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Re: スパイは荒事がお好き—— ( No.88 )
日時: 2010/11/14 21:16
名前: Agu (ID: gzQIXahG)







目の前で崩れ落ちた男、ゴードン=ゴロプを見て、“大佐”はその顔を歪め、軍帽を脱いだ。
いつだって殺しは気持ちの良い物ではない……


「スパイって酷な仕事だよね……」


その口から出てきた言葉は先程の威厳ある“大佐”の声色ではなく、寧ろ、人が良い好青年が出しそうな声であった。
今まで軍帽を深く被り、あまり人前に見せなかったその顔。

癖毛が混じったプラチナブロンドの髪にあまり見かけない紫色の目には涙を溜めている。
全体的に猫の様な、何処か温和な顔付きだった。

彼が先刻まで厳格なる軍人であったなど誰も信じないだろう——ただ、名残を示すものも確かにある。その約2mもの身長と屈強な体つきがそうだ……


「辞めたくなったか?」


ドイツ国防軍情報部、通称“アプヴェーア”の制服と黒いコートを纏っていた男の一人が、そう“大佐”に告げる。
“大佐”はもはや物言わぬ死体となったゴードンから男の方向へ視線を滑らせた。


「僕はいつもそう思ってるよ」


半ば苦笑しながら答えた“大佐”に、黒コートの男も微笑する。


「私もだ、“イヴァン”」


ドイツ国防軍情報部大佐、ではなくソ連国家保安委員会、所謂KGBのスパイであるイヴァン・カルメフスキーは、その返答に少し頬を緩ませた———

不意に、そんな彼らに声が掛かる。


「ハンニバル、イヴァン」


二人を呼んだのはやはり黒い制服に身を包む男。
軍帽から、特徴的なトゥヘッドの髪がはみ出ている彼の顔付きはかなり整っていて、身体もスラッとしている。
何処かの雑誌でモデルでも務められそうだ。

彼は呼びかけた二人、イヴァンとハンニバルが自分に視線を向けるのを確認すると、少し早急に話し始めた。


「襲撃部隊の連中が呼んでるぜ、“感謝の意”を表したいだとさ」


それを聞いた黒コートの男、ハンニバル・アンダーソンは静かに軍帽を脱ぎながら、イヴァン、そして呼びかけてきたトゥヘッドの男の顔を相互に見る。

彼は答えた。


「個人的にはサッサと“帰宅”したいんだが………まァ、連中と“パイプ”を持っておいても、損はないだろうよ」


それに続いて残りの二人も言葉を漏らす。


「……疲れてるけど、仕方ないかぁ〜」


「うっおっほん。ま、エールでも奢ってもらおうじゃないか、ええ?」


「ニック、君は調子が良いんだから!まったく……」


何処ぞやの尊大な老人を皮肉っぽく真似したトゥヘッドの男、ニコラス・ブロウニングにイヴァンが笑いかける。
ハンニバルもそれに微笑しながらも、静かに言葉を放った。


「先に行ってくれ。まだ用が残ってる……」


ハンニバルの言葉に彼らは少し真剣な表情になるが、すぐにそれを崩すと、手を振りながら横転するトラックの間に消えていった。

二人の後姿を見届けながらも、ハンニバルは少しだけ考える。人殺しの後に笑える自分達は、市民から見ればもはや化け物と相違は無いではないのかと。
彼は口元を歪めながら、手元にあるワルサー拳銃を地面に放り投げた。


「くだらないな」


余計なことを考える暇などない、私は軍人で工作員なのだから。そう自分に言い聞かせながらも、彼は自問自答せずにはいられないのだ。
戦争という生き物は、暴力という生き物は、こうまで人を醜くしてしまえる物なのか。

まだ自分がほんの子供だった頃、純粋なる愛国心を胸に抱いていた頃。

彼はその時の思い出を脳裏に蘇らせながら、死体となったドイツ軍兵士達を見下す。
その中でも、一番奥にうつ伏せとなって倒れていた、そう生前はゴードン・ゴロプという名であった死体へと、彼は近づいていった。


ハンニバルはその場にしゃがみ込み、うつ伏せとなった死体を動かす。
ゴロンと回転し仰向けとなったゴードンの顔には、はっきりと驚き、そして絶望の表情が焼き付いていた。


“スパイ”は嗤う。

彼の手はゴードンの軍服の襟元に伸び、そこで光っていた鉤十字を乱暴に取り去った。


そうして“スパイ”は立ち上がり———








「Schones Wöchenende(良い週末を)」





その口元から一つの言葉が紡がれる。