ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: Ravinalog γブラック・ラビットγ ( No.9 )
日時: 2010/07/09 06:48
名前: ヨシュアさん ◆FdjQaNCWZs (ID: bQobMYPz)

第五話  ——白雪月姫——

俺は通い慣れた病院の通路を歩いていた。
実は塗りなおされたんじゃないかと疑ってしまうほど綺麗に磨かれた白い床。ナースがいつもカートのようなもので運んで散布しているつんと鼻をつく薬品の匂い。横を通り、軽く会釈をしてくる医者や患者。何もかもがいつも通りように見えた。

だが……何かが違う。入り口兼出口から、この病院に入ってきたときから、妙に病院内は慌ただしい雰囲気があった。

そして、俺もいつもとは違い二人の少女を率いて、いつもの病室へと向かっていた。

「ナースさん達とは顔見知りみたいね」

リィハは挨拶代わりの会釈をしてくるナースに同じ会釈で返しながら言った。

「まぁ……別に仲が良い訳じゃないけど、あっちはそこそこ見慣れてるんじゃないか?」

俺はそれに素っ気無く答える。

ちなみに日和は病院が物珍しいのか、口を閉じ、さっきから頻りに首を動かして辺りを見ていた。正直、病院で五月蝿くされたら、困る俺にとっては静かで好都合だ。

日和ほどとは言わないが、リィハも少し物珍しそうに周りを見ている。

「それで……あなたが向かってる部屋はどこなの?」
「この西病棟の333号室だ」

白い壁に取り付けられたこれまた白いスライドドア。そのスライドドアには番号が記入してあった。——331号室——

もうひとつのスライドドアを通り抜けた先。そこがあいつの……。白雪月姫の病室だった。

333号室のプレートが付けられたドア。ドアの横にある壁には『白雪月姫』の表札。

俺は一瞬躊躇して、ドアに掛ける手が止まる。

本当に……こいつらを連れてきて良かったのだろうか? 月姫のところに。

俺は自嘲するように微笑んだ。

いや、月姫ならこう言うな……。
“そんな些細な事実を気にする余裕があるなら、もっと他人を気づかったらどう?”

今更迷う必要なんて、無い——。

俺はドアに手を掛け、開けた。

決して曇ったり、雨が降ったり、することの無い夕晴れに透かされたカーテンの何とも言えない光に一人の少女は照らされていた——。

雪のように白い手。雲のように白い頬。月明かりのように白く、長く伸びた髪。そんな人形のような人間が一つの乱れも無いベッドで“ねむり姫”のように目を閉ざし、天井に向いて眠っていた。

美しい光景なのかもしれない。だが、同時にこんなものを美しいと思ってしまう自分がたまらなく醜く憎い。

月姫——。

「綺麗な人だねー」

部屋に入ってきた日和が言った。眠ってる月姫を起こさないためか、声を出来るだけ小さくしているようだ。

「うん……本当に綺麗ね……」

続いてリィハも同じように言う。

俺は何となく誇らしかった。別に月姫とは恋人という仲じゃなかったが、綺麗と呼ばれる友人がとても誇らしく思えた。

だけど、これは作り物の美しさだ——。月姫は起きない……。
喋ってくれない。話を聞いてくれない。笑顔を見せてくれない。冗談を言ってくれない。怒ってくれない。悲しそうな顔を見せてくれない。下手な料理も作ってくれない。歌も歌ってくれない。今日も明日も明後日も、ずっと……。
起きていた月姫の方が何百倍も美しかった。普段、気づかないぐらいに美しかった……。
そう、俺は気づかなかったんだ——今、月姫は……。

「月姫は……6年眠ってる。ずっとここで……」

それを聞いたリィハは目を閉じて、何か考え事をしているようだった。目を開けて、もう一度月姫の顔を見ている。納得した、ということなのだろうか?

日和の顔は驚きで満たされ、ゆっくりと口から零れるように言葉が出る。

「6……年……」

俺は眠り続ける月姫を見つめる。
これがおとぎ話なら、どれだけ良かったんだろう……。目の前に眠るのがどこかのお姫様で、俺がそれ見つけられたなら、キスで目覚めるなら、俺は迷わない。たとえ起きたときに怒ったとしても。

部屋がしばらく音を失ったような沈黙に包まれる。

「月姫さんは……黒兎にとって、どういう存在だったの?」

リィハがこの空気を破るように口を開いた。

どういう存在——。

友人——の一言で片付けてしまうのは簡単だったが、俺にとってそれ以上の存在であることははっきりとしている。だからといって、片思いしてきた想い人というわけでもなかった。

だからこそ、俺はこう答えるしかなかった。

「パートナーだよ。クロウサギの、最初で最後のパートナー……」

白雪月姫。シロウサギ——。

「今日、初めて来た私が聞いていいことなのか、わからないけど……何故、月姫さんは意識を無くしているの? 六年も……」

珍しく遠慮がちに聞いてくるリィハ。こうなった理由を本気で知りたいんだろう。

俺はゆっくりと目と閉じて、一生かかっても忘れられそうにも無いあの時の光景がすぐに脳裏に浮かぶ。

俺は「わかった……」そう呟くように言った。

出来るなら、あまり思い出したくない……。
出来ることなら、自分の記憶の中から削除してやりたい……。

でも、俺は……決めた。俺はクロウサギ。

黒い兎だからこそ、俺は——。

“逃げ道から逃げ続ける!”