ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: ロンリー・ジャッジーロ 第三章-12 ( No.107 )
日時: 2010/12/18 18:41
名前: こたつとみかん ◆KgP8oz7Dk2 (ID: SSNg/Zhu)
参照: 三章おわったぁぁあぁ!

第三章『鐘の戯言、菖蒲の羞恥』⑬

「名はなんと言う」
「……………………アイリ……ス……」
 ユノの問いかけに銀髪の少女が躊躇いながら、小さな声で答えた。
 アイリスは助けようとした少女が豹変していることに半ば放心しながら、自分に差し伸べられた腕を掴んで立ち上がる。そして同じ目線に立って少女を見つめていると、急に彼女の髪の毛は元の緑色に戻り、黄金色の瞳も淡い青色へと変わる。
 彼女はユノへ変化する前のニーベルの姿を一度目の当たりにしているため、これが「戻った」ということを理解している。
 対するニーベルはというと、同じ年頃の少女とはいえ初対面の相手に接触しまったことにどうして良いか判らず、困惑気味に「ええと、あの」などと俯いていた。——こういう時、どういう顔をしたらいいんだろう……?
「……礼は、いらない」
 不意にアイリスがつぶやいた。一切の感情が込められていない喋り方で、彼女がすでに興味の対象をニーベルから別のものに移しているからである。彼女の視線に映るは倒れて気絶、あるいはうめき声を上げている先程の男女。それから目の前にいるニーベルに背を向けて彼らの元へ歩いていく。
 どうやら金品を物色するようで、アイリスは彼らの鞄やら服やらに手を伸ばし始めた。
 幼い頃自分も同じことをやっていたニーベルが言えた義理ではないが——いや、だからこそそのような非人道的な行いをしてほしくないとニーベルは思った。
 しかし、思っただけではアイリスに伝わるはずもない。
——やれやれ、主は何を迷っとるのじゃ。
心の内からユノの声が響く。存在そのものを主であるニーベルと共有していることでお互いの思考などは筒抜けだ。
「で、でも……」
 ——ほうら、また後ろ向きなことを言う。主よ、そんな思考で大丈夫か?
「大丈夫も、何も……、あの娘と私は初対面だし、絶対に聞いてなんかくれないよ……」
 ——昔の自分みたいに汚い行いをさせたくないんじゃろう? あのムスメを全うな人間として生きてほしいんじゃろう? ……だとしたら、迷うことないであろう。
「だとしたら……どうすればいいの……? どうしたらあの娘を止めさせられるの……?」
 答えを見つけられていない主に呆れるように、やれやれとユノはため息をついた。それは彼女の低い声と共に出ていて、ほんの少しばかり怒気が含まれていることをニーベルに理解させる。
 そうしたやり取りをしている間にも、アイリスは既にいくつかの金品をポーチにしまい込み、別の倒れている人間の荷物を物色している。
 ——逆から言おう。主、汝の想いは立派である。……だが、それはただの綺麗事じゃ。あのムスメはかつての汝のように生きるためにあのようなことを行っている。それは汝が重々承知のことではないのか? それを止めさせるというなら、あのムスメの生活を管理するくらいのことはしなければならない。ニコは汝を助けるために実際そうしたではないか。今度は汝がニコのようになる番であればよいのじゃ。
「私が……ニコくんのように……?」
 ——勇気を出すがよい。誰も汝を否定したりはせぬ。ありのまま、己の決断に身をゆだねればいいのじゃ。
 ニーベルが生唾を飲み込む。ごくりと音がした。
 それっきり、気弱そうな少女が使役する精霊は一切黙りこんだ。相談相手はもういない。一歩踏み出すか、出さないか、その決断は少女自身がすること。
 気弱そうな少女は顔を上げた。
「……あのッ——!」


「——と、いうのが……、私と、アイリとの出会い……だっけ……?」
 そう首を傾げつつ微笑み、回想を語り終えてニーベルは少し恥ずかしそうに頬を掻いた。
 途端、ヴィルバーが急に立ち上がって口を開く。
「少なっ! フールとの出会いの話少なっ! どちらかと言うと出会いよりニーベルの過去の方がメインのような気がするッスよ……!」
 きっと無意識に言ったことなのだろう。言い終わった後、ヴィルバーは自分が何をしたのかを確認するように辺りを見回し、恐縮して座りなおした。
 かなり間を置いて隣に座っているディオーネはそれを嫌悪するように睨み、悪態をつく。
「ほんっとうに空気が読めないですね。せっかくニーベル姉さまがお話をしてくださっているのに、貴方は黙って聞けないんですか?」
 そして弁解してこようとするヴィルバーを睥睨して黙らせ、今度はニーベルを見て先ほどとは打って変わったように明るくなり、まるで女神でも見るような恍惚とした表情で感想を述べた。
「それにしても……姉さまにそんな辛い過去があるとは初耳です。それなのに私のために語ってくださるとは、感謝の極みですっ!」
 涙管から流れ出た涙が溢れんばかりの感動だったらしい。ディオーネは手を組んでそう叫んだ。
 傍観者約二名の反応を面倒くさそうに見てため息をつく。
「こいつらの感想は放って置くとして……。ニーベル、思い出させて悪いがその……、貴様がまだ“家族”と共にいたときのことだが……、」
 弟子のトラウマについて聞くことを躊躇するようにニコの言葉の歯切れが悪くなり、頭に手を当てて悩む動作をしてから、彼はニーベルの目を見て聞いた。
「貴様はあの冬の日、長く青い髪の男に会っていると言ったな」
「え、……あ、うん……言った……かな……?」
 聞き、次にニコは口に手を当てるという考える動作をする。
「ならば……そのときに既に、貴様はあの銀髪に会っているはずだぞ」
 そのニコの言葉で、ニーベルは驚いて目を見開いた。相当驚いたのだろう、普段のニーベルでは見ることの出来ない表情だった。
 彼女は思いがけない一言を言ったニコを、訝しげに見ながら聞き返す。
「そう、なの……?」
「ああ、恐らくな」
 そう言った理由ないしは何か続けて言おうとしたことでもあるのだろうか、ニコは間を置いて再び話そうとしたのだが、
「ヴィィィルゥゥゥバァァァさぁぁぁぁぁん……! 会いたかったですわぁぁぁぁ……!」
何処からともなく——といっても玄関しかないわけだが、灰色のショートボブ、印象的なゴシックロリータファッションの少女——アイビーが間を裂くようにアイリスとニーベルの家へ入ってきたことで彼は二の句をつげなかった。
 予想してなかった訪問者はニコが座っているソファの後ろから、それを乗り越えるように奥のソファに座っているヴィルバーの胸へと飛び込んだ。そこまでの跳躍力は全身のバネを使えるアイビーならではの行動だった。他の者には容易に模倣することの出来ない、その驚異的な身体技術をそんなことに使っているということも彼女の性格を表していた。
 ヴィルバーは反射的にそれを受け止める。見ていたニーベルが口を開く。
「ど、どうして……、ここに……?」
 アイビーはニーベルをびしりと指差し、不敵に笑いながら高らかに声を上げる。
「笑止! 愛にはそんなこと、全くと言っていいほど関係ありませんわ……!」
「うん、それはもういいから」
「す、凄いアツアツっぷりですぅ……」
「やかましいな」
「ほほう、若いで御座るな」
「若、ただいま戻りました」
 次いで、アイリスと金髪の小柄な身体には似合わない大きな鞄を持った少女——リース、そして薄い水色の髪の毛と瞳を持った男——カイが家の中へ入ってきた。その後ろから黒峰とブランク入ってくる。
 ニーベルは真っ先にアイリスが無事で帰ってきたことを確認すると、先程より表情を明るく変え、アイリスの元へ駆け寄る。
「アイリ! よかったぁ……本当によかった……。心配ですごく大変だったんだよ……」
 その反応が可笑しかったのか、アイリスは少し吹き出して笑う。
「ふふっ……何それ? まあ私は大丈夫だから、さ。はい、これ買い物」
 アイリスから買い物袋を受け取り、中身を確認してにっこりとニーベルが顔を上げる。そして気がついたようだ。アイリスの身体のあちこちに擦り傷などの怪我をしていることに。
「ありがとね。……ていうか、何でそんなに怪我してるの?」
「あー、うん。順を追って説明するから」


「……で、明日マリアちゃんのところに連れて行くんだね?」
「うん。関わった以上、最後まで責任は持たないとね」
 言ってアイリスはリースに笑いかける。 不意の出来事にリースはたじろいで目をそらすが、その態度にアイリスとニーベルは笑った。緊張してどのように接していいのか判らないままでいるリースの反応が見ていて楽しいのだろう。
 だがその平和な風景を視点に辺りを見回すと、一変して物五月蝿い情景となっていた。
「ちょっと! 場をわきまえてくださいよ!」「その必要などありませんわ! 野暮なこと言わないでほしいですの……!」「久しぶりだなヴィルバー。……お前の小指は少し盛りすぎだ」「ひ、久しぶりッス、カイさん! ……ええ、まあ、悪い娘じゃないんで」「黒峰様でしたか、先程の太刀捌きは見事でしたよ」「ありがたき言葉、感銘極まるで御座る」「賑やかですねぇ……」「やかましいがな。というか、狭いと思っていたが意外に人が入るのかこの家は」
 何か集会でも始まるわけでもないが、そう思っても不思議ではないくらいの状態だった。これを見てアイリス、ニーベルの考え方としては、曲がりなりにも客人を何もなしに帰すことをあまり好ましく思わない性質である。
 四年間同居していたパートナーの心情はお互い理解している。二人はアイコンタクトで意思疎通をして、目の前に広がる客人たちに目を向ける。
 それらの注目を集めるようにニーベルが強く手を叩く。家の中に破裂音が広がり、それを耳にしたすべての人間がアイリスとニーベルを見る。
「ええ……と、皆……さん、何で……集まってしまったのか、えと、……判らない……けど……、このまま……、その……帰せない、ので……、」
 その続きを拾うようにアイリスが続ける。
「不本意、本当に不本意だけど、仕方がないから晩御飯食べさせてあげなくもないよ。食べて行きたい人、返事して」
 似合わずアイリスは照れくさそうにそう言った。賑やかな情景も悪くない、そう思えたのだろう。
 その心境の変化を感じ取れないほど、ここに集まっている人間は鈍い神経は持ち合わせていない。その変化に全員が不思議そうにつぶやいた。
「デレてますね」「デレてますわね」「デレてるな」「デレてるッス」「デレているのでしょうか」「デレで御座るか」「デレですねぇ……」「気色悪いな」
 刹那、アイリスの顔色がすうっと冷たくなった。それをニーベルは気まずそうに横目で見る。——うわぁ、少しまずい……かな。アイリって本気で怒るときは冷静になるんだよね……。
 その思惑通り、アイリスの目つきは怒りのそれとしか思えない状態だった。目にも留まらぬ速さで足を振り上げ、誰にも目視されぬまま——その踵を目の前のローテーブルに落とした。その一瞬だけ、アイリスの髪の毛が黒色になったように思えた。
 響く破砕音。ニコにも、カイにさえ反応されずに落とされたそれの速度と威力は想像を絶するもので、その踵の餌食となったローテーブルは、当たったその部分だけが削ぎ落とされたように木片となって崩れた。あまりの速度に空気との摩擦も起こったようで、なくなった部分の淵の辺りを見てみるとうっすら黒く焦げ跡がついている。
 破砕音を聞いてようやくアイリスがしたことを周りは確認した。そして見るや否や、全員が生命的な意味での危機を本能で感じ取った。
 アイリスはもう一度、警告のように冷たく言い放つ。
「返事」
「すみませんでした頂きます」「ごめんなさい食べていきますわ」「悪かった世話になる」「許して下さい食べるッス」「申し訳ありませんご相伴に預かります」「許されよ是非もらいたいで御座る」「ごめんなさいね頂くわ」「すまないな仕方がないから舌鼓を打たせてもらう」
 聞き、ため息と共に身に纏う凶悪な冷気を解く。そして「座ってて」とリースに言ってニーベルと共に台所へ消えてしまった。
 そして安堵するようにそこにある空間が暖かくなる。先程は肌で感じ取れるほど危なかったのだ。
 再び客間が賑やかになると、突然ニコはカイを連れて家の外に出た。何か真剣な様子で、そこの雰囲気を崩したくないとの配慮だろう。
 外に出た二人はアイリスとニーベルの家の壁に体重を掛けて立つ。空はすでに日は沈んでおり、西の空がほんのり赤いばかりで地獄通り(ヘル・ストリート)は暗い闇に包まれていた。春の夜風はまだ冷たく、この時間帯にここを通る人間はほとんどいなくなる。
 となるとあたりでは引ったくりや強盗などの物騒な連中の活動が活発になるのだが、ここにいるのは国内最強の便利屋の一人と南地区全体を牛耳っている便利屋だ。手を出すほうが間違っているとしか思えない。
「話は何だ。……もしかして、サジのことか?」
 そう言ってカイはコートのポケットから紙煙草を取り出す。もう片方の手に持っている着火装置でその先に火を着け、煙を吸いながら徐々に煙草に火を浸食させる。吸った煙を肺に流し込み、しばらくしてそれを空気中に吐き出した。「要るか?」と、カイはニコに問いかける。
「一本もらおう。もしかしなくてもサジタリウスのことだ。今日弟子の思い出話の中でふと出たのでな」
 ニコはカイから煙草と着火装置を受け取り、同じような動作で煙草に火を付けながら話す。
「あいつを最後に見たのはいつだったか……なんて思ってしまったんだ」
「そう……だな」
 少しの沈黙の後、カイが再び口を開く。
「アイリスは知っているのか」
「当たり前だ。全てを知った上であの態度をとっている。……許せないんだろうな、表面だけでなく中身のサジタリウス自身を」
 ニコが肺にたまっている煙を一気に空気中に吐き出し、
「十年前の貧民街での惨劇、ニーベルへユノが降りたことと続いて、今度は……か。負の連鎖はここまで続いていたのか……」
そう独り言のように呟いた。
 吐き出されて暗い空に消えていった煙は、空に渦巻く暗雲のように黒かった。
 まるで、彼自身が抱える心の闇のように。



                   第三章『鐘の戯言、菖蒲の羞恥』終わり