ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 【Veronica】 ( No.189 )
- 日時: 2011/03/16 22:21
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
- 参照: へっくしゅん。
靴紐がほどけかかっているのに気付き、フリッグはしゃがみこんで結び直した。スニーカーに黒い飛沫が飛び散っている。血液は乾いて黒く変色してしまっていた。
———さて、と。
自分の意志が揺るぎの無いものだと再確認のつもりでフリッグは大きく息を吸い込んだ。夜中の空気は朝の気を帯びてきている。
まだ遠くでは爆音やらなんやらと騒がしい物音が止まずにいる。と言うことは、未だにあの竜は攻撃に耐えている訳だ。フリッグは改めて銃に装填されている弾を確認する。……きちんと全弾入っている。それで大体の準備は整った!あとは自分の体力の問題である。少しでも力みすぎると、腹部が出血してしまう。
彼は少しだけ力を入れて一歩踏み出した。すると腹部に突き刺さるような痛みが走り始める。「——つぅっ…」と小さく呻き声をあげて軽く腰を曲げて踞るが直ぐに背筋を伸ばした。これぐらいどうってことない。痛みの我慢は慣れている。
前に出た右足の先に左足を突き出す。地面に圧力をかけ、一歩踏む。また腹部が痛んだが、今度は踞るのを我慢し、代わりに右足をまた前に出した。なんとか痛みに慣れてきているようで、だんだん感じなくなってきた。二度目の左足を出すタイミングは少し早められる。痛みは和らいでいく。———よし、行ける。確かにそう感じた。一歩一歩徐々にスピードを上げ、フリッグのはやがて"歩く"のではなく"走り"になった。
土を蹴り上げる。躰が弾むように、前へ突き出て行く。息が少し苦しくなったが、其処は我慢した。腹部の痛みはいつの間にか全て消え去っていた。
だんだんと視界に明るみがさして来て、真っ暗に近かった世界は赤々と燃え始めた。爆撃音やら、なんやらと轟音が絶えない。耳を劈(つんざ)くような音も絶え間なく聞こえている。それに感度の良い彼の耳は少しだけ苦しめられた。騒音に思わず目を瞑って耳を強く抑えてしまう。が、足は止めなかった。
「馬鹿野郎!何で此処に来てんだ!!」
物陰で銃を構えながら隠れていたウェスウィウスが彼に向って怒号を上げた。が、フリッグはそれを悉(ことごと)く無視し、爆撃に耐えている竜へとゆっくり歩み寄って行く……。
幾つかの飛行機が無残に炎上して横たわっていた。戦場と言っても過言ではないような景色である——と言ってもフリッグは実際に戦地を見た事は無い——。たった一匹の竜によって此処まで壊滅的な状況に追いやられるとは、人間は文明をいくら発展させていっても敵わないものがあるのだと思い知らされた。
「ポチ」
フリッグはある程度ポチの全身を双眸に綺麗すっきり入れれる場所で立ち止まり、彼女の名を呼ぶ。一度目は、今までの呼称で。
「ボク、危ないからこっちに来なさい!」物陰から現れた若い女の軍人がフリッグのぼろぼろの躰に掴みかかった。「何してるの、早く!」
そう急かした軍人の腕を振り払い、少年は右手に持っていた拳銃を頭に強く押し当てた!不気味であるけれども、何所か綺麗な独特な機械音が音を立てる。安全装置は外され、引き金を引けばすぐに鉄の塊が発射されるようになっていた。
「テメエ!何してんだ!!頭ぶち抜いても何も起きねえぞ!死ぬぞ!!」
銃を渡した張本人のウェスウィウスが駆けよろうとしたのだが、その足はすぐに止められた。フリッグの鋭い翡翠の眼差しに、足が止められる。鋭く、揺るぎないその眼光は今まで放たれていたどんな銃弾よりも、人を一瞬で止めてしまうような力があった。
「邪魔しないでください。———邪魔すれば、頭ぶち抜きます」
いつもより増して低い声色で、切れ味の良いナイフのようなその言葉は一瞬でその場の動きを止めていた。誰かが命じた訳でもなく、旋回していた鉄の鳥たちは全て地上へと降り立ったのだ。今のフリッグの姿をウェスウィウスは見た事が無い。この少年は、一分も無い行動で大人たちを一発で止めたのだ。
漸く猛攻撃から解放された竜は、血にまみれた深緑の体躯を少しだけ地面に付け、眠りにつくかのように紅の瞳を閉じた。それにフリッグは静かに歩み寄っていく。———銀の銃(つつ)を頭に押し当てたまま。
「ティア、マット」
少年は、竜の名を静かに呼んだ。音が消えた空間の中で、その声だけがこだまする。自分の名を呼ばれたポチ———いや、ティアマットは下げかけていた頭を上げ直し、血赤色の眼を見開いた。
———フリッグ……?
やっとその名を呼んでくれたか。彼女はずっと聞きたかったその名を呼ぶ声に反応して思わず涙した。フリッグはそんなティアマットにパタパタと駆けよる。顔の近くまで来て、手を伸ばした。その手が丁度自分の顔にあたるようにとティアマットは頭を下ろす。
「思い出したんだ、お前との約束。家族が居なくなって寂しいのなら、僕が家族になろう。お前が感じる孤独も、寂しさも、怒りも、悲しみも、全て分かち合おうって。どちらかが死ぬまで、一緒だ。共に生きて行こう、って」
翡翠の双眸を強く閉じ、少年は眼から流れ出ようとする涙を無理矢理堰き止めた。が、涙はそれをこじ開けて外へ流れ出る。そんな彼の涙をふき取るかのように深緑の頭(こうべ)がフリッグの顔を撫でるように触れ始めた。
『ああ———。良かった、思い出してくれたのだな』
彼女も静かに大きな眼から雫を零す。また眼を閉じた。それと同時に彼女の大きな体躯が蛍の様な淡い光に包まれ、徐々に小さくなる。その何とも不思議な光景に、その場に居合わせている者たちは思わず釘付けになった。
小さくなった光を両手いっぱいに持つ。縮小が止まったと同時に光ははじけ、蛹が蝶々に羽化したかのように中から小さな子竜が現れる。何時もフリッグのそばに居た時と同じサイズのティアマットである。躰から流れていた赤黒い血はそのまま止まらずにいた。眼を閉じ、眠るようにしている彼女の躰をフリッグは優しく撫でてやった。
———彼女がある程度回復したら、もう一度謝るか。
一件落着な気がしたのだが、顔を上げて周囲を見回してみるとそうはいかなくなりそうである。ティアマットの抵抗によって破壊しつくされた周囲を見ると、自分とこの竜の身に何も起こらないということは百パーセント無いだろう。どうしようか、と途方に暮れた時だった。
彼の肩が、温かい手にポンと叩かれた。
「あーんしんしろ。事情を教えてくれりゃあ、なんとかしてやるよ」
そうフリッグを励ますウェスウィウスが叩いた本人だった。彼は白く綺麗な歯並びを見せて笑いかける。相変わらずの兄貴ぶりに、思わずフリッグは泣きそうになった。———今まで何度もこの笑顔には助けられてきた。養父母の時も、ウェロニカの時も。
が、そういうウェスウィウスも内心不安で一杯であった。フレイに相談すればなんとかなるのかもしれないのだが、大丈夫という保証は無い———自分の身はどうでもいいが、フリッグとポチの身に何かあっては困るのだ———。だからと言って、元気づけようとした自分が途方に暮れるような素振りを見せては二人(一人と一匹の方が正しいが)を不安に駆らせてしまう。漏れそうな溜息を必死に堪え、のみ込んだ時だった。
「ククク———何だか、お困りの様で」
朝焼けが見え始めた、閑静な空間に響いた声。通った声だが、"澄んでいる"とは例えたくない、何だが不思議と淀んだように感じる物だ。
不気味に笑うその男声は、明らかに困り果てる二人に向けられているものだった———。
<Oz.12:Tagesanbruch-黎明- Fin.>