ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: リンゴ ( No.4 )
日時: 2010/07/10 19:33
名前: 由愛 (ID: L6rZBPa0)

運命の日は、思いがけなくあっという間にきてしまう。
ノアは昨日、全然眠ることができなかった。
白雪の言葉と、運命の日というのが彼の頭に重くのしかかってきたのだ。
いつも通りの朝食の時間だったが、白雪は普段どおりに笑ってはくれなかった。
仕事をしている最中も。お昼ごはんだって、作らせてくれなかった。
白雪がこんなにもよそよそしい理由は、いくら鈍感なノアでも分かる。
自分が悪いのは分かっている。
しかし、白雪の幸せを願うのならば、ノアはどうすることもできないのだった。

そして、迎えたお昼下がり。
小人達は木を集めに行き、ノアは出かけてくるといって外へでた。
小屋の近くの大きな木の陰に隠れて、ドアの辺りが一番良く見える位置に座った。
深呼吸をして、落ち着こうとしていると、ラークがノアの鞄からひょこっとでてきてこういった。

「始めに言っておくけどね。間違っても出て行ったりしないでよ」

余計なおせっかいだな、と思いながらも、ノアは

「分かってるって」

と答えた。

「絶対だからね。たとえ、彼女が倒れて……」

「それ以上言わないでよ」

ラークの気遣いに少し不満を覚えたのか、最後は軽く突き放した。
しばらくすると、真っ黒な布で体を包みこんだ者が小屋の入り口のほうにやってきた。
体型からして、おそらく女性。腰が曲がっているところから、老婆のようにとらえられる。
右手には陰気臭い杖を、左手には赤い果実の詰まったかごを持っていた。
彼女こそ、白雪の継母が変身した姿である。
継母は小屋のドアを強く叩いた。少ししてから、白雪がそうっと戸を開けた。

「えっと……どちら様でしょうか」

始めてノアと会ったときのように白雪はおずおずと尋ねる。
すると、継母はしゃがれた声で、

「なあに、あたしゃただの林檎売りだよ。お嬢ちゃん、林檎はいかがかね」

と話しかけた。

「いえ……今は必要ないですわ」

白雪が遠慮がちにそう答えると、継母は、

「あらあら、残念。この林檎はとてもおいしいものなのに」

とあたかも残念そうに答えた。

「そうなのですか。でも、今は小人さんたちがいないし……」

少し林檎を食べてみたいと思ったのか、白雪の声が幾分悲しそうな声になった。
その微妙な違いを受け取ったのか、継母がにやりと笑った。

「そうだ。嬢ちゃん少し食べてみないかい? 一口だけならおまけするよ」

「そうですか。それなら一口だけ……」

林檎を食べたいという誘惑に負けて、白雪の手が継母の持つかごの中身にそっと触れる。
そして、少しためらってから、林檎を一つ、細長い指で取った。
しばらくその紅をうっとり眺めてから——やがて、一口、かぷりと食べた。
その瞬間、思わずノアは目を瞑りたくなった。
何も見たくなかった。
林檎を食べた白雪は、眠るように倒れこんだ。
白雪の齧ったあとが残っている林檎が、ころりと落ちる。
その様子を、継母は眺め、やがて笑った。
それは高らかに、嬉しそうに。
継母は白雪の呼吸を確かめてから、再びにやりと笑い、その場を去っていった。

ノアには分かっていた。

ノアの頭の中には、有名な話の大筋の一部が入っている。
勿論、この白雪姫の話も。


あの林檎は継母の作った毒林檎で。
あの瞬間白雪は命を落としてしまって。
そんなところをただ見守ることしかできない自分が悲しくて。

ノアの服は、いつの間にか塩辛い水で濡らされていた。