ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: いつだって、そうだった ( No.13 )
日時: 2014/06/01 00:12
名前: 苺大福 ◆GttcwRKaXs (ID: U0ZlR98r)

◆越える者


レイモンドはうっすらと目を開ける。そこには何も無かった。ただの闇が広がっていた。だから本当に瞼を開けているのか分からなくなってしまいそうだ。その闇は何処までも深く暗かったが、暖かかった。表現に困る暖かさだ。恐怖を感じる闇と安らぎを感じる闇となら、今目の前に展開されるは後者、だと思う。酷く気持ちが良い。
先程まで感じていた痛みは溶けてしまったかのように無かった。何処にも力が入らない。何処にも、力を入れる気は無い。ずっと……こうしていたい。

ずっとこうして漂っていたい--------外で野宿をしていても町の宿で泊まっていても、レイモンドは常に神経を尖らせている。少しでも異変があれば飛び起きるためには当たり前の様に必要な事で。レイモンドが生きる世界は、町の中で暮らす人々より物騒で危険で、剣を片手に相手を黙らせるそんな世界なのだ。だから、こんなに落ち着いて安らかで安心して、だらしなく全身の力を抜いたのは酒で酔った時以外で何年振りだろうか。

そこでようやく、レイモンドは此処がどこなのかと回らない頭で廻らせた。起き上ろうにも足に力を入れられない。なにより踏ん張る地面の感触が何処にもない。自分は本当に空中に浮かんでいるのだろうか? そんな馬鹿な発想をぼんやりとしか考えられなかった。

「……!」

「?」

何処からか声が聞こえる。近くから聞こえるのか遠くから聞こえるのか今のレイモンドに判断できなかった。しかし、朝の霧靄のような思考が少しはっきりと色を帯びてきた。それと同時に、甘い匂いが漂ってくる。ここはきっと昔聞いた極東の国にある浄土と言う所なのだろう。レイモンドは口を歪めた。少し笑ったのだ。こんな自分でも浄土へ天国へいけるのだと。ではこれは、天使の声なのだろうか。


そう思ってもう少し笑った。天の国で仏頂面は良くないよな……開けていた目を閉じて(なにぶん感覚が無いので定かではないが)、口をそっと開いて笑顔を作ろうとしたその瞬間。
ふと少女の顔を近くに感じた。微かな吐息が額にかかる。目を開ける愚は犯さない。聞こえてくる心臓の音は自分のものか、あるいは少女のものか? 少女の独特の甘い匂いと共に柔らかな何かがレイモンドの唇にあてがわれた----------酷く、甘い気がした。

          *

「レイモンド様っ!」

突然覚醒した耳に届いた悲痛な叫びにレイモンドは今度こそ目を開けた。……と同時に甘ったるい味が口を一杯に満たし、鼻孔をくすぐる風に思いっきり顔をしかめた。

「う……っ。げほっけほ」

いつの間に自分は倒れたのだろう? 少女は膝の上にレイモンドを寝かせているらしい。後頭部に柔らかな膝の感触を受け、口に残る味と少女の手にする袋でようやくレイモンドは状況を理解した------少女は気つけに、革袋の中身であるラカナーをレイモンドの口に流し込んだのだ! 確かに下手な気つけ薬より効果テキメンだったが、今は口直しに酒が欲しい。


……否。寝ぼけていたとは言えども醜態をさらしたのはこちらで、今はレイモンドが少女を見上げる形になっている。それに、正直残念だった……、その上勘違いをした自分が情けない。まさか、顔は赤くなっていないだろうな? それを誤魔化すにも酒が欲しい所だ。

動かせない体を、少女に手伝って貰いながら起こすが、特に肩の方は全くと言って良いほど動かない。少女の膝は、レイモンドを寝かせたままラカナーを流し込んだため、ビッショリ濡れている。レイモンドが咽返ったのも、ラカナーの甘さでは無くて只単に少女の手荒さにだったのだろう。下手をすれば窒息しかねないなとレイモンドは少女の手元のラカナーに目を落とした。


朝まで。人目がある時に問題を起こす事はこの地を治める領主への反感へ繋がりかねない。そしてレイモンド達を追っている男達は少女の父親------または父親の部下のそのまた下の者達らしいのだ。
朝まで逃げ切れれば、レイモンド達に勝機はある。……実質勝利する訳ではない。とりあえずの危機回避なのだが、今はそれさえも難しい状況だった。

少女に半ば引き摺られるようにしながらレイモンド達は一歩一歩確かめながら歩き始めた。星の位置からしてレイモンドの意識が飛んでからそこまで時間は経っていないようだ。それでも、着実に捜査網は狭まっているに違いない。
「行くぞ」
「ぁ……でも」
「急いだ方がいい。俺は大丈夫だ」

先程からずっと犬の鳴き声が聞こえるが、夜の町に響いているのか近くにいるのかも判断出来ずにいた。そこでレイモンドは自分が耳に集中出来ない事に気付いた。物音に対する反応も遅い。足の感覚が痺れ、考えがまとまらない……。戦では冷静さを欠いた方が大概追い詰められる。それは焦りもまたしかり。そしてレイモンドは焦っていた。

今の状況を考えれば考えるほど悪いのだ。

戻って来た感覚を頼りに怪我をした所を見ると、何処かで見た布が巻かれていた。少女の外套の一部だったか。真っ赤に染まった布が下手くそながらに巻かれている。(礼の代わりに少女の頭に片手をポンと置いて見たのだが、振り返った少女の顔は案の定理解していない)
出血が酷い……誰が見ても明らかな大怪我だ。そして--------獣はいつだって血の匂いに敏感なのだ。


足元がふらついて、失血による酷い眩暈がした。------と思うと次の瞬間目の前が黒く滲み、気が付くと狭い路地の壁に両手で倒れ込むように縋りかかってなんとか立っている有様だった。壁に頭を擦りつけるような恰好のせいで必然に見えた自分の脚は小刻みに震えている。何だ? こんなにも自分は弱っていたのか?

背中をさする少女の心底心配した目がレイモンドを映す。只でさえも白い少女の顔が、蒼白を通り越して骨の様だ。目には大粒の涙が浮かんでいた。泣いた跡もあるから、大方レイモンドが気を失った時の物だろう。少しでも安心してほしくてレイモンドは笑顔を向けたが、正直上手く笑えているのか分からない。
怪我した方の足を引き摺りながら、前へ前へと歩く。

「無理なさらないで……レイモンド様」


少女の肩に腕をまわし、少女は少女でレイモンドの腰を抱えあげる様に支え、完全にレイモンドが足手纏いなのだがそれでも少女は見捨てない。それどころか今もこうして、涙を浮かべるほどに心配までしてくれている。今は、それだけで十分だと思っていた。少し前までなら質問を浴びせる様にしていたかもしれないのだが、今はここで良い。このままで良い。そう思った。

レイモンドは自分が女性に対して鈍感だと自負しているし、経験も浅い。なるべく近付かないようにしていたのは自分の為でもあったが相手の為でもある。そうであったはずなのに、この目の前の少女には心配ばかりかけているようだ。…少しは自分が男をみせてもいいのかもしれない。


少女の顔を振り返るが、タイミングが悪かった。


「居たぞ! こっちだ!」

こんな時に見つかってしまったのだから。神様女神様、こんな俺でごめんなさい。


          *


咄嗟に入った横道は袋小路だった。怪我人と女。剣が一本。地の利無し。助けなし。どちらも疲労困憊。相手は今の所二人。犬が四匹。それぞれ棍棒あり。チームワークあり。そんなワードがぐるぐると働かない頭でまわっている。先ほど見つかってから、距離は離せたが振り切ることはできなかったようだ。足音と犬の吠え声はまっすぐにこちらを目指していた。

「レイモンド様…」



此処までか? 

「物騒な世のなかに生まれたくなかったもんだな」


諦めともとれる負け犬の様なセリフに自分で笑い出しそうになる。これぐらい負け犬なセリフが今の俺に丁度いい。剣を再び取り出し、一歩前へ出ようとした瞬間。


少女が先に前へ出た。支えをなくしたレイモンドは不様に地面に倒れ込む。あぁ……どこまでカッコ悪いのだろうか。剣を地面に突き立てなんとか立ちあがろうとしたが、重力に逆らえずまた崩れた。

「いいえ、レイモンド様。もう……良いのです」

「何を、言っている?」

泣き顔かと思いきや、少女の顔は聖母の様に穏やかで。うつ伏せのレイモンドの頬を包み込む両手はやさしい。少女は月明かりがうっすら差し込む中、凛とそこに存在している。確かな存在感が人を安心させる。
……これで犬の吠え声が無ければと思うのは不謹慎だろうか。

「もういいのです。私の為にあなたは此処まで時間を稼いでくれました。その時間のおかげで、私はやっと決心できた…」

「諦める、のか?」

その言葉に少女は返答しない。レイモンドは体に鞭打って少女の細い手首を掴む。こんな細い腕、少し力を加えればあっけなく折れてしまうだろうと思った。レイモンドはうつ伏せに倒れた状態なので見上げる形になり、少女の向こうに月を見た。まるで月を背負っているかのような光景に、力を振り絞って精一杯に声を絞り上げる。

「諦めるのか……! ようやく……、会えた、のに!」
--------ようやく? 口を衝いて出たその言葉。

「レイモンド様。あなたはここまで、よく頑張りました。……さぁ、この手を離して」

「何をしようと……っ」

その言葉は最後まで言えなかった。


突然の事で声が出ない。それは一瞬の出来事だった。



少女の顔が自分のすぐ近くにある。
唇に、柔らかな感触。


少女の長いまつ毛が細かく揺れているのが見えた。



頬に添えられた小さな白い手、細い指。

頭の中が真っ白になり、思わず掴んでいた手の力が抜けてしまう。



少女はレイモンドの頬から手を離し、立ちあがった。その立ち姿は一種の威厳さえ漂う。それとも、月明かりの所為か。レイモンドが腕を伸ばしても少女に届かない。

本当に一瞬のことで、触れるだけの口づけだったが、レイモンドにとって初めてのキス。初めてのキスは、口に残る故郷の味。

「レイモンド様、耳を塞いでください。……もう、見ないでください。これ以上あなたに嫌われたくないのです!」

有無を言わせぬ迫力に、レイモンドは両手で己の耳を塞いだ。先に走り出した犬 二匹がすぐそこまで来ていた。何をしている逃げろと叫びたかったが、口から洩れる声は、端から呻き声になってしまう。カサカサの唇を噛み締めるしか無かった。追手の目的は少女を捕らえる事だとしても。少女が下手に手を出せば何されるか分からない。

          

時は戻らない。流し過ぎた血のせいで視界がチラチラ点滅しているが、そんなこと、今更どうだって良い。まるで怖がりな子供のように両耳を押さえ、時が過ぎる事を待つしかないこの状況。自分より非力な少女一人止められずに行かせて。

動けない自分が酷く情けない------
守れない自分が酷く情けない------



耳を塞いだ静寂の中。蜂蜜色の月ばかり眩しくて。

俺を越えて遠ざかる少女を見ている事しか出来なかった。


【越える者】終