ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 汝其処に在るは愚者の願望 ( No.4 )
- 日時: 2010/06/11 19:18
- 名前: みるくちょこれーと (ID: zuIQnuvt)
- 参照: 1.摩訶不思議な出来事は誰かの仕業—前半
1,摩訶不思議な出来事は誰かの仕業
見上げれば、あの海のような青を白を混ぜて薄く滲ませた空は、見事に熟す前のリンゴのような色をした若々しい幾千もの葉たちに覆われ、すっかり緑という緑の空になっている。そのお陰でこの空間は太陽光を遮断され、やっと五〜六メートルほど薄暗く見えるほどの暗さになってしまった。その緑の空も、黒か緑か判断付かないほど分からなくなる。
それに“何か”の気配がする。背筋をピンと真っ直ぐさせるような殺気と、異様な視線を感じた。“何か”に尾行られて——いや、狙われている。彼方此方から、四方八方から。時々、まるで耳のそばで蠅が飛んでいるような音が、この空間に大きく反響する。草を掻き分ける音、まるで大きな生物が地面を響かせ歩いてくる音、全てこちらに向かってきている。
そんな暗い異様で不気味な空間にて、一人の青年がそんな音を気にせず、何処に行くかも分からず、ただ只管歩いていた。
青年は何かに枯渇し、何かを求め、何かを探していた。その『何か』というのは彼自身わかっていない、というよりわからない。自分の名も、自分のことも、出身地も、両親の顔も、家族がいたかどうかも、自分は生きているのかも、何もかもわからない。
この空間に来る前に、ある旅人にそれらのことを聞けば、自分は俗にいう『記憶喪失』らしい。珍しい病気だそうだ。何か強いショックを受けて記憶がすっぽり無くなったか、魔術の詠唱に失敗したか、そういう類の魔術をその身に浴びたか……などその病気が起こる原因はこの世界では特定できていないと、その旅人から聞いた。つまり、治療法わからないということだ。
「ホントかよ」
そのことを思い出したのか、青年は「はあ」とあきらめと悲しみを交えた溜息を、その口から零した。
だが、その溜息をもう一度吸い込むかのように、大きく深呼吸をする。そして、その細い腰のベルトに挿してあった、わずかに反っている片刃のない剣の柄を右手でつかみ、漆塗りの鞘から抜いた。ほんの少し差し込む太陽光がその刃に反射し、まるでその剣は自らの存在を主張しているように、怪しく輝く。
青年は剣先を、何も無い目の前の暗い空間へ向け、右足を静かに音を立てずに後ろへ二歩分退げる。
そうすれば、後に青年の口はゆっくりと開き、神への冒涜とも言えない言葉を発する。
「神の遣い、ねえ……そんな姿しててそんな事が言えんかよ。気持ち悪い」
◆◇◆◇◆
ぐしゃ、まるで果実が潰れてしまったかのような音。ぶち、まるで果実を思い切り毟りとるような音。ぐりゅ、まるで果実を指で抉っているかのような音。ぐちゃ、まるで果実を噛み潰しているかのような音。不快音の羅列。
ああ、気持ち悪いねえ。反吐が出そうだ。こいつらの切れ味といったら堪ったもんじゃない。気持ち悪い、気持ち悪い。
青年は、自身の白に近い少し光沢のある銀色の髪を靡かせながら、成人男性二人分の大きさもあろうかという、暗く濁った青色の甲殻と棘のある八本の足を持つ巨大な虫や、ライオンとも似ても似つかない猫顔な顔面と黒牛のような、見た目やけにサラサラとしてそうな短い毛を生えさせた胴体を持つ獣など、とりあえずいろんな生物たちと戦闘を繰り広げていた。
彼の足元には、生物だったと思われる生物の死体が幾つも転がっている。
顔の無い、黄色い液体まみれの巨大な穢らわしい蠅と思しき胴体や、十メートル近くはあろうかという大蛇が、綺麗に頭から尾にかけて真っ二つに裂けていた。その他にも、臓器が露になっているものや、あり得ない方向に首らしき首が曲がっていたりする死体もあった。
——片刃のない剣を、目の前にいた人間の手足が生えた鷲のような鳥人の胴体に、右斜め上から振り下ろす。すると、その斬られた部分から人の血液よりさらに黒い、大量の血液らしき液体が噴出した。斬られた鳥人は甲高い醜い獣の叫び声をあげながら、その場に崩れ落ちていく。その血液らしき液体を浴びながらも平然としている青年。そのせいで彼の銀色の髪が赤黒くなっていた。
この生物の血液は人間のように鉄臭くは無いが、腐ったトマトのような異臭がする。早く水でもお湯でもいいから被りたい。全身に。
そんなことを思っていると、後ろの茂みから狂い笑ったような人間の声ではない声が微かに聞こえた。
ああ、この声はまさか。
「後ろかっ」
彼は振り向く。
やはりあれか。
茂みの奥から、巨大な蟷螂が鋭い苔のような色の鎌を掲げ、四本の足を使って走ってくるのが見えた。しかも、二体。その走ってくるスピードは自分より遥かに速い。彼が瞬きする間に六〜七メートルずつ距離が縮まって行く。だが、前方には二体の化け物が立ち塞がっていた。先程のライオン顔の獣と巨大青色甲殻虫である。
今この目の前にいるヤツらと戦っても、後ろのヤツらはあっという間の速さでこっちに来るに違いない。そうすればジ・エンド。目の前の二体は弱い方の生物だけど、あんなスピードがあるヤツと戦えるかボケ。じゃあ、どうする。いやどうすればいい。
「糞っ」
そう吐き捨てた直後、聞き慣れない、男としては高い声が頭上から聞こえ始めた。
「先人は言いました。『火』は全てを焼き尽くす、神が創りし『罪』だと。ならば我らがその罪を利用して見せましょう。第三十五の術、“業炎邪火”!!」
○後半へ○