ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: いつだって、そうだった ( No.6 )
日時: 2011/08/15 00:00
名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: IpYzv7U9)

◆駆ける者


人通りが減ってきた。活気のあった商業区と違い、今いるところは寂れた印象を受ける。この不慣れな町は実に複雑な構造だ。ふと脇に道があると思えば、そこからまた二又にも三又にも別れていく。

そんな迷路の様な町を一人少女が駆けてゆく。少女は追われていた。その理由は少女自身が一番自覚している。けれどひとつ計算違いがあるとすれば、思っていたより早く居場所がばれてしまった事だ。


乱雑に散らかされた木箱を一つ飛び越え、狭い路地を奥へ奥へと駆けて行った。時刻は町の店が閉まりだす時間帯で、砂漠の町はこれから眠りにつこうとしている。ゆっくりと呼吸する街並みを、少女は駆けてゆく。額を汗が流れ、黒髪が顔に張り付き、息があがってきた。足取りもやや重く、何度も躓いて膝はすっかり汚れてしまっていた。久しぶりに走った事と、長旅の疲れがまだ癒えていない事が原因なのは明白。

疲れが隠せなくなってきて、ふと瞼を閉じてみた。散漫になった集中力は、息とともに整うもの。森閑とした閉鎖的な空間を思い出し、深く呼吸を吸う。
しかし、少女の瞼の裏に映ったものは暗い闇ではなく、ある映像だった。いつもの事。たまにこうして目を閉じると、白い霧の様な物が見える時があった。その霧が晴れると映像が見える事があるのだ。それは未来であったり、過去であったり、現在の何処かだったり--------

小さい頃から、ずっと気味悪がっていたこの霧。その霧の向こうに見えるものは必ずしも嬉しいことではなかったからだ。ずっとずっと、気味が悪かった。


慎重に揺らぎ続ける霧を見つめていると、最初はぼんやりと、だんだんはっきり、一人の青年の顔が映った。揺らぐ霧のスクリーンに映し出される光景が一瞬眩く光る。
少女は息をのんだ。まだあがっている息が早くなった。その青年を知っていたのだ。その青年は、顔も服も赤黒く汚れていた。怪我をしているのかもしれない。そしてその目は、感情なんてないような生気の無い目。血の気が無い白い顔。不自然に折れた左腕。------まるで壊れた人形のように彼は立っていた。その立ち姿に知っている青年の影を重ねるが、あまりの変貌ぶりに少女はしばらく呼吸を忘れた。

その青年がゆっくりとこちらを振り返り、ぱりぱりに乾いた口を少し開いて、白い息と共に呟くように言葉を--------

「レイモンド様!」

思わずそう叫んでいた。二粒の涙がはらりと転がった。そして、少女は自分がまた夢を見たのだと思いだした。幸運にも叫びを追手は聞きつけていないようだ。
それより、少女は心臓の音が止まらなくなってしまった。先程の、白い靄の中の鮮明な映像が頭から離れない。レイモンドという、先程別れを告げた青年の姿が。不吉な予感がする。あの姿は彼の過去の姿? 未来の姿? 分からないからこそ少女は、霧の出てくる夢が嫌いだった。怯えていた。


追手に追いつかれるか、この砂漠の町ナバールで無一文で彷徨うか。どうせなら、自分のちょっと先の未来が見えればいいのにとまた目を閉じたが、もう白い霧は現れなかった。見えなくて良かったと安堵するも、どうなるか分からない未来が怖くてたまらなかった。



          *


レイモンドは何度かこのナバールに仕事柄から訪れてた事がある。初めて砂漠の門を潜り抜けた時、当時の彼は十一だった。知識も経験も実力も無かったが、商人になりたいという夢を持っていた幼き自分。その自分を、この町に来る度に思い出す。

そして、砂漠の砂が水を吸うように夢は消え去り、その手にはいつの間にか羽根ペンは握られておらず、借金しか握られていなかった。

知識も経験も実力も持っていなかったレイモンドは最早、剣しか握ることが出来なかったのだ。各地の戦場を巡り、時に護衛を務めて生きていく。なぜ、血生臭い生き方しか出来なかったのだろう?

借金と毎日の生活とで安らぎなど無い生活。もしこの砂漠を出れるだけのまとまった金が出来たら、海に行きたいと思っていた。漁師になってもいいかもしれない。海を渡って新天地を求めてもいいだろう。

……けれど、日頃の生活でさえ苦しい今のレイモンドには届かない未来。

そんな幼稚な願望にすがるように生きていた彼の目の前に、一人の黒髪の少女が現れたのだった。世間知らずで、深層の姫君のような少女が。

そして彼女はレイモンドに多くを語らず消えてしまった。出会いと同じように、突然に。
それだけなら追いかける必要なんてない。彼女はただ道中危険だからと、お礼がしたいとついて来ただけだったのだから。


--------それなのに胸に広がる不安は何だ?

レイモンドは自分が馬鹿らしいとさえ思えてきた。たまたま出会った少女が追われているからと言ってなぜ自分に関わるというのだろう?
得するどころか、面倒事に巻き込まれて怪我をするどころじゃなくなったら? 大赤字じゃないか。


そんな商人のような損得勘定で物事を計る自分に、幼い自分を重ねる。それと同時に、そんな冷徹な考えを持ってしまう自身を嫌悪してしまう。
認めたくないが……自分はきっと御人好しで、素直なのだ。------少女が言った通りに。


それでも自分は傭兵だ。信じられるのは己の腕とひと振りの剣。時に金。
だから、御人好しが生きれる様な世界では無い、のだが。
別に少女にまた会えたからと言って、どうするつもりでもなかった。ただ、突然すぎる別れに戸惑った……。こうして走りながら悩んでいる自分は、優柔不断で日和見。嗚呼、なんと情けないのだろう?


その瞬間。


レイモンドは背中に人の気配を感じた。辺りは入り組んだ路地。人が隠れるには絶好の場所だが、人を追い詰めるのにも絶好の場所。不意打ちにも適した場所でもある。

レイモンドはとっさに腰の剣を引き抜き、手近な横道に素早く隠れた。髪が興奮でざわめき立つ。握りなれた相棒の柄を信頼するように強く握る。目が獣の様な不気味な光を帯び、ガッシリした肩が盛り上がる。

いつでも飛び出せるように姿勢を低くし、重心がぶれないように足を踏ん張った。そのまま腕を突き出せば丁度人の鳩尾ぐらいの高さ------レイモンドの武術とは対人に特化しているせいだろう。

茜の空は人の影を長く伸ばす。哀愁を漂わせるには、まだ早い。なぜなら獣は、夜にこそ凶暴になるから。レイモンドが夜行性と言うわけではない。ただただ、押さえられない興奮が背筋を通って頭の中で響くのだ。


レイモンドが先程までいた道から、長い人影が現れた。得物を見つけた野獣の様に、まさに飛びかかろうとしたその時--------------




「がぁ!?」


レイモンドの隠れこんだ路地の、つまりはレイモンドの背後の暗闇から、手が伸びて彼の口といわず鼻といわず塞いだのだ!

狭い路地では上手く体が動かない。ましてや後ろから押さえられた体制では、呼吸どころか、抜け出すこともできない。苦しそうにうめくことさえも目の前の影の本人が追ってならば逆効果である。

------挟み撃ち、だ……と?


狭すぎる路地で自分を抑える腕を振りほどく事も出来ないまま、レイモンドは握っていた剣を脇をしめて後ろの人物に突き刺そうともがいた。背後の人物はそれに気付き、一言こう言った。




「このまま、じっとしなければ……殺す」

砂漠の夜より冷たい一言を。