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ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 艱難辛苦 ( No.5 )
- 日時: 2010/11/10 16:43
- 名前: 桜音ルリ ◆sakura.bdc (ID: KSgygua7)
第一話【天女】
ここは相模小田原城。
主たる北条氏康は、不在である。
「稲様、松田様よりのお文では・・・」
「ええ、今日お戻りと言うことです。準備は済んでいますね?」
「もちろんでございます! お客人もいらっしゃるということですし、恙無く。」
「結構です。では、あとは待つのみです。」
女中の一人と台所付近で会話しているのは、氏康側付きの女中頭、稲である。
興奮しているらしき女中とは対照的に、彼女は笑みを浮かべることも無く、無表情に、では、とその場から去った。
しかし、女中はそんな彼女の反応に慣れているのか、気にした様子もなく、忙しい、とつぶやきながら台所へと戻っていったのだった。
彼女は忙しい。
城の主である北条氏康公が城を空けて数週間。
その間、この城を守っていたのは、残された北条軍の兵士だけではなく、老中や女中や出入りの商人、その他もろもろの人々の手によってである。
その間を縫うようにして、彼女はひっそりと彼女の役目を果たしていた。
その一つが、松田憲秀の畑の管理である。
朝早く起き、他の女中たちと仕事をし、そして畑の世話をする。
土いじりは嫌いではない。
すくすくと育っていく様を見るのは、楽しいものだ、と、そのときばかりは彼女の表情は自然に綻ぶ。
そうして、炎天下ではあったが、水遣りを終え、木陰で一休みをしていた稲の耳に、遠くから歓声が届いた。
手巾で汗を拭って、顔を上げた。
帰ってきたのだ、城主が。
稲は、はぁ、とため息をつくと、土を払いながら立ち上がり、身支度を整えるために城へと戻る道をゆっくりと歩き出した。
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