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ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- 最後まで手を伸ばす私7 ( No.144 )
- 日時: 2011/09/08 23:53
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
最後の方は、途切れ途切れになってしまった。初めて他人に喋る私のトラウマは、涙線を緩くさせる。たくさんたまっていた疑問や感情がぼろぼろと腐敗していって、改めてその臭いに顔をしかめた。私はこんなことを考えていたのか、と若干の自己嫌悪。
震えた声で話す私の話を遮ろうとは、先輩はしなかった。それだけが、唯一の救いだった。すぅ、と冷たい空気を吸い込み、熱くなってしまった心臓を冷やす。どくどくと波打つ拍動は、まるでスタッカートのように勢いづいていた。
「……先輩、私どうすれば良かったんですか」
沈黙。
私を怒らせようと軽口を叩こうという素振りは一切ない。先輩がちゃんと話をきいてくれているのか、それとも体調が悪くてそれどころじゃないのかは掴みにくい。何か言ってほしいとは思うけれど、自分の感情をむき出しにすることでしか私は自分を表せなかった。
賑わいから離れた場所で、疑問を突き付けようと、また新たに声を発する。
「もう、愛って何かが分かりません。涼ちゃんにもえみちゃんにも、両方に愛を注いだ結果がこれなら……愛って最悪のものじゃないですか。でも、他の人の愛の価値観は違うんですよ。とても優しいものだっていう人もいれば、漫画やアニメなんていう物に対するものだっていう人もいるんですよ。自分をとりまく周囲の人間のことだとか、どろどろしたものだとか。何で、愛っていう文字は同じなのに、こんなに価値観が違うんですか。何で私の愛は————誰とも違うものなんですか……っ」
パソコンのキーを連打するように、疑問を何度も先輩へと送る。
喉はとっくに渇いていて、水分を求めていた。鼻の奥にはつーんとしたものが存在していて、泣きそうだ。だけど先輩の前では泣きたくない。泣いたら自分に負けてしまう。ぐっと目に力を入れて両拳を痛いほど握りしめた。冷たい手のひらの柔らかいとこに、思い切り爪をぶっさした。痛覚が涙を忘れさせ、私を饒舌にさせる。
「みんな分かってるんです、愛って何なのか、自分にとってどういうものなのかって。…………でも、私は分かりません。私の愛の価値観は、みんなと違ったから……だから愛じゃなかったんです!」
——みんなと違うから、私の愛は愛として認められない。
どれだけ愛だと叫ぼうと。他の人は私を嘲笑うだろう。喉から血が出るまで叫んだって、私の一年前の出来事は何も変わらない。
私の行動は間違っていた、なら正しかった行動は何だったのか。誰も答えをくれない。私を裏切り者という枠にはめておいたくせに、誰も私の枠を取り外して自由にしてくれない。今でも私はずっと、親友を突き放した悪者で。
唇がひきつる。どうやら自分は今、相当歪んだ笑いを浮かべているようだった。
「私が必死に知恵をしぼって出した答えは、大間違いだったんですよ先輩ッ! これだけで笑えますよね、笑って下さいよ。みんなが分かるものが分からない私を、いつもみたいに面白そうに笑って下さいよ。……りりるは馬鹿だね、おかしいねって——笑ってください——……笑ってよ、笑えよ、笑えよッッ!!」
眼球が炙られたように熱い。でも季節は冬だから、炙られるなんてことはまずない。ならば、私の眼球を焼く熱は何だろう。
胃からせり上がる何か大きなものを、唇を震わせて堪える。先輩は何も言わない。何で何も言わないの、と問うのは自分で却下した。
「アンタが笑えば、私はまた平気な顔して過ごしていけるじゃないですか! 愛って何なのか語って、答えをくれたら私は私の過去にケリつけられるんですよ! あぁ、私の質問はこんなに簡単な答えだったのかって、何てくだらないことを訊いちゃったんだろうかって……そう思えるじゃないですか! だから、笑えよ…………私の過去なんてくだらないんだって…………言ってくださいよぉ……!」
先輩の姿がゆらゆらとぼやけて、滲んで、周りの木々と同系色になってゆく。
鼻風邪でもないのに、鼻水が出てきた。視界が熱に彩られて、液体がぼろぼろと剥がれおちる。ぼろぼろと剥がれおちたそれはするりと頬を伝い、芝生へとしみ込んだ。喉が渇いていたので飲み込んだら塩辛くて、余計に渇きを覚えた。
氷のように冷たい指先で目元をなぞり眼球の洪水を拭う。まだ少しぼやけた視界の中では、真っ直ぐに私を見つめる先輩が立っていた。
私が泣いているのを前にしても、先輩の表情に変化はない。瞳には真っ直ぐな光が揺らめいていた。
「……ねぇ、りりるちゃん」
久方ぶりに先輩の声を耳にした気がした。優しげな声色が、ぴりりと北風に痛む耳に心地よい。
だけど、心地よさを振り払うようにして告げられたのは、非情な一言だった。
「私に、甘えるなよ」
「っ」
息を呑む。けして怒るような雰囲気ではなく、厳しさと正しさのみを全面に押し出した先輩の言葉。先輩の顔にはまだほのかな微笑が宿っているというのに、唇から放たれる言の葉たちは相手を退かせるような凄味があった。
風がざわざわと、体育館裏にひっそりと生えている桜の木の枝を揺らして去っていく。ついでとばかりに私のスカートや先輩のマフラーを裾をはためかせた。
「私みたいなのにその愛はどーたらって答えを求めて……りりちゃんはその答えに全部同意して、納得出来るの? 昔の自分は正しかったよー正しくなかったんだよー……ってはっきり割り切って、今後一切、涼ちゃんって子のこと考えずに過ごしていけるのかな?」
「…………今後、一切……」
「出来ないなら、他人に答えを求めるべきじゃないよ。そんな大切な答えを、他の人に押し付けちゃいけない」
数秒前の言葉を跳ね除けるように、強く言われる。言い返そうとしても正論過ぎて、私は自然に足元を見ることになった。顔が上げられず、未だに両目から流れる濁流を止めることが出来ずに、唇を噛む。
「りりるちゃんのその——昔にあった出来事、っつーのは知らないけどねぇ。そもそも、それを私に聞かせてどーしたかったの? 言って何か満足したの? ……もしも私に聞かせて満足できるような出来事なら、それはりりたんにとって大切なことじゃないよねぇ、きっと。自分を悲劇のヒロインにしたいだけでしょー、みたいな」
立場は逆転し、今度は私が沈黙に陥り、先輩が喋り始める。先輩は足元の芝生に目を落とし、私なんか意識に置いていないという風な雰囲気をしていた。放たれた言葉は私へのもので、私にしか意味が分からない。
- 最後まで手を伸ばす私8 ( No.145 )
- 日時: 2011/09/08 23:55
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
ざくざくと容赦なく、私の心の肉を先輩が削ぎ落としてゆく。たっぷり心臓にこびり付いたついた脂肪は、今まで私がちゃんと自分で物事を考えていない、怠惰の証だろうか。目の前が、心から溢れる血で真っ赤になりそうだった。目から流れてくる血液はけして赤くはなく、透明で、しょっぱい。
「愛って何かとか、昔の自分がどうかとか。正直ね、それはりりるちゃんが自分で導き出すものであって、私の役目じゃないでそ? 私の役目は、あくまで先輩っていうポジション。りりたんの物語のメインキャラじゃないよ、私はどこまでもサブキャラで脇役。りりちゃんっていう主人公の手を引いて行くような奴じゃないよ」
「……メインキャラとか、意味、分かりません」
「うん、そーだろーね。あえて混乱しちゃうように喋ってるからねぇ」
にひにひと歯をこするように笑うと、先輩は泣いている私へずいっと歩み寄った。ふわりとインクの香りが鼻を掠め、先輩は小説が大好きだったことを思い出させる。ついでに、今まで喋ったこととか、全部。
——何で、今日で最後なんだろう。
懐かしさや切なさが、今になってようやくこみ上げる。両目を圧する何かしらに耐えきれずに、嗚咽を喉の奥で潰した。
「う、うぁあ……うわぁん……」
「あーほらほらぁ、何で今泣いちゃうのさー? 混乱しちゃうよーにって、べ、別に意地悪じゃないかんね!?」
「わっ、わかって、わか、分かってま————わああぁああああん!!」
「まさかの大号泣ッ!? 松尾ちゃんびっくりアンドどっきり!」
世界が全て涙によりどろどろに溶けあい、原型を留めなくなる。ぐちゃぐちゃの視界を正常に戻そうとしても、胃の底から這い出て来る泣き声と悲しみは止まらず、指の間をぬって流れ出す。ビー玉ぐらいの大きさの涙の粒は、ぼとぼとと落ちたり、制服に染み込んだりした。
先輩は大泣きし始めた私に、おたおたと慌てながらハンカチを差し出してきた。薄いイエローの布を受け取り、頬に宛がおうとする。けど薄すぎて、涙の洪水はなかなか限界をみせない。じゅくじゅくと繊維の隙間に液体が入ってゆく。
「っうぅ……このハンカ、チ、うすすぎて、なみだを吸収しばせん……っ」
「あー、ごめんごめん。それさぁー、ハンカチと見せかけたただの布きれだったりする。裁縫の時間で余ってたから、入れてたのねー。私超ナイス判断!」
「ハンカチじゃぁないじゃないですがぁ!! ……う、うぅ……」
涙が頬から唇へと流れ、声を出すのを邪魔する。おかげですっかり鼻声になり、先輩にみっともない醜態をさらしてしまっていた。先輩は気まずそうに頬をかくだけで、号泣する私をどうにかしようとする動作は一切ない。むー、と私が布きれをハンカチ認定しなかったことに不満を抱いているようだった。
先輩のそんな表情を見ていたら、ふっと力が抜けた。「あ、うわぁ」と涙をだくだくと流しながら、膝から崩れ落ちる。内また気味にへたり込むと、地面の芝生がちくちくした。元気に私の肌を押し返す草の群れを見ていると、さらに涙を誘われた。「ぶわぁあああああ」ともはや泣いているのか鳴いているのか分からない声を発して顔をハンカチ(仮)で覆った。
——あぁ、先輩さえも答えをくれなかった。
鼻をすすると、青くさいにおいがした。芝生の香りだ。
——答えをくれないまま、先輩は卒業していくんだ。私は卒業するまで、自問自答していくんだ。
悲しすぎて、泣きた過ぎてたまらない。もうすでに泣いてるじゃんと先輩に言われそうだったから、あえて無言でいた。
*
「りーりちゃーん、収まったーぁ?」
「…………ぐすっ…………」
しばらくすると、涙の勢いが落ちてきた。
濁流のようだった川は、涙が通った後を示すのみで、微かな残滓しか頬に残っていない。ぐいっと湿ったハンカチで拭うとじゅわりと指先に染み込んでいた液体が付着した。自分の涙の多さに改めて気づき、引く。どんだけ泣いたんだ私、と目を丸くして黄色(濡れて濃い色になっている)を凝視した。
ちらりと先輩の方を窺うと、先輩は隣にいた。体育の授業ではおなじみの、体育座りで座っている。涙の量の割には長時間泣いていなかったのだけれど、自分の弱い一面をずっと見られていたようで少し恥ずかしい。頬が熱くなった私の方を、爽やかな笑みで眺めていた。
出来るだけ目元を引き締めて、ハンカチを丁寧に畳んで。私は平坦な口調で話しかける。
「先輩、愛って何ですか」
「こらこらぁー。隙をついて答えを訊きだそうだなんて——そうはいかないぜぇ、りりたァん! テメェのことは全てお見通しだぜェヒーハー!!」
「…………やっぱり、駄目、ですか」
「うん、駄目ー」
予想済みの返しでも、ちょっぴり傷ついた。俯くと、瞳の端に残っていた涙がぽろりと一粒落ちる。芝生の葉にとどまり、不思議な光を放つそれを泣きはらした目で見つめた。ぎゅっと足を抱き、体をちぢ込める。寒いなぁ、と思った。
「……でもねー」
「?」
駄目という意思表示の後に、続きの言葉がキャラメルのおまけのようにさりげなくくっ付いた。それは予想外だったので、私は少しだけ顔を上げる。俯いていた時には真っ暗に見えていた世界が、隣で空を見上げる先輩を映した。
水色から明るいイエローに侵食され始めている空を仰いで、先輩は続けた。
「駄目だけど、手は引いていけないけど——ちょびっとだけね。これからりりるちゃんが歩いて行く道にある……足元の石ころを取っておいてあげようかにぇー」
「……石ころ?」
「うん、石ころ」
指先で、緑の間にあった石の粒を先輩が持ち上げる。灰色の石は少し土がついていて、先輩がいうような石ころという表現には当てはまらないほど小さい。小さくて、汚い。平然とつまみ上げる先輩を真っ赤になってるだろう瞳で見つめて、反芻した。
石を空にかざすと、先輩は口元を緩めた。ただの石の粒を、面白そうに、愛おしそうに。
- 最後まで手を伸ばす私9 ( No.146 )
- 日時: 2011/09/11 19:46
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
「愛って何なのか————りりちゃんが本当にその答えが欲しいのなら、絶対に答えを他の人に求めるな。これは基本、最初に絶対に持ってないといけない条件。考えるところまで他の人にやらせといて、自分は最後に素敵な答えかっさらうなんて、そんなのおかしーでしょ? 油揚げをとんびが持っちゃうーみたいな感じ?」
肩を揺らして笑うと、先輩は石粒を手のひらから芝生へと落とした。
手のひらにはまだ土の残りがくっついていて、茶色の粉がぱらぱらと先輩の指先に付着している。「次が大切なんだよ」と私に告げると、土が付いた指で芝生を撫でた。小説を生み出している先輩の指先が、つんつんと立っている緑を押し、お辞儀させてゆく。
「きっと、自力で答え見つけるのってさ。すっげー難しいし、疲れると思うんだよね。それよか、目の前に答えが落ちてる方がずっと楽だ。……痛いし傷つくし、もー本当に自分で歩いて答え探すのってめちゃくちゃだるいっつーの」
——だったら、教えてくれても。
つい言葉を挟みかけた私を咎めるように、先輩がじろりとこちらを向いた。私と先輩の視線が一直線につながり、真剣な色を帯びる。鋭い視線から逃げたくて、私は顔を背けた。黙々と指についた土をぱらぱらと落とす作業をして、先輩はぼぅと頭上を見上げる。当たり前だけど、頭上には何もない。空虚な世界のみがそこにあった。
「うん、りりちゃんの言いたいことは分かるんだよ? だるいんだったら正解を教えろよ、っちゅー言葉もちゃんと聞こえてるのさぁ。……でもねぇ、実際さ。りりたんは、私に過去話を聞かせても何にも満たされなくて——むしろ自分が答えに飢えてるってこと、思い知らされただけでしょー?」
「……そう、だと……思います……」
からからの喉は、肯定を曝け出した。
答えに飢えている。先輩の考えは見事に的中していた。確かに私は今まで、愛とは何かという疑問の答えを求めていた。そして、飢えていた。答えが欲しいと、きっといつか貰えるだろうと、あやふやな誰かの存在を信じていて。
うん、と頷いて先輩は相好を崩した。細められた瞳が、涙目の私を映している。
「痛いよね、苦しいよね。…………だけど、りりちゃんは自分で立って歩かなくちゃいけない。何も満たされなくて、思い知らされたりりちゃんはねぇ」
それまで体操座りをしていた先輩が、ふいに立ち上がる。スカートに、さっきの土がくっ付いていた。お尻を一度ぱんぱんと手ではたく。はたかれた土の粒は私の目に入りそうで、私は目をとじた。目をとじた時に涙の残りが外へ出ようと、震える。涙を流すまいと目に力を入れると、なぜかまた泣きそうになった。おかしい。
「欲しいもの欲しいなら、どれだけ辛くても我慢しなよ。痛くて泣きそうでも、欲しいなら全力で掴みとらなきゃ。泣いたって、どれだけ悲観しちゃっても……誰も助けてくんないんだ。小さい脳みそから血ぃ出る程に考えろ。泥んこにまみれたって、自分がぼろぼろになったって——歯ぁ食いしばって、立ち上がって、笑え。そんで、スタッカート打ち込め」
「スタッカート?」
「それはこっちの伏線的なアレだから触れないよーにするのだ」
語気を荒くして、先輩が(自分では怖いと思っているであろう)怒った表情を作る。ぐむぅ、と唸り。
——スタッカート、ねぇ。
先ほどの耳慣れない言葉を繰り返した。耳に入った瞬間、震えるような力を持つ、その言葉を。
スタッカート。音と音の間を断続的に切る奏法、また唱法のこと。それが一体、私のことにどう関係があるんだ。伏線って何だ。また小説関係なのか畜生。……虫のように足元に這い寄ってくる疑問を蹴散らそうと、私は眼前の先輩へと意識を集中させた。
「変な風に、愛がどーとか、辛い過去だとか。格好つけんな。格好つけずに、もう恥ずかしいぐらいに本音ばりばりで行けば良いじゃん。……世の中ではさぁ、銀髪赤目で親が魔王で右腕に傷だとか、過去に両親が殺されて何とやらとか、そーゆー無駄なもんつけてるのが格好良い、って思われてるっぽいけどね。だけど、そのままで良いと思わない? 堂々と、そのままの姿で行こうよ。簡単に伝えられるものを装飾品だらけにしちゃったら、重いばっかで、全く伝えられないじゃないか!」
- 最後まで手を伸ばす私10 ( No.147 )
- 日時: 2011/09/11 19:47
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: wzYqlfBg)
- 参照: ラストっす
先輩が両腕を広げた。冷たい空気を割るように、ずいっと。両腕を広げたポーズの先輩は、そのまま背伸びをした。うーん、と気持ちよさそうな先輩の声が聞こえる。
振り返り、にへらと笑った。先輩の笑顔を正面に構えていると、今まで固めていた何かが崩されるような怖さを感じる。先輩は顔の横に一本指を立てると、私に問いかけた。
「……それじゃ、一応話し終わった後でもう一度。ゆっくり訊くから、答えてみてちょー? まず、一つ目。りりちゃんは本当に、愛なんていうよく分からないものの答えが欲しいの?」
「そ、それは……」
「二つ目」
間髪入れずに、先輩が続ける。
私はもやもやとした感情に整理がつけられずに冷や汗をかく。直接前にしたことのない、自分の中にある本音が顔を出す。自分の本音を直視したくなくて、私は顔を背けようとする。先輩はそれを許さない、許してくれない。唇を噛み視界を黒に染めて、私は先輩の質問から逃れようともがく。
格好をつけていた自分の中にあった、殻。殻の中に閉じこもりたい衝動に駆られる。だけど殻はもう彼女の言葉によってぐちゃぐちゃで、壊れていた。
それでも————逃げ出すことは無理なのに、足掻く。
「りりたんが本当に話をしたい相手は、別にいるんじゃない?」
「!」
——気付かされて、しまった。
脳裏に、嬉しそうに微笑んでいた涼ちゃんの姿が浮かぶ。脳みそは丁寧に昔の彼女の笑顔を記憶していて、じわりと網膜に彼女の笑みが焼かれる。熱いそれを消し去りたくて、目を大きく見開く。
脳内の涼ちゃんを振り切ろうと、現実世界に目を向ける。胸が痛くて、泣いてしまう。苦しそうに顔をしかめた私の世界には、目を閉じた時と変わらないままの先輩が平然と立っていた。さっきと変わらない、微笑。
——何でこの人はこんなにも笑ってられるんだろう。
だって私は、こんなにも泣きそうなのに。泣きたいけど、泣いてしまうようなみっともない自分が許せないのに。
胸が震えた。先輩の言葉は私の本音にしっかりと打ち込まれていて、釘をさされた壁のように、抜くことは出来ない。びりびりと突き刺さった言葉は私の心を震えさせ、それは体全体を駆け巡り、私の喉を圧迫する。
——あぁ、そうだったんだ。
先ほどの“石ころを取ってあげる”という発言の意味を、理解する。
——これは確かに石ころだ。
両手は熱く、握り締めると手のひらに爪が食い込んで痛かった。
それは今まで被っていた薄い膜をとられたことにより、初めて感じた、生きているという感覚のような気がした。
「あの、先輩」
「はい、なーに?」
「私、今すぐ会いにいかなきゃいけない人がいるっぽいんです。だから、ここで失礼します」
「うん。分かった。それじゃーね、勉強、頑張れ。陸上も」
「………………はい」
何もかも見透かしたように先輩は笑う。ように、というか実際見透かされてる。
先輩は私の足元に散らばっていた石ころを全部拾い集めてくれた。
今まで、答えへと歩みを進めるのを邪魔していた、足元の石ころを。
(石ころは、今まで本音と正面からぶつかれなかった私の……心の、無駄な装飾品なのかな)
薄っすらと考えていると、いつのまにか先輩はフェンスをくぐり終えようとしていた。一瞬までとは言わないけど、長年この穴あきフェンスを使っていた先輩の素早さに少々驚く。フェンスの向こう側にやっと到達した先輩は、ふぅと一息ついた。
「んじゃーね。私の小説、書店で見かけたら買ってねぇ」
「……ペンネーム、分かんないじゃないですか」
「あはは、そうかも」
おかしそうにお腹を押さえて、先輩は片手を挙げた。
さよなら、元気でね。……たった一つの仕草で、こめられた思いが分かった。
三浦先輩を追いかけようと、先輩がくるりと踵を返す。通学路へと走り始めた先輩は結構速く、焦っているような様子がみられた。小さくなっていく背中を見て、私のために貴重な時間を割いてくれていたのだと知る。
——そして、私は本当に彼女の後輩として、“愛”されていたのだと。
「先輩ッ!!」
曲がり角に消えていきそうな先輩の背中に、叫んだ。
明日になって喉が痛くなっていても構わないぐらいの大声で、思い切り。
先輩は自分を呼ぶ大声に気付いて、一旦止まって私の方を向く。揺れるマフラーを視界にとらえながら、私はより大きく声を張り上げた。
「卒業ッ! おめでとうございますッ!!」
——何だ。やれば出来るじゃない、りりたん。
先輩が優しく笑う姿が、網膜に浮かび上がる。だけど、その笑顔を見ることは叶わない。先輩は卒業して、先輩じゃなくなってしまったから。きっと先輩はこれから、見知らぬ誰かさんへ、“スタッカート”を打ち込みに行くだろうから。
私の驚きの行動に対して、一度だけ、たった一度だけ——小さな先輩の片手がひらりと振られた。
一瞬のその行動に、目頭が熱くなる。
涙の代わりに出てきたのは、言葉だった。
「最後まで——本当に最後まで。……私の先輩で居てくれて、有難う御座いました」
感謝の言葉と共に、私は体育館裏を後にする。
——私には、まだやることがある。
髪を揺らす風は、まだまだ冬を色濃く残していて、冷たくて、ぴりぴりしている。ほのかに混じる若葉の香りは、春を感じさせた。
私の胸はぽかぽかと温かい。熱いぐらいだ、と涙の筋が残る頬を手の甲で荒く拭いた。
「……待ってて、涼ちゃん」
呟くと、白い吐息が洩れた。
——これから君に、私なりのスタッカートを打ち込むから。
馬鹿みたいに悩んでいた私の本音を、笑いながらで良いから聞いててくれると嬉しい。
突き放したくせに、と怒られるかもしれない。話かけたら無視されてしまうかもしれない。
「でも、それでも、ひたすらに頑張るから。……だから」
——ただ、振りほどいた君の手を掴むことを、もう一度。……私にさせて欲しい。
だんだんと人が散って行く体育館前を走り抜けた。人の波に逆らう私を、周囲の人間は目を丸くして見つめている。その中には、見知った同級生もよくお喋りしたことのある卒業生もいた。みんな、今までと違う私を見て、驚いているようだった。
人混みに溜まった分厚い二酸化炭素の壁を片手で払い除けて、私は彼女がいるであろう教室に向かう。
「今度は格好なんてつけずに————ちゃんと、真正面から向き合いたいから」
以前の格好をつけた私ではなく、本音を言える私と、彼女が友達になってくれるまで。
私は風を感じて、走り続ける。
スタッカートを足元に響かせて。
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