ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- 序:recitativo ( No.3 )
- 日時: 2011/02/08 17:57
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 7Qg9ad9R)
君を救えるのなら
世界なんていらない。
<序:recitativo>
「ウェル、駄目だよ」
見るからに、愉しげに微笑みながら草原を駆けまわる白金の髪の少女に、橙色混じりの、柔らかく見える金髪の少年が、少女を止めようとして叫んだ。その声は、彼が疲れているのを感じられるようなものだった。
「フリッグ、フリッグ!早く早く!!」
少年のことなどお構いなしに、むしろ急かすように少女は何度も言葉を繰り返し、手を振りその場で何回も跳んだ。
少年———フリッグはその行動に呆れながらも内心嬉しく思っていた。家族の居ない、何処で生まれたのかも分からないような餓鬼(自分)に分け隔てなく接してくれる。ウェル、本名はウェロニカ。
「———ウェル、少し待とうよ」
息が上がる。元来、体を動かすことが苦手で———それの所為か体力が無いフリッグは一瞬だけ立ち止まって呼吸を整えた。心臓が破裂しそうなくらいに膨れ上がっている気がする。口の中は、鉄でも舐めたかのような味がしている。足が止まらない、原則に言えば震えている感覚だ。随分長い間走っていたせいなのか、立ち止まることを足が忘れているようだ。急に止まった自分が悪いのだろう。長距離走などでは止まるときは徐々にスピードを緩めてから止まるものだ、と聞いた記憶があった。
「フリッグ?」
少し離れた遠くの場所でウェロニカは止まってすぐ後ろ———といっても距離があるが———のフリッグを見た。彼が呼吸を整えているのを待つ。澄んだ蒼の瞳と白金の髪をしたウェロニカは息を整えるフリッグを静かに見守った。この世界にある、数多くの人種の一つであるラズリ種のウェロニカは、ラズリ種の最も特徴的な尖った耳をひくひくと無意識に動かす。
「ウェル、早い!」
———そういえば、私、フリッグが何の種族か知らないっけなぁ。
叫ぶフリッグの声など聴かず、彼の姿を見てふと思う。
白金の髪、蒼の瞳、尖った耳が特徴の北方に暮らすラズリ種の自分。暖色の髪に、翡翠のような瞳のフリッグ。一体君は何者なんだろうね、と少女は少年を見て思った。
漸く呼吸を整え終わり、ウェロニカに追いつく支度の出来たフリッグは一直線に彼女に向って走りだした。
「ウェル!追いついた!!」
彼女に届く前に、"追いついた"という言葉が先走った。
「追いついてなーい」
少女が少年に冗談半分で言い返す。
「今、もう追いつくって!」
少年は笑顔を向けて叫んだ。この、無垢な子供たちの光景は、実に愉しそうだった。
「ほら。追いついた」
フリッグはウェロニカの眼の前で少しだけ跳躍してみせた。最後だけ、少し恰好よく決めようとして。とん、と先ず右足が地べたに着いたその瞬間だった。
何かが、少年の眼前で爆ぜた。
閃光が迸った。
激しい光に思わず眼を瞑った。爆発か何かの衝撃で、少年の躰が吹き飛んだ。突然の出来事に少年は理解できなかった。間も無く、背中に大きな衝撃が走る。躰が聳え立っていた大樹の幹に激突したらしい。身体的なダメージは大きかったが、躰はさほど遠くまで飛ぶこともなく止まった。
頭の中はぐちゃぐちゃだ。
自分が見つからない。やっとみつけ、今度は頭の中で何があったかを整理する。未だ、何が起きたかは把握出来ていなかったし、彼の中に考える余裕などなかった。重たい躰を起こし、とりあえず現状把握の為と、記憶の糸を探り合った中で最も新しい出来事のあった場所へと向かう。幼馴染のウェロニカが確か、この先に居た。追いついた瞬間に何か爆発が起きた、それは理解している。
フリッグはいつも以上に躰に重力が掛かっているような気分で歩き、その場所に到着した。
「ウェル…?」
喉の奥からきつく絞り出さないと声は出なかった。これだけ絞り出しても、かすんだか細い声しか出なかった。彼は周囲を見回した。———居ない。
少年の中に焦りが表れ始めた。最悪の事態が脳裏を過ぎる。いや、そんなことない。少年は"あってほしい現実"だけを肯定し、あと全て否定した。
そんなことが続いてどのくらい経ったのだろうか。
漸く、フリッグはウェロニカと思われる白金の髪の人間を見つけた。うつ伏せになって、焼け焦げた花畑の中にそれはあった。
「———死んだふり?効かないよ」
———おふざけだ。冗談に決まっている。
その人間の腹部からは、赤黒い液体が出ている。躰の皮膚も、一部焼け焦げているように見える。
———冗談以外、認めない!
フリッグは肩を揺すった。その衝撃で動いた人間の顔がちょうどフリッグの眼に入った。
それは、ウェロニカだった。
爆発の所為だろうか、それともまだ生きているということだろうか。彼女の躰に僅かながら体温は残っている。
だが、手遅れだった。
既にウェロニカ・フェーリア・アリアスクロスとい人間はこの世に居なかった。
———しかし、そんなものをフリッグが受け入れるはずもない。
動かない彼女の躰をそっと抱きしめた。血がフリッグの服に滲む。現実を否定したが無意識に涙があふれ出ていた。
「嘘だ」
———悪い夢なら、覚めてくれ。
少年はどれだけ、切に願っただろうか。徐々に彼女の躰から体温が消えてく。それを逃げないように、逃げないようにときつく抱きしめる。
「おや」
ふと、背中で聞き覚えのない声がした。
反射的に少年は振り向いた。そこには、シルクハットを深くかぶり、黒ひげでほとんど見えない口を歪ませ笑う、太った初老の男が立っていた。———気味が悪かった。
「君、少し退いてくれるかな?」
フリッグの応答だけでなく意思もお構いなしに無理矢理フリッグをウェロニカから引き剥がした。そして、そっと死体の胸に手を重ねる。
「これも全て計画通り、我らが女神の復活の時」
男の言っていることは全く理解できないものだった。
「少年」
唐突に男はフリッグの顔を見た。「君もこの女神の復活を歓ぶであろう。何故なら我ら翡翠の種が再び繁栄する時代が来るのだから」
———翡翠の種?
自分のことだろうか。どの種族の特徴にも当てはまらない、自分のことなのだろうか。
「おじさん、アンタ一体———」
フリックの言葉を遮るかのように、男は彼に卑しく笑いかけた。と、同時に横たわり、目覚めるはずもなかった死体がゆっくりと意思を持っているかのように起き上がった!———死んだはずの、ウェロニカが。
「ウェル!!?」
振り向いた彼女の瞳は、虚ろに曇っていた。曇り硝子(ガラス)のような瞳で、フリッグを見つめた。
「ウェル、生きてるの!?」
フリッグが彼女に近づこうとした瞬間、男はウェロニカを抱き上げた。
「少年、君にもわかるだろう。この奇跡が。
我ら翡翠の種が再び世界に君臨するのだ!
その為には必要な少しの犠牲も理解できるだろう?」
「ウェルをどうするつもりだ!一体ウェルはッ…」
精一杯ににらみを利かせ、怒鳴り声をあげたが完全に無視されてしまう。
「ウェロニカは計画に必要不可欠な人間。
待っていたまえ、少年———」
「待てっ!!待てよッッ!!!!!」
フリッグは二人に手を伸ばした。ウェルの虚ろな瞳が此方(こちら)を向いている。必死にウェルの手をつかもうと、手を!手を伸ばす!———握るか握らないかのギリギリのところで、男とウェロニカは煙のように消えた。
掌(てのひら)に残った、僅かな煙にフリッグは愕然とした。絶望だけが、彼の中に残った。
それから三年後。物語は始まる。
<序:recitativo -Fin->