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Re: ロンリー・ジャッジーロ 第三章-1 ( No.78 )
日時: 2010/06/05 18:36
名前: こたつとみかん ◆KgP8oz7Dk2 (ID: bGx.lWqW)
参照: 時間が欲しいなぁ…orz

 身体を一回転させ、右足、左足の順に地面に着地して男に眼を向ける。アイリスは男が大の字で地面に倒れ伏している光景を想像していたが、現実は違った。男は足が当たった顎を手で擦って顔をしかめて立っているだけだった。それもそのはずで、いつも履いているブーツの足先と踵の部分には鉄板が仕込まれており、それらは蹴りの威力を上げる役割を果たしている。今まで大の男たちを先程のような華麗な蹴りでノックアウトしてきたのは、鉄板仕込みのブーツがあってこそで、今履いているのはただのパンプスだ。その状態でどちらかと言われれば華奢な少女が放つ蹴りなど、高が知れている。
「痛てェな……」
 男がお世辞にも上手とは言えない右フックでアイリスの左側の顔を狙った。大振りなこともあってか、間一髪で拳と顔の間に左腕を入り込ませて防御することが出来たが、体格が違うためにその場に止まるように踏ん張ることは出来ず、数メートル飛ばされた。すかさず男は、がら空きであるアイリスの左脇腹に左足で突き出すように前蹴りを放った。結構無理な体勢から放った故、直撃こそはしなかったものの、男は思いのほか力が強かった。踵が当たっただけで相当の衝撃と痛みを感じた。
「ぐぅ……!」
 アイリスは顔を歪ませて地面に叩きつけられた。胸の辺りからとてつもない嘔吐感に襲われたが、何とか耐えた。男はアイリスに近づいていき、もう一度右手を後ろに引く。とっさにアイリスは両腕で自分の顔を覆った。それでも男は構わずに殴った。今度は左腕で。右腕、左腕と交互に殴り続ける。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も。拳はアイリスの顔を狙っているが、それらは一度も当たっていない。両腕で防御されているからだ。相当頭にきているのだろう。気にせずに殴り続けている。——くっ……。痛い、けど、耐えなければ。でも、このままだと、流石にヤバいか……?
 アイリスは男に向かって苦し紛れに手を突き出し——たら、男は呆気なく倒れた。それも、アイリスの横に前のめりに。
 男の陰からもう一人、精悍な顔つきの別の男が見えた。その男は硬そうな髪質の水色の髪と、目つきの悪い水色の眼が印象的で、ファーの付いた黒いコートを着ていた。男は安堵したように目を細め、アイリスに手を差し出した。
「大丈夫か、アイリス」
 アイリスは精悍な顔つきの男を見て、拗ねたように顔を背け、差し出された手を掴まずに立ち上がった。その身体には、主に脚の辺りには擦り傷が出来ていた。
「……カイ……」
 カイと呼ばれた精悍な顔つきの男は口の片端を上げて軽く笑い、行き場のない手を引っ込めた。彼はカイ・ゼルティース・アースクッド。古い知り合いで、アイリスをファーストネームで呼ぶ数少ない人間の一人である。彼は二十四という若さにも関わらず、ヴィ・シュヌールの国内でも指折りの便利屋だ。十三のときに便利屋となり、十五の若さで誰も倒すことが出来なかった『地底の魔窟』に巣食う、“死骸龍”アザ・ガウストと“粒子の黒蚊”ベルゼブブを同時に相手し、見事討伐を完了した伝説の三人組チーム“アース”の一人だった人間だ。その後アースは解散し、カイは他二人とも別れて今は独りで便利屋を営んでいる。
 アイリスは十二歳の頃、カイから高周波斧の戦闘指南を受けていた。その他にも才能のある子供などに戦い方を教えているらしい。やけにこの国には「戦える」子供が多いが、カイがやっているその行為も理由のひとつだ。
「何か仕事で遠くに行ってると聞いていたけど……」
 カイは拗ねたように上目遣いで見てくるアイリスの頭に手を置く。まるで兄と妹のような光景だった。
「……ああ、さっき報酬金をもらってきた」
 そう言ってカイは親指で背中の袋を指差す。
 そんな他愛のない会話の中、アイリスは何か忘れているような気がしたが、その疑問はすぐ解消された。
「あ、あのぅ……」
 アイリスでも、カイでもない声が聞こえた。それは幼い少女の声で、その声の持ち主である先程の少女はアイリスに何か差し出すように箱を持った手を突き出していた。それは救急箱のようで、薬品のニオイが鼻腔をくすぐる。何故そのような物を持っているのか疑問に思ったが、特に深く考えずにアイリスは救急箱の中から消毒液と当て布と包帯を受け取り、少女に礼を言った。
「あ、ありがとう……。ええと……」
 アイリスが困惑していると、何か察したのか少女は笑って言った。助けられたばかりでその相手にどう接していいのか判らないとでも言いたげで、その笑顔はぎこちない。
「リースと申します。……リース・エルナート・ペルーペス。それがウチの名前ですぅ」
 ——お礼がしたい。その少女、リースは続けてそう言った。