ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: いつだって、そうだった ( No.11 )
- 日時: 2010/10/30 20:38
- 名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: /AT.x.Fs)
◆託した者
「いたぞ! あそこだ!」
「隣にいる男は殺してかまわねぇ! かかれ!」
少女の醸し出す気品と強さは、そんな罵声と怒鳴りで掻き消された。レイモンドは自然と、少女の手を取って駆け出していた。自分の手よりずっと小さくて、柔らかかったことを覚えている。何も考えずに、まさしく本能的に、少女の手を引いて駆け出していたのだ。
後から思えば、自分が女の子の手を引いたという事実に赤面してしまう。まともに女性と話したことが無かった彼は女性と手を繋ぐだけでも緊張してしまうのだが、この時ばかりは無心だったのである。
*
眩暈がした。眼中にはいる物が、全て五月蠅く感じる。口の中に何とも言えない苦さが広がる。同じところをぐるぐる回っているような気さえして来て、不安になる。何度も足が縺れそうになった。
考えてもみれば、この町に到着してからというものまともな休息を取っていない。体は、砂が入りこんだ衣服を着たままで、不快だ。砂漠を横断して、そのまま半日程食事らしい食事もしていなかった。
自分が引く少女の手は、熱い。自分と同じくらい、それ以上の疲労を抱えているであろう少女は、青ざめて見えた。黒いローブからチラリと見える体は華奢な、深層の姫君の様な細いもの。口を開く気力も無いらしく、ずっと口を閉ざしている。
それでも、手を引かれているとはいえ、しっかりとレイモンドに着いて来ていた。大したものだと感心してしまうが、そんな根性が無ければ家出紛いの事をする訳が無いのだが。
そして、レイモンドはその根性を無駄にしてあげないためにもこうして令嬢を守る騎士の如く手を引いていた。
だが、現状は決してよろしいものでは無い。相手は、見かけたのは二人だったが正確な人数も分からない。それにレイモンド達は砂漠を渡って来たばかり。正直レイモンドは、砂漠の町として有名なナバールの裏通りの詳しい道は分からない。
完全に不利だった。塩梅は芳しくなかった。
「レイモンド様……」
嫌でも自分たちの立場が危ういと、誰だって弱音の一言二言ぐらい言いたくなる。いくら聡いと言えど、世の中を知らない少女には過酷な旅路だといえる。
「な、んだ?」
レイモンドは足を止めて、ずっと握りしめていた少女の手を離した。一度はその口で別れを告げられたが、こうしてまたその手を握り返してやれる。その時間があとどれぐらい続くだろうか?
「一つ、渡しておきたいものがあります」
よほど大切な物なのだろう。そして、顔が渡そうかと迷っているのが窺える。少女は恭しく握っている手をそっと開いた。
「……これは?」
少女の汗ばんだ手から渡されたものは、紋様の木札だった。手の平に収まるそれには、びっしりと古の言葉が綴られ、一人の女神が描かれている。ずいぶん古いものなのだろう、今にも粉砕してしまうほどに脆くなっていて、掘りこまれた文字を見た事が無かった。女神の絵も黒ずんでいる。
この手の物は大概レイモンドには手が届かないほどの高値が付くのだが、この木札は古すぎてそれほどの価値は無さそうに見えた。
つまり、この木札を売って生活に困らないように……という訳ではないようだ。
「それは、女神ハピネイアの召喚の際に用いられた木札です」
「ハピネイア……! この町では教会の勢力が強くない分、女神信仰が中心だからな」
「そうです。死の女神、ハピネイア」
「これを、俺に? 御守りとでも言いたいのか?」
少女は少しだけ、はにかんだ様に笑い、そんなところですと言った。実際、彼女よりよっぽど危険なのはレイモンドの方であるからだ。少女はそれを理解している。
今追っているのはこの少女の家だ。たとえ追手に捕まっても、少女が危害を加えられる可能性はまず無いだろう。しかし、レイモンドはどうだ? 名家の存続や身代金を狙って少女の家出の手引き、もしくは誘拐という汚名も着せられて、ただでは済まないだろう。
「辛い思いをした時、運命が下り坂になってしまった時、これを握りしめて下さい」
「死の女神の木札は流石に縁起が悪いんじゃないか?それに、握りしめればこの木札が壊れる」
「御存知ですか? ハピネイアは死の女神である以前に、運命の女神でもあります。この木札には、その時の運命、運勢、命運を逆転する力があると言い伝えられてきました」
少女は随分と女神信仰者のようだ。その目は真剣で、その勢いにレイモンドは飲み込まれる気がした。確かに少女の言う通り、ハピネイアが死と運命を司っているのは真実だが、こんな薄汚い木札に大層な御利益は期待できそうにない。
とりあえず、気休めに受け取っておくことにした。
「おい、そこのイモ傭兵さんよぉ? 随分と余裕じゃねぇか」
もう、追いつかれたか。
とっさにレイモンドは少女を庇う様に前へ出た。剣を慣れた手つきで抜き、切っ先をピタリと地面へ向けた。いつでも構えられる姿勢だ。
少女は先へ進もうとしていた道を見据えて、レイモンドの合図を待つ。隙があれば、レイモンドは少女だけでも逃がしてやろうと考えていた。追手は自分が引き受ける。しかし--------
「こちらとて、素人じゃないんでね。悪く思うなよ、兄ちゃん」
先程の二人が、レイモンドににじり寄ってくる。その手には、そこらに落ちている木の棒を節くれ立った手で握っていて、棍棒の様にかまえていた。
拳銃を持っているかもしれない。他に仲間がいるかもしれない。犬を放つかも知れない。
どれにせよ、レイモンド一人が大の男二人を相手に食い止め、しかも少女を庇いながらとなると、状況は目を覆いたくなる。
どこに血路がある? 勝機は望めるか?
……正直、時間稼ぎが精一杯だろう。
一歩、レイモンドは前へ出た。背中に、少女の痛い程の視線を感じる。けれど、振り返ることだけはしなかった。手に力を込め、握りなれた柄を構える。その動作が一つ一つ億劫で、長く感じられた。
吐き気。視界が急に鮮明に見えて、耳だって研ぎ澄まされる。頭はカッと燃え上がったかと思うと、芯まで冷える。緩と急。
そんな感覚が、悪戯にレイモンドをわくわくさせるのである。なぜ、こんなにも体が軽いのか。
張りつめた空気は、今にも弾けてしまいそうだ。
睨み合い。レイモンドも素人では無かったが、己を過信することは危険で、何より楽観視出来るほどの余裕は生憎持っていない。
緊張。
これを例えるなら、それは一本の細い糸だ。細い細い糸は、簡単な事で切れる。
ピンと張られた糸が切れた時、再び空気が流れ、止まっていた時間が動く。そんな糸だ。
----------そして今、その糸が切られたのだった。