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Re: ロンリー・ジャッジーロ 第三章-5 ( No.90 )
日時: 2010/08/11 19:25
名前: こたつとみかん ◆KgP8oz7Dk2 (ID: QpE/G9Cv)
参照: 講習は辛いー! へるぷみー!

第三章『鐘の戯言、菖蒲の羞恥』⑥

 AR千九百三年、ヴィ・シュヌール南地区の端の町。腐臭が漂い、生活感など微塵も感じさせない貧民街でニーベル・ティー・サンゴルドは産み落とされた。
 ニーベルの母親は娼婦であり、生きるためにその身を男たちに売り、間違いで誰との子供かも判らないまま妊娠してしまい、産んだあと彼女を貧民街の道端に捨てた。
 ここに産み捨てられた子供たちは勿論他にもいる。加えて、その子供たちは同じ境遇の人間を仲間として自分たちの中に迎え入れる。そういった習慣がそこでは有名であり、ニーベルも例外ではなく彼らに拾われた。
 彼らのリーダーの名前は最年長のエリック・スミス・サンゴルド。年齢は当時十歳であった。名前は捨てられる前に付けられたそうだ。彼は六歳まで娼婦である親と一緒にいたが、「子持ちじゃ商売がはかどらない」とここに捨てられたと話している。以後、生まれたばかりの子供やまだ自立精神のない者を見つけては“家族”としていた。
 ニーベルが物心付いてからになるが、その中でも目立った人間は複数いた。エリックの一個下の年齢で、右腕的存在のイーファは生まれつき左腕が欠けていたが、明るい性格だった。彼と同い年で口数は少ないが、誰よりも“家族”を大切にするジェイル。ニーベルより歳がひとつ上で、ジェイルへ密かに思いを抱いているミィ。毎日のようにリストカットを続ける精神異常者でミィのふたつ年上のフクマ。手癖の悪いデイビットはフクマより三歳年上の心優しい少年で、盗ってきた食べ物はほとんど他人にあげてしまう。酒や煙草、ドラッグにまで手を出してしまったエリックと唯一同い年のレヴィ。彼女は皆からの信頼は薄かったが、“家族”が傷つけられるとその相手を絶対に許さずに復讐するほど仲間意識が強かった。
 ニーベルはエリックに名づけられた。ファーストネームには特に由来はなかったらしい。マザーネーム、いわゆる母方の苗字はエリックがたまたまニーベルの母親の名前を知っており、それを取って付けたと言う。ファザーネームはエリック自身のものだ。
 それから六年、彼らの“家族”になって六歳になったニーベルは生きるための術を見に付けていった。掏り、引ったくり、強奪、追い剥ぎなど、法のないこの国では何ら問題ない事柄だ。罪悪感はあるものの生き延びるためであるから、一切の情けは掛けられない。
 着るものは捨てられた襤褸などを繋ぎ合わせたもの。食べる物は良くて乾ききったパンや形の悪い作物で、大抵は人々が出した残飯や貧民街に巣食う鼠などを焼いて食べている。清潔感の欠片もない彼らを同情する者は誰もいない。それどころか、病気や穢れの象徴だとして意味もなく石を投げていく人間だっている。そういった環境の中、まともな人格を形成できる人間などいるはずもない。
 その歳の冬、雪が降ることは珍しいとされるヴィ・シュヌールで雪が降り出した日のことだった。
 ニーベルたちが普段から寝床としているゴミ捨て場の路地にひとり、おおよそ貧民外の風景に似合わない身なりの少年が足を踏み入れた。その少年は見るからにして年齢は十歳も行かないだろうというほど幼く、動物の毛皮で仕立てられたコートを羽織っており、“家族”が生き延びるための絶好の獲物だった。しかし相手は子供、境遇は違うとはいえ自分たちと同い年かそれ以下の人間から奪うなど、良心が許さなかった。
 それは誰もが思っていたらしく、いくらその少年が近づいてきても誰も相手にしないでいた。無知とは恐ろしいものだ。少年が目の前にしている人間は生きるためならば手段は選ばない貪欲な精神の持ち主だ。たまたま誰も手を出していないが、連中が本当に少年から略奪しようとしたらその場には何も残さないだろう。
 勘の鋭い動物なら逃げ出してしまいそうな緊迫感の中に、どこか親しみやすい雰囲気を直感で感じ取ったのだろうか。少年はイーファに声を掛けていた。
「ね、ね、おにーたん」
 寒さに耐えるために身体を丸くしていたイーファは気付かぬうちに眠ってしまったようで、完全に開ききっていない目を擦りながら起き上がった。
「ん……」
 当然ながら彼は驚いていた。起き上がれば目の前には見知らぬ少年がいるのだ。並みの精神の人間だったら誰でも驚く。しかし、少年はそんなこともお構い無しにトリガーを引かれたままの機関銃の如く話し出した。
「あのね、あのね、ぼくね、ままとぱぱとね、いっしょなのにね、いなくなっちゃったの」
 どうやら教育がまだ十分に行き届いていないらしい。説明がはっきりしない喋り方だ。イーファは寝起きで完全にエンジンが掛かっていない脳をフル稼働させ、今聞いた話の内容を整理して意味を捉えようとしていた。
「……ええと、ボクちゃんはママとパパと一緒に出掛けてたけど、迷子になっちゃったってことかい?」
 あの程度の説明で理解できたイーファには感服せざるを得ない。少年は理解してくれたと察すると、元気良く返事をして頷いた。
 少年の期待と安堵の感情とは裏腹に、その他周りの“家族”たちの心は完全に冷め切っていた。何故自分達より恵まれている子供を助ける必要があるのだろうか。身包みを剥がされずにここから離れられるだけ幸運だと思って欲しい。助けてやるのならそれなりの報酬を用意するべきだ。といった風に心に持った感情は憎悪に近い物だった。イーファとてその中のひとりだったが、少年の顔を見てそれは揺らいだ。
 少年の顔はひどく赤くなっていて、熱を持っているように見えた。耳を澄ませば息遣いも荒く、大分呼吸に苦しんでいることが伺える。足に目を向けると震えていて、少し手を伸ばせば崩れ落ちてしまいそうなほどだ。
 イーファは迷いもなく目の色を変え、片方しかない腕で少年を担ぎ上げた。周りの連中が不審に思って見て、「止めておけ」などと制止したが、彼は怒鳴って言った。
「こいつ風邪を引いてる! 早いとこ医者に見せてやんねえと冗談抜きで死ぬかもしれねぇんだよ!」
 それに対してレヴィが反応した。
「ほっとけばぁ。別にィ、あたしらに関係なくねェ? むしろぉ、ここでくたばってくれたら金目のモン漁り放題でイイじゃん」
「良い訳ねえだろうが! こいつぁまだガキだってことも判っててテメェらが動かねえっつうんなら、俺ひとりででも行ってくる……!」
「おい、待てよ!」
「……俺も行く」
 そう言って飛び出していったイーファの後を、まずエリックとジェイルが追った。
「あ、あたしも……!」
 ジェイルが追って行ったからかもしれない。その次に走り出していったのはミィだった。それからニーベルとデイビットを含む数人も付いていった。路地裏に残ったのはレヴィ、フクマ、他十数人だ。
 暫くして路地裏にひとり戻って来た。デイビットだ。彼は戻ってくるなりレヴィとフクマの腕を掴んで半ば引きずりながら連れて行った。
「お前らも来るんだよ!」
「あら、あらら〜?」
「何するの……」