ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 腐った彼は、笑わない。 ( No.3 )
- 日時: 2010/03/26 19:50
- 名前: 宵子 ◆OKoRSyKcvk (ID: zbywwA5R)
story−02 【腐った平社員は働かない】
「篠紫野、お前の心の引き出しには上司へのマナーというものを仕舞っているのか?」
「すみません、クリーニングに出してます。多分1週間で戻ってくると思うんですけど」
「早く電話かけて今戻ってくるようにしてもらえ」
「いや、一週間後には僕、そのマナーに醤油ぶっかけて汚す予定なんで」
「……その前にお前を血で汚すぞ」
言葉を発した後、病葉 迷(わくらば まよい)は、神経質そうに眉間に皺を寄せた。綺麗な顔が台無しだといつも言っているのに、この上司は。
そう思いつつ視線を迷に送ると、迷はぎっと目を三角にし、怒りの鉄拳を僕の頬に叩き込んだ。その勢いのまま、首はごきりと鳴って180度回った。
「ちょ、痛……」
「なあ篠紫野、扉を見てみろ」
多分、ここで迷の言葉を断れば、この首の捻れる角度が360度になると察し———迷の言葉に素直に従う。
みちみちと筋肉の不協和音を奏でる首のまま、自分の背中越しにある扉に、意識を向けてみた。
僕を二回り程大きくしたような書斎の扉。
そこには、白い半紙に荒々しく筆で「社長への心得」と書かれたものが、セロハンテープで何十枚も無造作に貼られてある。
更にそれに関するもの十枚程度が壁にまで進出しているので、無理矢理貼ったことがわかる。
これらによって、僕は一つの答えを導き出した。
顎に右手をあて、何か思考しているようなポーズを作り、「ふむ」と口を開く。
「……つまり、迷は大雑把だという」
「成程、首が曲がるのが好きらしいな、篠紫野は」
ごきごきっ
……人間の首は270度までは曲げることが可能だということがよく分かった。そのせいで、悲鳴を出そうとしても、喉が圧されて思うような声が出ない。
「……ふん。つまらない駄犬め」
迷は僕のリアクションがないことがつまらなかったのか、首を曲げるのをやめて、ふんぞり返って自分の椅子に座ってしまった。
「お前にはリアクションという単語が欠落しているようだな篠紫野」
ふむ、しかし本当に首が痛い。
迷はリアクションがなかったから面白くない、と捉えているようだけど、それは悲鳴が出ない程痛かったって訳だよ。いててて……。
「……喉を圧迫されてて、悲鳴も出なかったんだよこのサディスティック上司」
「そうかそうかよしよし」
優しく自分の首を撫でていると、迷はそれを満足気に眺めながら、口も開いた。
「まあ良いだろう、今回のは許してやるさ。だからと言って、お前が許されたわけではないけどな。つまり、謝罪。いや、それに見合う対価が必要だろう。……ということで、ホットケーキとコーヒー。作れ平社員」
「はあ?」
命令口調の迷が、ちらりと壁を見やる。
視線を辿ると、壁に立てかけてあるアンティークな時計があった。時刻は———丁度午後3時。一般的にはおやつ時、という奴だろう。
「分からないか? ホットケーキとコーヒーという食べ物と飲み物が。早くしろ。俺は無能は嫌いだ」
「……はいはい。イコールお子ちゃまの我侭ってことだ」
「ぐだぐだゆーな、三下平社員。またの名をただの部下。言っただろ、無能は——」
迷が最後の言葉を紡ぎ終える前に、急かされるようにして書斎を飛び出す。
「こら人の話は最後まで———」……書斎の扉を後手に閉めた。扉の向こうから僕についての罵倒が聞こえるけど……。
それよりさっさとホットケーキを作ろう。
後コーヒーだったっけ? 迷は甘党だから、砂糖とミルク多めで……。
と、そんなどうでもいいことを思案していると、視界の端に、小さな写真立て。古びているが、プラスチックの花で丁寧に装飾されている。
すでにセピア色になっている中に飾ってある写真には、幼き僕と————……
「———分かってるさ」
自嘲気味に、そう呟く。分かっているからこそ、思った。
先程の迷の言葉を数回反復し、自問自答を繰り返す。
「無能は、いらない。だろ?」
迷の皮肉じみた言葉が、聞こえたような気がした。