ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: いつだって、そうだった ( No.12 )
- 日時: 2011/08/17 18:09
- 名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: IpYzv7U9)
◆見通す者
風が、複雑な路地を通り抜けていく。砂を舞い上がらせ、泥煉瓦にぶつかり、人気のない日干し煉瓦造りの家を越えて、通り抜けていく。日は傾き、茜差す空は最後の光を集めて雲を染め上げている。薄紅と紫の繊細な極彩色が空ではためく。
この町は長い夜を迎える準備をしているような静けさだ。息を呑むほどに美しい光景なのだが、今のレイモンドにはそれを楽しむ余裕はなかった。
それどころか場違いに剣を構え、獣の如くギラギラ目を光らせているのだ。それは、興奮のあまりに鼻息を荒くしている子供の様でもあった。
*
相手は二人。しかし、他にいるかもしれない。相手の手には木の棒が。棍棒の代わりならば、充分凶器である。それに対しこちらは、レイモンド一人剣を構え、少女を後ろに庇いながらの攻防戦を強いられている。状況は不利なのだが、レイモンドは湧き上がる興奮を押さえられなかった。なぜこんなにも視界が広いのか。こんなにも体が軽いのか。戦に生きる男にしか分からない、体中から溢れる何か。止められない瞬間で、一種の快感ですらある。
先に動き出したのは二人の男たちだった。片方は覆面をしていたが、片方はよほど腕に自信でもあるのだろうか。傷だらけの顔を堂々と晒している。
少女が見守る中、ゴングもなしに戦いは始まった。
レイモンドは迎え撃つべくかかとを浮かせ、腰を落として重心を下げる。対人戦闘の基本姿勢。狙うは、棍棒を振り上げた時の隙。つまりは鳩尾か懐だ。覆面の男の雄叫びとともに振り下ろされた棍棒は難なく避けた。横ざまに飛び退くと同時に、強面の男の棍棒を剣で受け止めて左へ流す。
もう一度覆面の男が振り上げた棍棒を剣を横に振るって受け止め、そのまま手首を捻ってレイモンドの腰を狙った一撃を防ぐ。手首を伝って腕にも腰にも衝撃が響いた。経験で分かる------まともに食らわずとも、やがて防ぎきれなくなる、と。
レイモンドの足を狙った薙ぎ払いを後ろへ跳んでかわし、息をつく暇なく体を反転させて、脳天を狙った一撃を弾き返す。身の軽さではレイモンドに及ばないが、一振りが重い。防戦一方のレイモンドの肩や腕が、悲鳴を上げる。一撃でもまともに食らえば、勝機は望めないだろう。
少女は見ていた。必死の太刀をふるうレイモンドにとって、どれだけ自分がお荷物なのだろうかと思い知らされながら。何も出来ない自分に、何か出来る事は無いのか? 本当は、一つだけある。最終手段とも呼べる奥の手がある。けれど、出来れば少女はその手段を実行に移したくなかった。その行為は罪なのだと信じていたのだ。実際、罪深いことには変わりない。
しかし徐々にレイモンドの動きに疲れが見えてきた。剣を握る手に衝撃が走る度ふらつくようになった。頬が切れて、怯んだ隙に利き肩を殴られ、危うく剣を取り落としそうになる。
もう、逃げるしかない。
そう考え、少女の方へ振り向く。その瞬間に右腿を殴られたようだ。全身の筋肉が強張り、殴られた痛みを意識の遠くで感じた。一瞬のうちに腿が熱を持ち、生温いものが足首へと流れていく。レイモンドは肉を切らせて骨を断つが如く、覆面の男を思い切り、もう一人の男の方へ蹴飛ばした。
レイモンドは背後に控えている少女の手を取って入り組んだ路地を駆け出だす。右足を踏み出す度に激痛が走ったが、今止まる訳にはいかない。少女が何かを落としそうになったのか、一歩遅れて走り出した。
その腕には大切な宝物でもあるかのようにラカナーが抱かれていた。昼過ぎにレイモンドが買い与えたものだ。レイモンドは甘い物が得意ではないが、自分の故郷にも同じ物があった。故郷はもう地図にも乗ることは無い有様なのだが、それでもラカナーは残っている。今もこうして、少女の腕の中に。
「行くぞ……!」
「レイモンド様、怪我が……」
「この程度なら大丈夫だ!」
すぐの角を曲がり、くねくねと迷路を走り抜けていく。右腿の熱には心地よい風だ。太陽はとっくに沈み、月が辺りを照らしていた。昼は活気溢れる町だが、夜は静かだ。まるで砂漠の様だと少女は思うのだった。
二人の男達は見える限り、追ってきてはいない。しかし風に乗って音が聞こえた。それと、犬の鳴き声だ。そこらにいる様な野良犬ではなく、牙と足を持つ狼のように獰猛で嗅覚の良い厄介な相手である。何匹放ったのだろうか。分かる限り3匹ほど。少女と足に怪我を負った男など、あっと言う間に見つかるだろう。
「まずいな……」
「なんなのでしょう?」
少女はなんと犬すら知らなかったらしい。きっと、閉じ込められていたのは地下だったんじゃァないかとレイモンドは苦笑した。まだ、笑う余裕は有るのか、と他人事の様にまた苦笑してしまう。
「犬だ。……この分じゃ、朝まで逃げきるのは無理だな。3匹放ったみたいだ。あいつ等は鼻が利くんだ。足も速い。おまけに牙を持っている」
「……3匹、ですか。牙があって、足が速い……」
一体どんな想像をしたのだろうか手元のラカナーを更に抱きしめている。震えるのを必死で抑えようとしているらしい。レイモンドはそこでやっと、少女の女心を考えてやらなかった自分に気付いたのだった。
「俺がいるさ。一人じゃ無い。……元気出せ」
そう言って走る少女の背中を、元気付けようと張り手をかました。少女は転びそうになったことと咳込みそうになったことを苦笑いで誤魔化した。
*
「それで、その……犬をからどう逃げるのですか?」
ずっと走っていた少女の息があがる。何処までも非力で樫の棒ほどにも役に立たないお荷物である自分が情けない。少女は悔しかった。
「あぁ……万事休すっていうんだな」
「俺がなんとかすると言っていらしましたよ」
「音だとかで気を剃らせるにも、鼻が利く。3匹相手にする他ないだろうな。獲物に対して群れるんだ」
少女は自分がもう観念して軟禁生活に戻ろうかと思案していた。その顔を見たレイモンドは、後ろを走る少女に厳しい口調でこう言った。
「自首しようってか? その程度の覚悟で砂漠越えてきた訳じゃねぇだろ」
「レイモンド様……」
少女は顔をあげてレイモンドを見た。そして、異変に気付いた。レイモンドの口元は笑顔だが、目の焦点がハッキリしていない。血の気の無い唇に乾いた血が。顔も月明かりの所為かも知れないが、蒼白だ。疲れた自分を考慮してかと思っていたのだが、走る速さも随分遅い。
レイモンドの体力は砂漠越えの時に良く知っていたから少女は特に心配していなかったのだが、事態は深刻そうだ。
-------- 私は覚悟を決めなければならない --------
少女はレイモンドの腕を掴んで立ち止らせた。
「休みましょう、レイモンド様」
「なん……?」
何かをレイモンドが良いかけたが、有無を言わせぬ少女の態度に口を閉ざしてくれた。お互い、呼吸を整える。頭の血が脈打つ。少女はこんなに走ったのは初めてだった。
壁に背中を預け、辺りに気を配りながらレイモンドは抜き身の剣を油断なく握りしめる。月は建物の陰で見えない。それでも、辺りは完全な暗闇でもない。こんな静寂は、軟禁されていた時期の記憶を思い出しそうで怖かった。
「我武者羅に走っても、犬に追い付かれるのでしょう? 尚更一度、現在地を確認しましょう」
「……」
「レイモンド様?」
「……」
「レイモンド様っ!」
壁に体を預けていたレイモンドが、ゆっくり目を閉じてずるずると沈んでいったのだ。剣が手から滑り落ち、砂地を引っ掻く。カランという金属音。そのすぐ後に体が砂地に倒れこむ。子供が投げ散らかした人形のように動かなかった。重力に無抵抗のまま、人形は崩れ落ちた。
少女は怖かった。心底怯えていた。
体を起してあげようにもレイモンドが重すぎるため、せめてと頭を抱える。全く抵抗されなかった。
何度名前を呼んでも、反応は無く目を開けてくれない。苦しく歪んだ顔は異常な汗をかいていた。月明かりのせいだけでは無い青白さは何処からも生気を感じれない。なにより、体は今にもばらばらになってしまいそうなほど震えていた。少女は初めて、肩や腿の怪我が想像以上に酷いものだと知った。
そして、レイモンドの体は今さっき走っていたにも関わらず、冷たくなっていた。
風に運ばれた犬の鳴き声が、最初に聞いた時よりずっと近くで聞こえた。視界が揺らぎ始めた……少女は、何度か瞬きをしながら空を仰いだ。月は、建物の影になっていてやはり見えなかった。