した復讐』の完遂を、僕らに手伝わせようとしているんだ」
その時、地下室に設置されたスピーカーから、ノイズ混じりの音声が流れ始めた。
「――計画の第二段階、完了。被験者A(佐伯)、被験者B(久保)、共に最深部へ到達。」
二人は、天井の隅にある監視カメラを仰ぎ見た。
カメラのレンズの奥で、小さな赤い光が、まるで嘲笑うかのように明滅している。
「ようこそ、僕の書斎へ。久保くん、君のプロットは60点だ。設定が甘いよ。でも、君の『退屈を憎む心』だけは本物だった。だから、僕の物語に君を招待することにしたんだ」
声の主は、若々しく、それでいて深い知性を感じさせる男の声だった。
「今、君たちが立っているその部屋の真下には、10年前にこの街から消えた『3億円』と、それに関わった者たちの断罪の証拠が埋まっている。さあ、その鍵を使って、物語を完成させてくれ。警察がここへ来るまで、あと15分だ」
壁のモニターが一斉に点灯し、アパートの周囲を包囲しつつあるパトカーのサイレンの光を映し出した。
「待て! 俺はただの悪戯を……」
久保が叫ぶが、音声は一方的に途切れた。
佐伯は、真っ白だったノートを広げた。すると、不思議なことに、白熱灯の熱に反応したのか、特殊なインクで隠されていた「地図」と「告発文」が浮き上がり始めた。
「久保さん……もう逃げられません。僕たちは、この『本物』の事件の共犯者に仕立て上げられたんだ」
鉄の扉の外側で、重い閂(かんぬき)が下りる音が響いた。
退屈を壊したかった男と、退屈に流されていた男。
二人は、自分たちが掘り出した「鍵」が、実は自分たちを閉じ込めるための「檻の鍵」であったことを、あまりにも遅すぎるタイミングで理解した。
第4章:301号室の真実
遠くから近づいてくるサイレンの音が、地下室の厚いコンクリート壁を抜けて、地鳴りのように響いていた。
赤と青のパトライトの光が、地上の通気口の隙間から細い矢となって差し込み、壁に貼られた無数の写真を残酷に照らし出す。
「……はは、なんだよこれ。ミステリー小説の読みすぎだって、誰か言ってくれよ」
久保は力なく笑い、床にへたり込んだ。自分が書き換えるはずだった「退屈な日常」は、今や巨大な暴力となって自分を押し潰そうとしている。
一方、佐伯は、浮き上がったノートの地図を食い入るように見つめていた。彼の瞳には、恐怖を通り越した、ある種の高揚感が宿っていた。
「久保さん、まだ終わりじゃない。……このノート、最後に一文だけ、別の筆跡で書き足されている」
佐伯が指し示した場所には、走り書きでこうあった。
『302号室のクローゼットの裏を見ろ。そこが本当の出口だ』
「俺の部屋……? 嘘だ、そんなもの……」
久保が顔を上げた瞬間、地下室のスピーカーから再びあの男の声が響いた。今度は、ノイズのない、透き通った声だった。
「タイムアップだ、諸君。……久保くん、君は自分の部屋を『安全な観客席』だと思い込んでいたね。でも、物語に安全な場所なんて存在しないんだよ。君が301号室に仕掛けをしたその時から、君の部屋もまた、僕の舞台の一部になったんだ」
突如、地下室の照明が落ちた。
それと同時に、デスクの下の隠し扉が重低音を立てて開く。そこは、302号室へと直通する、垂直の梯子を備えたダクトだった。
「行こう、久保さん! 捕まったら僕たちはこの『3億円事件』の実行犯にされる!」
佐伯は久保の襟首を掴み、無理やり梯子へと押し込んだ。
暗闇の中を必死に這い上がり、隠しパネルを突き破って飛び出した先は――見慣れた、しかし今はひどく異質に感じる久保の自室、302号室だった。
クローゼットの奥、服に隠れた壁の一部が、扉のように開いていた。そこには一冊の古い日記帳と、真っ新なパスポートが二冊、そして「301号室の老婦人」の署名が入った委任状が置かれていた。
日記を捲ると、そこには驚くべき事実が記されていた。
301号室の老婦人は、かつての強盗事件の被害者などではなく、その「計画」を裏で操っていた黒幕だったのだ。彼女は10年間、隣人である久保が「退屈に耐えきれず悪戯を仕掛ける日」を、この壁の裏からじっと待ち続けていた。
久保が仕込んだ偽の手紙は、彼女にとっては、全ての罪を久保と佐伯に押し付け、自分は「死んだこと」にして逃亡するための、完璧なフィナーレの合図だった。
「……あのおばあさん、俺たちが『謎を解く』のをずっと待ってたのか。俺が……俺が彼女を動かしたんじゃなくて、彼女が俺を『書かせて』いたんだ」
久保は、自分が書き溜めていた小説の原稿を床にぶちまけた。
本物の悪意を前にして、自分の「創作」がいかに薄っぺらな遊びだったかを思い知らされた。
「久保さん、警察が階段を上がってきます! 逃げなきゃ!」
二人はベランダから非常階段へ飛び出し、夜の闇へと駆け出した。
背後では、301号室と302号室のドアが同時に蹴破られる音が響いた。
一週間後。
あけぼの荘の事件は、未解決のまま世間の記憶から消えようとしていた。
301号室の老婦人の行方はようとして知れず、現場からは3億円の一部と、二人の男の指紋がついた「証拠品」だけが見つかった。
街外れの安宿で、佐伯と久保は、あの日持ち出した「本物の日記」を囲んでいた。
「ねえ、久保さん」
佐伯が、窓の外を見つめながら静かに言った。
「あの時、庭から掘り出したノートの最後にあった『見つかっちゃった』っていう言葉……あれ、本当に久保さんが書いたんですか?」
久保は、ペンを握る右手を止めた。
「……いや、違う。俺が書こうとしたのは『次は君の番だ』っていう言葉だった。ペンを差し込んだ時、すでにあの文字はあったんだ」
二人は沈黙した。
あの時、彼らが見つけたものは、果たして「誰」が用意したものだったのか。
久保は、新しい真っ白な原稿用紙に向き直った。
今度の物語は、退屈しのぎの悪戯ではない。
自分たちを今もどこかで観測している「誰か」への、唯一の反撃。
「……タイトルは決まったよ、佐伯くん」
久保は、震える手で最初の一行を書き始めた。
『301号室のタイムカプセル:観測者への遺言』
日常は壊れた。しかし、その瓦礫の中から、彼らは本物の「物語」を生き始めていた。
窓の外、遠くの街灯の下で、一人の老婦人がこちらを見て微笑んだ気がしたが、久保はもう、それを確かめようとはしなかった。
Page:1

