ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 【Veronica】 ( No.275 )
- 日時: 2011/06/11 19:00
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: rbVfLfD9)
- 参照: ジ ー プ = は く り ゅ う (゜Д゜)
「っぐ!」
顔を思いっきり地面に埋め、手足をばたつかせた。勢いで口内に土埃が入り、土の味が広がる。背中に背負っていたアンバー種の少女の体躯はごろりと重い音を立てて転がる。フォルセティから左程離れずに、止まった。咄嗟に起き上がったフォルセティはメリッサに手を伸ばす。が、届くことなく手は空中で停止した。空中で、触れることなく止まった手が静かに降り、同時に座り込んだ少年の膝もとに帰った。少年は頭(こうべ)を垂らす。
「———僕、嫌なんです。『頑張れ』とか、そういう言葉」
誰に言っているわけでも無い言葉はそのまま辺りに浮いていた。届く人間もおらず、貰う人間も居ない。只洩らされた言葉だった。
フォルセティの顔に自嘲が浮かび上がる。靴下からは血がにじんでいた。小さな躰の限界が見えていた。
「よく、有るじゃないですか。『応援してます』とか。最低な事に、僕、その言葉嫌いなんです。『やれば出来る、だからやれ』とか、『まだ出来る、本気出せ』なんて聞いたら反吐が出るくらい嫌い。いくら頑張っても出来ない事ってあるのに、って思うから」
少年の言葉は自分に言い聞かせるようにこだましている。彼は続けた。
「もう、自分でも頑張ってる!ってくらい頑張ってるときに『頑張れ』『まだ』って言われても何とも出来ないじゃないですか。だから、嫌い。そう言うだけで自分がまるで協力してるように錯覚して、でも他人事だっていうのが、本当嫌。———って、我儘ですね、僕」
「別に我儘じゃないよ」
自らを嘲っていたフォルセティに、弱々しいアンバー種の声が響く。うっすらと目を開けたメリッサが口を動かしていた。
「我儘じゃないよ、そんなの」
彼女はもう一度言った。
「メリッサさん……。意識」
「大丈夫——ではないみたいだけど、取り敢えず意識は戻った感じ」
フォルセティが言う前に彼女は答えた。フォルセティは何も言わずに項垂れている。天井を見上げたままのメリッサは喋る。
「アタシも分かるから。そういうの」
それを聞いたフォルセティは目をカッと見開く。
「そうですか」
そのまま何とも言えない笑みを浮かべていた。喜び、嘲り、悲しみ——全てが均等に混ざり合ったような表情だ。はは、と声を漏らす。アンバー種はじっと琥珀玉の双眸をやった。
「頑張ってる人間にこれ以上言うのは残酷だよ。それは傲慢なことでもあると思うしね」
「いやですね。変に気が合う」
「気が合う——ね」少女はフッと笑いを漏らした。「対立しあう仲だろ?」
「本当、嫌いなはずなんです。でも、何でしょうね。この感じ」
フォルセティはそっと胸に手を当てた。敵として見做していた筈だったメリッサがそう思えなくなっている。不思議で仕方無かった。
彼女の無茶ぶりは何とも言えない。
だが、その姿に敬愛する母——イルーシヴが重なった。諦めない限り道は続く。先にある物が必ず良い結果だとは限らない、しかし諦めた時点でその先にある物を手に入れる事は不可能になる。結果だけがすべてではない。其処まで来た道のりこそが、真の宝となる———イルーシヴの言葉だった。
———そうだ、結果だけが全てじゃない。大事なのは、"心"。諦めないっていう、"心"。
目を閉じて自分に言った。メリッサの言葉もこだまする。
『そんなさあ、絶望してる暇があんなら、さぁ……。———希望持とーよ』
フォルセティは倒れているメリッサの躰を起こした。そのまま背中に運んでやる。
「僕、アンバー種って勝手な人間だけだと思ってました」
———そう言えば庇って貰っていたっけ。
まだ自分で起き上がるのは出来ないようで、メリッサは彼の背中に落ち着いた。
「アタシはそうかもしれないけど、案外違ったりするよ」
彼女は苦笑する。レイス・レイヴェントの様な人間も居るのだ。——幼き少女を助け、仲間を第一に考え、自己の犠牲を払うことすら躊躇わない。無意識のうちに、メリッサは彼のそんな姿を父親に重ねていた。子供と同レベルの人間でありながらも、彼は最終的にメリッサの為に死んだ。いや、彼女を救うべくして死んだ男だ。そんな男など、そうそう居ない。父親として、ある種誇りに思えるほどだ。
「いいや」フォルセティは首を振る。ふわふわとした栗毛が左右に振られた。「メリッサさんも、そんな人間じゃないって分かったから」
そう言われて思わず目元が潤んだ。どうしてかは分からなかったのだが、兎に角眼がしらが熱くなる。振袖に顔を埋めて拭き取った。涙声なのを悟らせないようにしようと思ったが、やり方が分からなかったので非常に小声で喋る。
「アタシの事はメルで良いよ。なんか面倒くさいじゃん」
「でも僕が敬語じゃなくなったら誰が敬語キャラになるんですか?あ、僕はセティで良いです」
「誰がって——……。気にしなくても良いじゃん。居なくてもいけるっしょ」
「駄目ですよ。世渡り下手そうな面子なんですから」
「アンタねえ」
「はは、メルさんが悪いんですよ」
気が付くと二人とも緊張を解いて笑い合っていた。漸く互いのぎこちなさが昇華された気がする。
もう警戒はしていなかった。だからか、フォルセティは自然に素性を編み出せていた。
「僕の師匠———図書館の館長で育て親なんですがね」
メリッサは動かない、喋らない。制止したまま、聞いていた。
「昔、アンバー種の賊が数名、書物盗みに入ってきた際、僕を庇って半身不随になったんです」
ここでメリッサは小さく「そう」と吐いた。
決して珍しい話ではない。流民のアンバー種であるが故、決まった稼ぎ所に勤めず、より大きな利益を求めて盗賊になる者も少なくはない。メリッサも本来は南方のサンディ=ソイルの生まれであるが、父親セージの都合からアースガルド王国に居住したという経緯がある。決まった居住区を探さず、まるで風のように流れていく琥珀の民だからだ。迫害の経緯からこのような状態に落ち着いたのだ。これは正の影響だけでなく、負の影響ももたらしていることは間違いではない。
俗に言うリストラ———つまり、流民故、解雇される者が多いのだ。アンバー種を毛嫌いするのも少なくない。稼ぎ場を失った者が流れるのは盗みという働きだった。目に見えたものしか信じない性分も重なって、それは確実な職業だという確信が確かになっているのだ。
「その時に、この天命の書版の姉妹書———聖人の書版が盗まれて。師匠の仇と、それを取り戻すのが僕のやるべきことで、それをやったアンバー種が完全な悪だって思い込んでました」
あの日、命懸けで師匠は彼を護った。その代価としてか、彼は不自由になり、姉妹書も盗まれるという結果に陥った為、幼い少年の心には、賊の邪な琥珀光が悪として認識されてしまったのだ。
「アタシもさ」俯くフォルセティにメリッサは語りかける。「アンタらは好きじゃなかった」
メリッサも同様だった。育ったアースガルド王国のアルフヘイムからふざけた協定の所為で追われ、挙げ句家族を殺された。代わりに手に入れたのは、皮肉にも"運命"の名を冠する神器だ。
「アメジスト種なんつー人種は邪魔者なんて眉一つ動かさずに排除出来るような冷酷な奴等だって思ってた。———でもね、種族なんて関係無いんだよ。そんな狭い枠に囚われて、"個人"をちゃんと見ていなかった」
彼女は目を伏せる。
「————うん」
少年が深く顎を引いたので、栗毛が揺れた。此処で漸く個人として捉え、付き合えるようになれたと少年は思う。
しかし、フォルセティの言葉を最後に会話が途切れた。違和感というよりも不審に感じたフォルセティは恐る恐るメリッサの顔を覗く。長い睫毛を伏せた流民は弱い呼吸をしながら意識を失っていた。やはり限界に変わりはなかったようだ。仕方無く彼女の四肢を、躰を持ち上げて背負いあげる。
「何だかんだいって、似てたんですね」
彼は自嘲した。
———安全なところまで連れてかなきゃ。
背中のメリッサを案じ、少年は進む。しかし限界に来していた彼の肉体は耐えられそうになかった。最早気力だけで歩いているも同然。太くなった精神が全てを支えていた。
暗い。何も分からない。ただ歩む漆黒の中、その気力も折れそうだった。駄目かと思った瞬間、額に冷たい感触が走る。
「誰だ?」
やっと銃口の冷たい感触だと気付いた頃には遅かった。聞き覚えの無い若い男の声だ。その前にはウェスではないかという淡い希望を抱いていたのだから、幻滅し失望した。同時に足が折れる。背中のメリッサごと地面に落ちた。
そこから意識が飛ぶ———————。