ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 無能と無慈悲と無駄遣い ( No.10 )
- 日時: 2010/12/11 11:09
- 名前: 出雲 (ID: kDmOxrMt)
「帰るわ」
女は目を開けると、簡潔にそう言うなり千里に背を向けた。
千里は無表情のままその姿を見送るように、目を離さない。
「 」
ハイヒールが床を打つ音が響き、マスターもまた女の跡を眼で追う。
女が扉に手を掛けようとした、その時。
千里が言葉を発した。
「また、何処かで会おうか」
千里の言葉に女は硬直し、振り返ることなく呟くように口を開く。
『逢えることを願っているわ』
風の音が開いた扉から鳴り、女の姿が酒場から消える。
《無音の舞》が去った後はやはり無で固められた。
「千里、どういうことだ?」
マスターの声。
「いずれ分かることだが、俺も深入りする気は無いのでな」
千里は自らが遠くへ蹴り飛ばした、女の扇子を拾い上げる。
意味ありげなその言葉に、マスターは一度眉間に皺をよせたが思い出したかのように鼻を鳴らす。
「また、政府に協力してるのか」
千里は扇子を眺めながら、マスターの方を見る事はせず声を漏らす。
「違うさ、利用されてるんだよ」
千里は利用されている、と言った。
政府。
この男には、裏の世界には脅威とされようとも言う、言葉。
「灰里のことをお前はまだ、恐れてるのか?」
徐に扇子を握りしめると、言葉が飛び交っていてもなお千里は歩き続ける。
向かう先はコートがかかっている椅子。
「恐れている?何を……」
自らのことであると思われる、影のコート。
「何故俺が、無能なアイツを恐れる必要がある?」
それを翻し扇子を仕舞うと、フードをかぶる為に手を後ろに回した。
「馬鹿言うな、アイツの無能と俺の《無能》は違う」
そう言った時には、既に千里はフードを深くかぶり顔を隠していた。
マスターが溜息をつくと、千里は懐からナイフを取り出し投げつけた。
壁。
少女が倒れ込むその場所、頭上5㎝にも満たないそこへナイフの先が刺さる。
ナイフには文字が刻まれていた。
「そこの《無能》に渡しておいてくれ」
そこの《無能》、少女、千里。
扉が開き、影がその言葉を残し去っていった。
残ったのは倒れ込んだままの少女とマスター、そして先程より知らぬ間に数を減らした客だった。
客は、突然現れたその影に動けなかった者達。
興味を持ったようにその場に残った者達。
全員がマスターの方を見る。
「心配はいらない、通りすがりの《無能》だよ。
アイツは」
マスターは首を横に振ると、呆れたように。
もしくは、何も言えないという表情で出したのがその言葉。
無能。
その言葉だけが酒場に響いた。