ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: いつだって、そうだった ( No.10 )
日時: 2014/05/31 01:04
名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: U0ZlR98r)

◆明かす者



「このまま、じっとしなければ……殺す」


注意しなければ聞こえないほどの小さな言葉。短い言葉であろうと、その口調からして相手が本気であると誰でも分かる、そんな一言だった。レイモンドは息をのみ、抵抗を緩めた。刃物を押し付けられたわけでもないのに、金属特有の冷たさがそこに漂っていた。

冷徹な、一言。なぜか、レイモンドは、暗いまでに深い底なしの湖を覗き込んでいる、そんな気分になった。体中の血液が止まったように感じ、鳥肌が立つ。けれど興奮は冷めず、それでいて冷静になれる。妙な感じだ。

腕を後ろで押さえつけられ、口元も押さえられ、されるがままにその場へしゃがんだ。剣を持つ手首を捻って、この拘束を解く事も出来る……だが、レイモンドは何もしなかった。

空は群青を増し、目の前の道を横ぎる影を更に伸ばす。少しでも音を立てれば、影の本人は彼に気付くだろう。緊張の一瞬。雲など何処にもない空。張りつめた空気。息をのむ音。


「おい! 御令嬢は見つかったか?」

一人、しゃがれた声の男が怒鳴りつけるようにもう一人の男に話しかけた。影が揺らぎ、どうやら振り向いたようだ。

「いや……確かにこの辺へ走ってゆくのを見たんだが」

先程の男よりやや若い声が戸惑うように応答する。しゃがれ声の男は声を低く落として、咎める口調でこう言った。

「ウォンレット様の命令だ。生かして捕らえよ、忘れるなよ?」

「あぁ。分かってる。もう少しこの辺を探そう。所詮は世間知らずの小娘、そう遠くへは行ってないだろうしな」

二人の男の会話はそこで終わり、足音は次第に聞こえなくなった。辺りの建物は、西日を受けて最後にチカリと光り、不気味なほど人気のない裏路地に影を落とす。町が、眠りにつく--------見慣れた光景だが、こうも立場が変わると一変して見えるから不思議だ。


どれほどレイモンドは黙っていただろう。足音が去っても、少女と二人、ピクリとも動かずそのままでいた。先に静寂を破ったのは少女の方からだ。細い喉から震える吐息とともに、こう言った。

「レイモンド様……ここは危険です。私といては、危険です。早く逃げて下さい」

この言葉に、レイモンドは解放された口を撫でるようにしながら少し考えを巡らせる。たまたま剃り残してしまった髭に触れて、後で剃ろうと思った。

少女はレイモンドが考え事をしている時、じっとその顔を覗き込んでいた。それは忠実な犬の様で、出し抜いてやろうとする猫の様でもあった。レイモンドの手を押さえていたであろう細い指は、力一杯だったのか真っ赤になっていた。


「ウォンレット卿……まさかここでその名を聞くなんてな」

「……知っていましたか」

ウォンレット家。
その貴族はここ砂漠一帯では知らぬ者はいないだろう。砂漠の町ナバールの絶対の権力者であり、彼の許可なしに商売はおろか、生活さえも許されない。ナバールと近隣の町の領主はここ数年ウォンレット家から輩出され、その権力は幾多の貿易を携え数多の海を越えた外国にまで及んでいると聞く。

莫大な富は人の命さえ時に軽んじる。話が真実ならば、富も権力も独占しているような貴族の名家がこの少女を追っている……。この少女にそれほどの価値があるのだろうか?

「お前は、盗人か? 側室か? 領主にとって、お前は何なんだ?」

「黙っていてごめんなさい。あの……知ってしまったら、面倒事に巻き込まれてしまいますよ?」

「今更、だな。俺は顔は割れて無いが、傭兵が一人、夜の町の裏通りで歩きまわっているなんて、怪しすぎやしないか」

「それは……」

「もう他人じゃない。少なくとも俺は、もう関係者のつもりだったが?」

このレイモンドの洒落に、少女はようやく笑顔を見せた。笑いながら少女は立ち上がり、レイモンドに手を差し出した。聖女の様な穏やかな笑顔をされては、レイモンドがその手を取らない理由は無い。本当は、男である自分が手を差し出すような場面なのだが。

「私は……私はウォンレット家の現主の一人娘です」

覚悟はしていたが、真実を突きつけられれば人は怖気付く。身分の違い……レイモンドが想像した以上の違いだった。レイモンドは少女の真剣な顔をちらりと振り返り、歩きながら真実を噛み締めた。少女は嘘をついていないようだ。

「その御令嬢がなんで砂漠のど真ん中で無一文、食料も水もなしにぶっ倒れてたんだ?」

「それは……」

少し言いにくそうな顔をして少女は俯いてしまった。

少女は悩んでいた。その質問に答えれば、理由を聞いてくるのは至極当然のこと。何もかも悟られてしまっては、彼は必然的に彼自身の命さえもかける事になってしまう。理由を知れば、彼は関係者になる。そして、関係者は、諸共、口封じされるか告発か。何れにせよ彼の人生を台無しにしてしまうかもしれない。

沈黙の後、少女は意を決したように顔をあげ、まっすぐにレイモンドの目を見た。気品、気高さ、優雅なところは成程、貴族様と言ったところか。

「好奇心は猫でなくとも殺します。あなたは、その覚悟が……ありますか?」

「いいだろう。最後までその話を聞いてやるよ」

「そんな軽視できる話ではないのですよっ! 出会ったばかりの他人にそこまでする必要は……」

「もとより、俺は本気だ。どっちにしろ、いつ死んでもおかしくない危なっかしい人生なら今更手放すもんなんて残っちゃいないさ」

レイモンドは少し気取ったように笑顔を作った。今の言葉を言いながら、レイモンド自身驚いていた。自分の本音はこんなにもハッキリしていたのだ。あながち間違ってもいないし、こんな生活が続けば近いうちに散る命。誰かのため、我儘言えば美しい御令嬢のために最後ぐらい役立ててやりたいと。

この砂漠の何処かで、消え行くのなら、誰かの記憶に残っていたい。残酷で身勝手で、でも同じ境遇のやつが沢山いる。レイモンドもその一人だった。その想いを知ってか知らずか、少女は分かりましたと重々しく頷く。

「幽閉されていたのです。外も知らず、人も知らず」

「っ!」

レイモンドは驚きと哀れみで言葉を詰まらせた。そして、徐々に納得していった。少女の賢い割に塩の一つも知らない理由。よく見れば砂漠で暮らす者の割に日焼けはしていないし、纏っている高貴なローブは砂漠で旅をするにはあまり機能的とは言えない。

その全てが少女の孤独な幽閉生活を暗示していたのだ。そして、ある日少女は幽閉先から逃げ出した--------

「しかし、だ。もう一つ聞きたい」

少女の予想通り、レイモンドは疑わしげな表情のまま質問を連ねる。少女が一番聞かれたくない質問まで、まっしぐらに話は進む。
レイモンドが今聞いた話の通りに整理すれば、少女は継承権を持ったままの一人娘であることに違いない。人を雇いに雇って少女を追いかけているのだろうが、捕らえてどうするという事でもないのに、なぜ? たった一人の少女の為にここまでやるのだろうか? ウォンレット卿邸からは、少なくとも砂漠一つ向こうの町まで追い回すほどの。それに、もう一つ。

「なんでお前は幽閉されていたんだ?」

貴族の考える事なんて、平民以下のレイモンドが知る由もないが、少女は、まだなにか隠している。


少女は弾かれたようにレイモンドの顔を見て、一度開いた口を閉じてしまった。顔は青ざめて、目には戸惑い、不安、迷い、疑いがチラチラと揺れている。体は小刻みに震え、まるで何かに怯えているようだった。


幼い子供が、悪夢を恐れる様に。


明らかに様子のおかしい少女は、胸に手をあてて祈るようにして歩いていた。黒髪が月明かりを弾く。レイモンドは、無理に話さなくても良い、と声を掛けたが、正直自分が何に巻き込まれているのかは知りたい。

ようやく硬い祈りの手はほどかれて、少女は凛とした声でこう言った。

「分かりました。では、お話しましょう。信じていただけるか分からないですが」


少女は風にあおられる髪を手で掻きあげ、一呼吸間をあけてレイモンドの顔を振り返る。その目は、先程の迷いは無く決心したかのような、強い瞳だった。レイモンドはきっとこの無機質な強い少女の顔を、忘れる事は無いだろう。 

「私は--------」


       *

「もう他人じゃない。少なくとも俺は、もう関係者のつもりだったが?」

この言葉を聞いた時、巻き込んでしまったという罪悪感があった。けれどそれ以上に、確かに安心感を感じてしまった。


……嬉しかった。



この人なら、信じても良いかもしれない。
私に与えられた咎を、知られることがどう影響するのか分からない。それでもここまで知られてしまったのも必然なのかもしれない。

あの夢を現実にしてはいけない。そのためなら……

       *



「いたぞ! あそこだ!」


「隣にいる男は殺してかまわん! かかれ!」


少女の声はそこで途切れた。