ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- 最後まで手を伸ばす私4 ( No.139 )
- 日時: 2011/09/04 14:38
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
*
松尾先輩をようやく捕まえたのは、陸上部の先輩方と別れたすぐ後だった。
式の最中ではすっきりしたように思えた顔は、直接前にしてみるとかなり青白く、一目で体調が優れていないのが分かった。一度も風邪をひいたことのなさそうな先輩にしては珍しい顔色だ。先輩がこもるような咳をした時に、はっと我に返り人様の顔をまじまじと見ていた自分を心中で叱った。
「珍しい?」と私の思いを見透かしたように笑ってくる。こういう時でも口だけは減らないようだ。相手がこんな体調でも話そうとする私は悪人なのかなぁ、とうすらぼんやりと感じた。
「……珍しく、はないですけど。ちょっと、驚きました。先輩でも風邪ひくってことに」
「はははー。夏に風邪ひいたらお馬鹿ちゃんなんだろうけど、私は冬にちゃーんと風邪ひきましたんでばっちり天才っスね! 小説を書くと天才度があがる気がするよね! 天才な私は天才な風邪をひいちゃったーてへっ、みたいなぁ!」
「そもそも自身の体調管理が出来てない時点で天才も何もないですから……はぁ」
溜息は外気にさらされると淡く白いもやのようになり、口元から空へとたゆたってゆく。
いつも私と先輩が語り合い、質問し合っていた場所————人気のない体育館裏の壊れたフェンスの穴の前で、私は四つん這いになっている先輩を見つけた。今は体育館前に人が集中しているから、余計に人の影は見当たらない。わざわざ卒業という大切な思い出を堪能する場に選ばないんだよコルァ、ということなのか。
さて、なぜ先輩が四つん這いというかなりマニアックかつスリリングな格好だったかというと。
「いやー、人があんまり多いからさぁー。正門行く前にバテてねぇ、アタイ。ついつい楽なこっちを選んじゃった訳だべさ、うち」
「先輩の本能のみで常に動く性格を考慮すれば理由も帰り方も大体は分かってたんですが……まさか本当にこことは……。あと一人称は統一してくださいよ鬱陶しい」
「あちゃっぱー! バレてたのねーん……ってりりるちゃん痛い、痛いッ!? フェンスに半分体を突っ込んでいる元上級生を、猫をティッシュ箱から引きずり出す要領で引っ張るとは何事だねあいたたたた! 引っかかってる、マフラーがフェンスにィ!?」
半分体をフェンスの向こう側に出している先輩を、両手の筋力(握力?)を総動員させてこちら側へと引きずり込んだ。その際に先輩が断末魔のような悲鳴やら苦しさゆえの抗議をあげたけれど、気付いていない振りをする。褪せたセピア色の木々たちの中で、足元の芝生だけが若々しい緑色をしてるのが、気に食わなかった。
一分ほどで先輩を芝生の上へと転がすと、そこで一息ついた。額に浮かぶ汗は決して今の運動(運動かどうかはとりあえず置いといて、と)だけではなく、先輩が帰ってしまうことへの焦りも原因だろう。マフラーがフェンスに引っかかったのを気にしながら、先輩は苦しそうに掠れた咳をした。その苦々しげな表情に、申し訳なさが芽生える。
「っごほ、ごほごほっ……りりたーん、卒業祝いくれー、げほっ。紅白まんじゅうとか良いよねー。……チラッチラッ、ドキドキ」
「頭の風邪、酷いようでしたら帰ってもらっても構わないんですけど」
「あぁ、うーん? 風邪は、大丈夫だよ。てか帰れないってーっててー」
「何で帰れないんですか」
「えー、だってさあ、」
——りりるちゃん、何か話したいことがあって来たんでしょー?
今日の夕飯のメニューを聞くように訊かれた言葉は、私の中心をざくりと射ぬいた。先輩はにっこりと青白い顔色で笑った。
私はといえば、先輩の発言に目を丸くしていた(今も継続中)。なぜ言いたいことが分かったのか、と口を閉じたまま。
「そうです、けど。でも————何で分かったんですか」
「…………天才しょーせつかの、勘……?」
「真顔でクソ素敵なこと呟かないでくださいよ、恥ずかしい」
さらりと先輩の恥ずかしさについて言及する。天才小説家を自称している目の前の相手は、むきゃーと歓声をあげた。何で歓声あげてるんですかと罵倒しようと思ったのに、びゅう、と風の勢いが強まり息が出来なくなる。喉元まで出かかっていた言葉を無理に飲み干したせいか、いがいがとしたものが喉に伝わった。
錆びたフェンスを覆うつたは、春を迎えようとしている今の季節はほのかな若葉色に染まっていた。乾いた空気が、唇をかさつかせる。
芝生に尻餅をついた状態の先輩は、ふにゃりと頬を緩ませて口を開いた。苦笑い、という表現が当てはまる笑みを浮かべて。
「でもさ、りりたん。ごめんけど、りりたんが今話そうとしてるその話——私、聞けそうにないか、も?」
二度目の驚愕、だけど今度はだいぶ平静を保ったつもりだった。それでも声色には動揺が伺えた。自分で分かった。
人差し指を宙に向け、頭上にその答えがあるかのように笑う。先輩はそうして、卒業前と変わらない自分を貫いている。現在進行形で。おちゃらけたような、楽観的なその態度と対称的に放たれた言葉は、はっきりとしていた。
- 最後まで手を伸ばす私5 ( No.140 )
- 日時: 2011/09/04 14:40
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
「え……っと、どうしてですか? まさか、よっぽど風邪で体調悪いんですか? なら、仕方がないですけど……」
「あー、いやいや。違うよん、りりるちゃん。理由は一つ、単純めーかいなのさぁ」
人差し指を、くるりと回す。先輩の芝居っぽい動作ひとつひとつが遅く思えて、歯噛みした。
動作に反して表情はどこまでもにこやかで明るい。けど瞳にはとても鋭い、先輩らしからぬ光を宿していて——あまりの切っ先の鋭さに、怖気づく。
そんな私に投げられたのは、あまりにも愉快過ぎる一言。
「だって、私はもうりりるちんの先輩じゃぁ、ないからねぇ」
「……………………………………………………………………………………え?」
絶句した。体中の細胞が先輩の言葉により行動停止し、何かを紡ぐのをやめてしまったみたいだった。我ながら長々と沈黙を続けてしまい、阿呆らしく思う。てきぱきと自分の感情にめりはりをつけて、目の前の状況についていかなきゃ、私らしくない(ように思えるような何というか)。
ぐずっと鼻をすする音でようやく我に返った。首筋を撫でる風が鳥肌を誘う。
数十秒後に戻ってきた世界では、すでに立ちあがっていた先輩が顔をしかめていた。鼻を異様に気にしているところから察するに、さっきのぐずっという音は先輩のものらしい。ティッシュを渡そうとポケットを探ると、先輩はそれを手で制した。話を続けさせてほしい、という無言のジェスチャー。
「さっき、私は卒業したじゃにゃい? だからねー、事実上、りりると私の関係はただの他人に戻っちゃったのですよーですですよー」
「……な、何言ってるんですか。そんなのついさっきのことじゃないですか。そ、それに、ただの他人なんかに戻ったりしませんよ。私と先輩は、同じ高校の卒業生と在校生というつながりを——」
「——だからねぇ、違うんだよ。りりたーん」
私の声に被さった先輩の、だらけきった声。この緊張感で張りつめた場では、そんな先輩の態度は相応しくない。
——何で、何でそんなこと言うんだ。
気づけば焦躁していた。心の中では、マーブル色にまた新しい色が加わりよく分からない色になっていく。綺麗な色でありたいと願うのに、外部からの刺激によって、それはだんだんと色を変化させ、私を染め上げていく。先輩の突き放すような言葉は、私の色をさらに不可解なものへと、変えてゆく。
「卒業式、これで一旦私とりりたんの関係はきっぱり終わったじゃない。もしも私が陸上部の先輩だったら良かったかもしれない、バスケ部の先輩だったら良かったかもしれないねー? そしたら先輩と後輩ってゆー関係を消しちゃっても、まだつながりがあったかもしれない」
「……私と先輩は、ちゃんとまだつながってるじゃないですか」
「ううん。つながってないのよさー。私は、人の少ない陸上部を歓誘したただの通りすがりの二年生でしかなかった。別に陸上部でりりちゃんを指導したわけでも、委員会や係関連で仲良くなった訳でもない。単なるお喋り相手。…………ね、そこまで入り組んだ関係じゃなかったでしょー? それにほら、りりたんは私がいなくても、普通のがっこー生活送っていけると思うし」
「…………勝手な、推測です。私は、ふざけたタイプの先輩みたいな人がいないと、罵倒する人間がいないと困ります」
「そうだね。でも、もう卒業しちゃった」
たいした悲しみも見せず「そうだね」と笑う先輩を、眉をひそめて睨む。出来るだけ怒りをこめたつもりだけど、先輩は優しい笑顔で私の視線を受け止めて、それきりだった。絹のカーテンに永遠にパンチしているような、手ごたえのない感触。気持ち悪い感触をぬぐうように、私は先輩の言葉に食い下がる。
「じゃあ、卒業後も暇があれば陸上部に来てください。それなら、他の先輩と同じでしょう! つながりがどうとかは、個人の価値観だから何とも言えませんけど……でも、普通にお喋りするなんて、普通の先輩と後輩の間柄じゃぁよくあることでしょう? 別に、そんな風に気にしなくても……」
「だーかーらーぁん。私たちって、普通って定義しちゃって良いのー、みたいな感じじゃにゃいのかなーぁん? 私たちのお喋りも、お喋りってゆーより質疑おうとー! ……って感じだったじゃん。それに、大学でハッピーライフ送ってたら、そういう時間ないだろーし」
「ぐっ……た、確かにそうですけど……。で、でもですね……」
「ねえ、りりちゃん。何をそんなに必死になってんの?」
ずばっ、とナイフで抉られたような痛みが体の至るところを巡った。しばらくして、それは核心をつかれたせいだと理解する。
いつか夏のある日に話した時とは違うところは、私と先輩の立ち位置だった。夏の時は、私が先輩をぐいぐい押していた。現実という剣を片手に、夢という盾を持つ先輩に向かって。でも今は違う。先輩は、どんだけリアルが好きなんだというぐらい私に現実を突きつけてくる。
私が、私らしさを忘れて必死になるぐらいに。
「…………必死になんて……」
「なってない、っちゅーなら。ごめんけどねー、先輩ちょっと急いでるから、行っちゃって良いかねー? ごほ、ごほっ」
「……それは……」
どうぞ、行って下さい。その一言を言うのに、躊躇する。言い淀んだ私に、先輩は「ほらね、やっぱりだじぇー」と言わんばかりのにやにや笑いを顔全体に張り付けていた。それでも体調は悪く、がらがらの声から零れる咳は痛々しい。
——私は、先輩にどうして欲しいの?
自分で自分に問いかけてみる。すぐには答えが見当たらなかったので、以前の自分を振り返って考えてみた。
——何で私は、質問のかけ合いを先輩としていたの?
きっと、お互いにちゃんとしたものが欲しかったからだ。一人で生んだ疑問に、一人で答えるのは確証も根拠もない。自家生産した疑問の行き場を、私は先輩に、先輩は私に求めていたのだろう。相手が良い答えを与えてくれるだろうと、微かな希望を胸にして。
——でも、私はまだ、まだ本当に答えてほしい質問に、答えてもらってない。
私は一度も、先輩にあの出来事について語ったことがなかった。トラウマであるあの出来事を語ったことは、一人としていないのだけれど。話す気も失せるというか、話すことに痛みを覚えるというか。とにかく、私は本当に先輩に訊きたかった「愛とは何か」についてはノータッチなのだ。この二年間、一度も。