ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: ロンリー・ジャッジーロ 第三章-10 ( No.105 )
- 日時: 2010/11/20 17:43
- 名前: こたつとみかん ◆KgP8oz7Dk2 (ID: oYJ2fVYh)
- 参照: 久しぶりすぎるよ。常識的に考えて。
天気は晴天。されど氷点下ギリギリの温度の空気が風によって運ばれ、ヴィ・シュヌール南地区の丘に建てられた大きな屋敷の窓から中へ入っていく。そこにあるはネバートデッド邸。その屋敷はかなりの年季が入った雰囲気だが、その古さを目立たせないほどの壮大さで、古代から続く貴族という称号は伊達ではないという事実を確信させるほどだった。
窓から入った風はその中の部屋の空気と入れ替わり、そしてそれを繰り返す。循環する空気を五感で感じるものは必ずといって良いほど不快は感じない。部屋は屋敷の外見に打って変わった雰囲気だった。白い壁、白い天井、白い床、それらには余計な装飾が施されておらず、大きなベッドと棚が設置されているだけで、逆にそれが厳かで上品な雰囲気を表していた。
その空間には少女が一人。彼女は紛れもないニーベル・ティー・サンゴルドであり、部屋には彼女の寝息が聞こえるだけだった。あの夜から三日の時が過ぎている。その間ニーベルは一度も目を覚ましておらず、聞こえる寝息が唯一彼女の生命が今も活動している証明となっていた。
静かな雰囲気の部屋のドアがゆっくりと開かれる。入ってきたそれには右腕がなく、瞳が透明感のない黒色であることと血色の悪い顔が印象的だった。その少女——フクマは、何も言わずにニーベルが寝ているベッドの近くまで歩いてきた。椅子がないので立ったまま姿勢で、かがむようにニーベルの顔をのぞきこんだ。前に倒れないように左手をベッドの上に支えとして置いて体重をかけると、ぎしりという鈍い音が聞こえた。
「ニーベル……」
フクマが口を開く。その声はかすかに震えていた。表情もあと一歩で涙を流しかねない様子だ。
彼女は“家族”の中でも特に寡黙で、あまり他人とコミュニケーションをとろうとしない性格だ。人の話は聞くが常に無表情で相槌や返事を滅多にしない上、毎日のようにリストカットを続けているということもあってか、ほかの人から一線を引かれていた存在だ。この表情を見た者は“家族”でさえいないだろう。
ついに、彼女の瞳から涙が零れ落ちる。フクマはニーベルの顔を上から覗き込むように見ていたため、ニーベルの頬にそれが落ちていった。
そしてフクマが涙をぬぐいながら顔をあげ、部屋を後にしようと思ったとき、
ゆっくりと、ニーベルの瞳が開かれた。
同時に上体だけを起こすと、それと擦りあう布団の音にフクマはハッとして振り返る。そこにはまだ意識がはっきりとはしていないが、しっかりと起き上がった“家族”の姿があった。
フクマは言葉を失う。気が動転して駆け寄っていく前に両膝から力が抜け、がくんとその場に膝を着いてしまった。その音でニーベルは少し驚いたように身体を震わせ、音源にいるフクマを見た。そして自分がいる場所を見渡し、ここはどこだと言わんばかりに首を傾げて見せた。
フクマの立てた音を近くで聞きつけでもしたのか、そのドアが開かれて誰かが入ってくる。それはほかの誰でもないニコ・ザンティ・ネバートデッド、続いてレイジーだった。彼は起き上がったニーベルを見ると、少し表情を柔らかくしてみせて彼女に近寄る。レイジーはその後ろで、座り込んでいるフクマを助け起こしていた。
「……気分はどうだ?」
柔らかい表情のまま、彼はニーベルにそう語りかける。このとき、ニコは彼女が自分と初対面だろうと思っていた。一度対峙してはいるが、あれはニーベルではなくユノなのだから。
ニーベルの目は虚ろなままだった。秒針が一回りするくらいの時が過ぎて、ようやく彼女がそれに答えようと口を開く。
「ふつう……」
耳を澄まさねば聞こえぬほどの小さな声だった。しかしニコの耳には届いたようで、軽く頭を振って頷いたあと、自分が何者であるかを目の前の少女に伝えようとするが、
「何よりだ。ちなみに怪しいものじゃない。僕の名前は……、」
「……ニコ」
ニコが言うより先に、知らぬはずの少女が彼の名前を口にした。当然ながらニコ、そして後ろにいたレイジーまでもが驚愕して目を見開いた。
ニーベルは口以外の身体を動かさずに続ける。
「覚えてる。あの夜のこと。あの後私の中で何か這い上がってきて、私の身体が動かせなくなって、そしたら急に男の人たちが飛ばされて、男の人たちは誰も動かなくなって、私の身体が勝手に動いて男の人の手を拾って、こぼれてくる血をおいしいと感じながら飲んでて、それからそれからそれからそれからそれから、」
「……もういい」
「そこの女の人……レイジーが私に何か撃ってきて、それに私は腹を立てて走っていって、撃たれながらそれでも走っていって捕まえたと思ったら首から手がたくさん出てきて私は怖くなってにげだそうとしてもにこがそれをゆるさなくてそしたらきゅうにきもちわるくなってくるしくなってもういっかいなにかがはいあがってきてそれがわたしでそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれからそれから」
「もういいっ!」
まだ話を続けようとするニーベルを止めようと、ニコは彼女の頭を自分の胸元へ引き寄せて抱いた。
「あれはお前自身がやったことなんかじゃない! 思い出すな! 忘れるんだ……!」
それでもニーベルは口を動かしていたが、やがて止まり、いつしかそれは嗚咽する声へと変わっていた。あああ、あああと、心に溜め込んでいた感情を一気に解き放つように。
大声で泣き出したニーベルの頭を撫でてあやしているニコは眉間にしわを寄せてどこか悲しげな表情だったが、その後ろにいたレイジーは彼に冷ややかな目線、うっすらと殺意すら含まれている目線を送った。それはそばにいたフクマが恐怖で鳥肌を立たせるほどのもので、どう考えても信頼する従者が主人に対するそれではない。
睥睨したままレイジーがニコに話しかける。しかし声のトーンが低く、明らかに怒っていると感づけるものだった。
「若……いや、ニコ」
主従関係すら一方的に解き、続ける。
「その娘が自分の過去と重なるからって懇ろな態度になるのはまだいいけど、精霊(わたしたち)の存在までなかったことにしようとするのは酷いじゃない? あんただって、私がいなかったら生きてなかったでしょ?」
「別に、お前まで否定しているつもりはない。それにこの娘はあれ知る必要はないんだ。当事者の精霊もここに存在してはいないことだしな」
ニコは振り向かずそのままの姿勢で返した。
「首筋」
レイジーは彼が言い終わるや否やそう答えた。ニコは無意識に「は?」と訝しげな声を出した。彼女はそれの意味を質問と受け取り、丁寧に言いなおした。
「その娘の首筋、見てみなよ」
ニコは言われるがままにニーベルの首筋を見た。そこにあるは強く握れば折れてしまいそうな少女の首があるだけで、特に不審な部分はなかったがレイジーは真剣な態度は一切緩まず、それが冗談ではないということをニコに理解させながらニーベルの耳元に自分の口を近づけ、ぼそりと何か言った。
そしてレイジーがニーベルから離れた刹那、
「お、おいで……、ユノ……」
ニーベルがそう呟き、その首筋に鳥の羽のような形のアザ——魔力回路か現れ、水(ヴァルナ)の銀色と風(ヴァーユ)の翠色が入り混じった色に光る。それも蝋燭の灯のような淡い光ではなく、太陽を思わせるような明るさであった。
これを見て、ニコの中で最初に出てきた感情は驚愕でも絶句でも感嘆でもない。あるのは焦燥だけであり、すぐに落ち着かせようとした。理由は明白、思い出したら鬱状態になってしまうような出来事の原因、しかもそれそのものの名前を呼び出すことはその出来事を強制的に思い出させることであり、六歳ほどの少女にとっては酷だなんて言葉で表せるものではない。
故に彼は急いでニーベルの腕を取り、耳元でささやく。
「“Command”! ……It is “Withdraw”and “Silence”……!(“命ずる”……
“撤回”、“沈黙”……!)」
ちなみにニコが時折口にするこの言葉は彼の特技で、乱暴に言ってしまえば催眠術のようなものである。独特な雰囲気のある声で相手の耳元で囁き、それに「そうさせる」よう語りかけるものだ。ただしこれは正気の相手には効力がなく、相手が激昂や動揺、憂鬱状態や混乱しているときなど、精神に余裕がないときに初めて効果を発揮する。
ニーベルはその言葉の通りのまま魔力開放を撤回し、肉体と精神を繋ぐ糸がぷつんと切れたように意識を失い、ベッドの上で倒れこんだ。フクマが思わず駆け寄ろうとしたが、レイジーが引き止めて「大丈夫」と優しい表情でそう言った。
ニコは意識を失っているニーベルの身体を冷やさないように布団をそっと掛けさせ、足音を立てないよう出来るだけ静かに部屋を後にしようとした際、レイジーがすれ違いざまに口を開き、
「ね? あの娘はもう、その罪悪から逃れられない。一生付き合っていくしかないのよ」
「皮肉なものね」と付け足して悲しそうな声でそう言った。顔は見ていないが、少なくとも笑っていはいないだろう。
「くひひひ……」
フクマを含め、三人が部屋から出て行った後のこと。風の音とそれによる物音以外するはずのない部屋に高い、幼い少女のような笑い声が聞こえた。その部屋にはニーベル以外誰も存在せず、それは必然的に彼女のものということになる。実際、笑い方は下品でもその笑い声は彼女のものだ。
彼女がベッドから起き上がる。その際、彼女の髪の毛は滑らかに赤色の長髪へ、瞳は爛々と輝く金色へと変貌し、ユノと呼ばれるニーベルが心で抑圧した精霊が、再び彼女の肉体を乗っ取って現世に姿を現した。しかしかつてのような無差別な邪気はなく、落ち着いた雰囲気で笑っている様子だった。
「ようやく目を覚ましたようじゃな。全く……、いくら今だけ代わりに動いていいと言っても、汝が現世に意識を戻さねば意味をなさないではないか」
それからユノはベッドから飛び起き、置かれている靴も履かぬまま部屋のドアに向かって部屋の外へ出た。この屋敷の廊下は広く、とても長く続いているので迷ってしまいそうだが、彼女は最も効率的で簡単な方法をとった。
ユノは廊下の奥を、目を細めて凝視する。彼女が飛び起きる音を聞きつけて来たのか、たまたまそこにいたのかは判らないが、そこにはこの屋敷の使用人であろう女中、レイジーではない女性の姿を確認する。
「丁度良い」
言うが速いか、口角を大きくそり上げて笑みを作り彼女は女中へ駆け出す。
突風が通ったような音がした。廊下に面したほかの部屋の扉や窓がガタガタと揺れる。風の如き速さで近づいたユノは女中の首元を掴んで床に押し倒し、彼女の耳元で相手を威圧させる迫力のある声で囁いた。
「ニコとやらがいる場所へ案内せい。……なあに、別に命をとる気はない」
口ではそう言っているが、女中の首元を掴んでいる腕には骨が軋む音がするほどの力が込められている。これでは提案ではなく脅迫だ。
女中が瞳を潤ませながら涙声で返事をしたのを聞くと、ユノは急に気分良くニイィと笑い、
「聡明なのは良いことじゃ」
今度はやさしく手をどけて起き上がり、女中を助け起こすことさえして、前回とは打って変わって穏やかな人当たりであった。
「久しぶりじゃのう。前回は世話になった」
女中に連れられてユノはニコ、レイジー、フクマ、ミィがいる居間にそう気さくな態度で入っていく。言うまでもないが、その瞬間、居間を包む雰囲気が急に凍りついた。レイジーに至っては戦闘体勢すらとった。
その様子を見てユノは表情を挑発的な笑みへと変えた。かつてレイジーに対しては戦意を喪失させられるほどの恐怖を抱いていたが、前回から今回までの間に何があったのか、今はそのような態度は微塵も感じさせなかった。それどころか、絶対に負けないという余裕すらあるように見える。
レイジーは挑発的な態度をとるユノに対して、混じりけのない殺気で彼女を睥睨している。
「ふん……、やっぱり一度叩かれたくらいじゃあ、何も判らないってことね……」
「そうかの? ……まあでも、不思議と今は汝に恐怖を感じぬのう。むしろ、今なら汝にすら負けぬ自身がある」
挑発以外の何者でもないその台詞を聞き、レイジーのこめかみには青スジが現れた。
「言ってなさい……!」
彼女はユノを取り押さえるべく、足と膝に力を軽く入れ、跳ぶ。直進すれば家具が邪魔で通れない。跳び過ぎれば隙が生まれる。しかし、レイジーのその体捌きはこれらをクリアした上でのものだった。
その完璧なる動作の中でレイジーは女中服の両袖を留めているホックを外し、痛々しいまでの白い腕を露にする。そして右手を手刀の形に、左手は獲物を捕らえる鷹あるいは鷲の鉤爪のような形に整え、そのまま左手でユノの首へ突き出す。
耳元で銃弾が通り過ぎるような風を切り裂く音が聞こえた。人間には目視すら不可能な速さで繰り出されたそれはユノの透き通った肌色の細い首を掴み取る——はずが、どこへ消えたのか空を掴んでしまった。
「なッ……!」
仰天したレイジーは訳が判らぬまま着地をした瞬間——、
「後ろじゃっ!」
不意に後頭部に衝撃、そして痛みが脊髄を電流のように走る。平手打ちを喰らったのだ。意識が吹っ飛ぶ威力ではなかったが、じいぃぃんと銅鑼のように広がる痛みにレイジーは少々涙目だ。
今のやり取りを見てニコはふっ、と軽く笑う。ユノという精霊が敵意を持って近づいてきていないことを理解し、二つの意味で安堵しているのだ。ひとつはレイジーが無事だったこと。先刻、ユノはその気になれば無詠唱魔導を使用し、レイジーの心の臓を貫けたのだ。だが、彼女はそうしなかった。ひとつはこれ以上彼女の中にいるニーベルという少女に、精神的な痛みが彼女関連で増える心配はないということだ。これはニコが最も悩んでいた問題だったが、胸を撫で下ろす結果となってよかったと、彼は心からそう思っていた。
すると、ユノは突然ニコの方へ振り向いた。その表情は純粋無垢な少女そのもので、とても先日まで殺戮を楽しんでいた残虐な精霊には見えない。
「ニコとやら、安心するが良い。ニーベルという少女の心に触れて同一化した今、妾はこの者を我が主と認め、彼女の意思に基づいて非人道的な行動は以後慎むと誓おうぞ。ちなみに、今ニーベルは表に出たくないというのが、妾がここにいる理由じゃ。それから——、」
今度はまだ頭を押さえて痛みに苦しんでいるレイジーを見る。
「レイジー、先日の無礼な発言を撤回しよう。人の心とは……こう、透き通った水晶のように綺麗で、何とも興味深いものであったのじゃのう。食わず嫌いは駄目だというのを実感した」
返事も聞かず、ユノは今の開いているソファを見つけ、どっかりと腰をかけて図々しく脚を組んで見せた。レイジーもようやく痛みから立ち直り、すっくと立ち上がってニコの隣という定位置に戻った。
「さて」
場の雰囲気が落ち着いたのを感じたニコが、それを引き締めるように声を上げた。
「とんだ邪魔が入ったが、二度説明するという手間が省けた。これでようやく、貴様たちのこれからについて話すことができる」