ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: いつだって、そうだった ( No.5 )
- 日時: 2014/05/30 17:25
- 名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: U0ZlR98r)
◆素直な者
「では、これで」
そう言って護衛を務めたレイモンドは、行商人から報酬をもらう。枚数を念のため二度数え、二重にした麻袋にジャラリと流し入れる。
「あの、その……レイモンド様?」
雇い主である行商人達が行ってしまった背中を見ていたレイモンドの隣に、少女が一人。今は高価なローブを頭からすっぽりとかぶり、一見どこかの修道士か聖女かといったところ。しかし先程まで砂漠で行き倒れて、危うく死にかけたという憂き目に遭った身である。
そんな彼女が、身長差的にもレイモンドを見上げた目には。……そもそも砂漠の町ナバールの城壁が見えた辺りから、レイモンドに絶大な期待を込めた眼差しを送ってくるのだ。これに気付かない男はいないだろう?
「何だ?」
その答えを知りながら、レイモンドは淡々と地図を広げる仕草をする。それは意地悪心から。少女は何かを言わんと口を開きかけたが、暫く思案し、結局は焦げ茶色の目を伏せて、蚊の鳴く声でこう言った。
「町に、入ってみたい……です」
素直な少女の報酬として町を見ていくことにした。思わずレイモンドは少女に向けていた顔を、不覚にも笑顔に変えてしまう。レイモンドが素直で結構と少女から目線を逸らした瞬間。
「レイモンド様はとても素直ですね」
蚊の鳴く声が隣から聞こえた。
それも、皮肉めいた言葉なのに、あっさりと。
レイモンドとしては、素直な少女をからかった前途と少女の笑顔とで喜んでいいのか分からない、なんとも絶妙なタイミングの不意打ちだった。動揺するな、と顔を固めたのがまずかった。
素直と言われて固まるレイモンドは、誰がどう見ても動揺が隠せないのがバレバレである。少女はひらりとレイモンドの隣を抜けて、こちらを振り向いてトドメを刺した。すなわち。
「レイモンド様は、やっぱり素直です」
頭にかけたローブをはずす仕草で、しかもこんな笑顔で言われてしまえば怒る気力もうせるもの。無邪気とは邪気が無いと書くわけで、邪気のない者に怒るなど器が知れたも同然。
結局レイモンドには返す言葉は無いのだった。
*
賑やかな街とは、活気のあふれた街であり、その活気は人が発するものである。ただでさえも暑い町に、活気と熱気は鰻昇りだ。そして、人がいれば店もある。そこに住む人の生活を支える店も増えれば、町の規模は大きくなるもの。きっとこの町は今よりもっと大きくなる。
「ナバールは元をたどればオアシスの町だ。それも、詩人が水とともに人も湧き出ると言われるほどのな。しかし海が近いわけでもないこの町は、なんで人で賑わうと思う?」
レイモンドは少女に謎かけをした。やられっ放しは男が廃ると思った訳ではないが、負けっぱなしは誰だって悔しい。それも、少女に。
「……港がなくて、砂漠の広がる街のにぎわい……」
少女は眉に軽くしわを寄せて考え込んでしまった。レイモンドとしては楽しいのだが、会話が無くなってしまったのと、塩も知らない世間知らずに意地悪が過ぎたと思いヒントを出すことにした。
「ヒントは辺りを見てみると良い」
「辺り……」
人は誰だって過去を思い出す時は遠くを見る。少女は通りを歩く人にぶつかりながらも考えているようだ。門を通る前の風景は? 今現在、干しレンガ造りの建物の隙間から見える風景は? そして------
「わかり、ました」
雑踏に呑まれながらもレイモンドの裾を引いてこう言った。その目には、透き通った自信が踊っている。まだ答えを聞かぬうちから、レイモンドは正解だろうと直感した。
「山を越えるには危険がある。荷馬車も馬も、山には苦戦する。そして砂漠の横断の時に、ナバールを通らずに横断するのも難しい……」
「正解だ。海が無くとも、貿易は人がいれば成り立つし、大昔は水があるかどうかが発展のカギだったのさ」
だからこそ、それでも危険な砂漠を越えるのには旅慣れた者と護衛が必要とされるわけである。レイモンドも一度は商人の道を進みたいと懇願した事もあったが、少女の言う通り偽れない正直者の性分のせいで断念した。それも、この町で夢をあきらめた。
ご褒美に露店で革袋を一つ、少女に買ってやった。少女の腕に落とされたときにぽしゃんと音を立てる。突然の重量に、少女はふらつきながらも、勘定を済ませたレイモンドに早足でついて来た。
「……これは、水ですか?」
「やっぱり知らなかったか。--------これはラカナーと言ってな、この町では大人も子供も飲む。ほら、そこの露店で売られてる黄色い果物を山羊の乳で薄めたものだ」
最後に、美味いぞと一言加えると、少女はつぼみが開いたように笑顔になる。その笑顔は、ハッとするほど美しい。両手でラカナーの入った革袋を抱いているあたり、良い育ちのお嬢様のようだ。
--------もっとも、本当のお嬢様が砂漠でたった一人彷徨っている訳が無いのだが。
こう見えてもレイモンドは戦地や仕事を求めて各地を回るため、ある程度の知識を備えている。ラカナーはレイモンドの故郷でも飲まれていたし、なにより旅に出た者は故郷にあった物を見れば自然と嬉しいものだ。得意になってズラリと並ぶ露店を指さしてあれも美味いぞと話している時だ。
「いたぞ! こっちだ!」
いくら人が多かろうと、物騒な会話が聞き取れぬようでは護衛失格。一体何の話だろうかとレイモンドが話を中断した瞬間。
少女がレイモンドの手を強く握った。普通ここは赤面するところだが、少し少女の手は汗ばんでいて、震えていた。様子がおかしい。先程まで浮かべていた笑顔とは違う笑顔で、こう言った。
「レイモンド様、楽しかったです。でも、ここでお別れですね」
そう言って少女は握っていた手を離し、人混みの中を縫うようにして消えてしまった。あっと言う間の出来事で、しばらくレイモンドは動けなかった。何を言われたのか耳が受け付けず、ただただ少女の消えてしまった辺りに視線を彷徨わせていた。
ついさっきまで、自分の隣にいて楽しそうに話を聞いていた少女が。自分の手を握ってこちらを見上げていた少女が。そう思って手を握り返しても、実感がわかない。……今更手に残る感触を握り返しても遅すぎた。
手から滴る、少女の持つ革袋からこぼれたラカナーだけが、少女が今さっきまでいた事の証拠だった。
「逃げたぞ! こっちだ。追え、追え!」
直後に二人の男がレイモンドを突き飛ばして人混みをかき分けていった。レイモンドは我に返り、そして男達が行ってしまった方を見る。丁度、少女が消えた方向だ。そうなれば、男達の目的は言わずと分かる。
レイモンドはもう一度、少女が握った自分の手を見る。彼女は依頼主でも何でもない。そして、自分はどこかのヒーローでもないのだ。たまたま出会っただけの少女の為に、危険を冒すのは得策ではない。ましてや未だに素性も知れぬ訳有りの人物にかかわる所以もない。
------そう分かっていながら、レイモンドは走り出した。得策ではない。しかし。ここで追いかけないでいて、今夜は寝れるだろうか。
いつだって、容易い事と正しい事は紙一重であり難しい問題である。そして大概人が悩む時と言うのは、やるかやらないかのどちらかだ。
こんな気分になることは、いままでだってあった。この、腰で揺れている剣を片手に、人の生死を分ける時。そこに本当の正しさがあるのかと悩んだりもする。正義とは、勝者が敗者に向けて、己の正当化のために作り上げる事だと昔どこかで聞いた。
レイモンドは、自分が正しいのかが分からない。ただ、馬鹿に素直な自分だからこそ。そう思ったまでだった。