ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 【Veronica】 *参照3000突破、有難うございます! ( No.341 )
- 日時: 2012/01/07 17:43
- 名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: ikU9JQfk)
- 参照: 貯めていた分を一気に更新(おい)
『おかあさん』
小さな少女が、喉を震わせた。次に
『おとうさん…』
と擦りきれるくらいの微弱な声で叫んだ。
灰色の前髪は彼女の可愛らしい童顔を隠していた。彼女は、冷たい鉄格子にしがみ付いていた。その鉄格子の向こうで、何人かの老若男女が灰色の軍服を纏った軍人たちに連れて行かれている。先には゛シャワー室゛という文字が刻まれた看板が立ち、汚れたコンクリの建物がいくつか建っていた。少女は鉄格子の隙間から右腕を伸ばした。幼い少女の手は容易にそれをすり抜けたが、体まで通り抜けることなどまず無かった。——もどかしさが残った。
少女と同じ琥珀の眼をした男女が一瞬振り返り、微笑みを向けた。それが自分の両親なのだと分かった少女は更に腕を伸ばし、鉄格子に体を嵌めるように近く、強く体躯を押し当てた。厚手のコートから覗かれる、僅かに露出された彼女の肌には青黒い痣が何か所もあった。
『お、かあ………、お、と』
最早彼女の声帯は声をひねり出せそうになかった。そして親に近付けない自分に嫌でも気付いた。両親が何故、あの場所にいるのか分からない————自分たち゛琥珀の種゛がこのネージュと言う雪国で何をしたのだろうか?
平穏に暮らしていたはずの村人たちが一斉に連れだされた理由も分からない。その中で暴行を受け、強制労働を受け——そして命を奪われていく理由も分からない。
『準備は出来たな』
と低い男の声が響いた。はい、と近くの軍人がすぐに答えた。それは何かの合図だったらしい。数秒も経たないうちに、連行されていた数名がコンクリの施設の中に押しいれられた。それでも、最後の最後に男女二人が後ろを見て微笑んだ。——まるで、我が子に「大丈夫よ」とでも言い聞かせるような顔で。
それが、彼女の肉親の最期の姿だったのだ。
<Oz.20:Canossa-薄倖の少女、憂鬱の日々->
白い呼吸は、懐かしく思われた。ずっと雪国で暮らしていたフリッグにとって、その感覚、感触は久しぶりのものだったからだ。帝国に発ってからというもの、気候の全く違う環境にいたのだから、これはとても懐かしく、そして落ちつけるものだった。その安心感の中に、粉雪に紛れて吹きこむように耳の中に入ってくる゛風゛を心地よく感じるというものが雑じっているのに気付く。途端に、憂鬱になってきた。自分の中にある、過去の自分——マーリンという存在が次第に今ある゛フリッグ゛という概念をのみこんでしまうのではという不安に駆られる。そもそも今ある自分自体が一体何なのだろうか————その疑問が体中に渦巻いた。
咄嗟に首を激しく左右に振り、その疑問を振り払った。そうでは無ければ、きっとこのままこの場に停滞したままで居てしまうのではないかと思ったからだ。急いで他の思考を始めようとした。手探りで、今ある現状から何か深く考えていられるようなものを漁る。記憶の海の浅瀬にあったのは、つい最近邂逅したばかりのユールヒェンという少女だった。「儚さ」という言葉がいかにも似合う、そんな薄倖の少女だ。同じ種族であるメリッサやレイスと比べると、断然思い空気が漂っていた。メリッサよりも、どちらかと言うとレイスの方が近い雰囲気を持っているが、やはり何処か二人とは違う何かがある。それでも、何か三人に共通するものがあり、それはもしかしたら彼らアンバー種全員に共通するものではないのだろうかと思い始めた。彼らは自分の境遇を嘆くような事をしないくらい、何処か崇高な種族なのかもしれない。悲劇的な状況に置かれていても、偶像崇拝(※像などを宗教的対象として尊重すること)することも、選民思想(※神から選ばれた民族で、他民族を導くという使命を持つという思想。世界の終わりには神を信じることで自分たちは救われると言うもの)に
走ることも無い。きっと彼らには自分たちに絶対的な自信があるのだろう。
レイスは孤児院出身であると語っていた。メリッサは自分の過去を晒そうとしていないが、何か秘めているものがあるに違いない。どうように、ユールヒェンも何かを背負っている。共通するのは、過去を自分から洗いざらいに吐きだして、それを同情するように誘ってこないところだった。「自分の事は自分でやる」と言った感じだ。
————あの子にも、何かあるんだろうな……。
脳裏の中で吹雪で消えそうな背中を魅せるユールヒェンの姿を思い浮かべながら、耽る。何か追われている様子から、彼女には切っても切り離せない何かがあるはずだ。それに何処まで関わっていいかは分からない。しかし、いつの間にかフリッグは眼の前の人間を見放すことが出来なくなっていた。ついこの前までは他人に干渉することも、される事も嫌っていたはずなのに。人間との出会いが人を変えると言うのは、間違いではなさそうだ。
嫌がれるかもしれないけれども、訊いてみようと思った矢先だった。外にいたフリッグの敏感な耳に、硝子の割れる音が響いたのだ。ついついうっかりして、周囲を警戒する体制を取っていなかった。ハッとして、急いで戻る。靴に付着した雪を払うことなく、どかどかと家中に入った。そのまま荒い呼吸で、乱暴にドアを開け、階段を突き進む。耳は人間の存在を捉えていなかった。それでも、それはきっと誤った情報だと自分に言い聞かせ、ユールヒェンが安らかな寝息をたてて眠っている姿を思い描いた。しかし、現実は情報通りだった。寝室を開けた瞬間、視界に飛び込んできたのは空になった寝台と、割られた窓硝子————少女の姿など、何処にも無かったのだ。
荒れた形跡をぼんやりと眺め、脱力してその場に膝を付けた。ハッとして、急いでヘッドフォンを外し、耳を澄ました。微弱ながらも、人間の歩いて行く音が吹雪に紛れて二、三聞こえた。——まだ間に合うかもしれないと言い聞かせ、反射的に立ち上がって方向転換、今迄辿ってきた道を全速力で戻った。ヘッドフォンは付け直されること無く、床に放置してきていたので、゛絶対音感゛の耳はフルパワーで使えた。その耳を頼って、恐らくユールヒェンと彼女を連れ去ったと思われる者達の後を追った。雪で視界が悪く、更に足元のそれ程良いとは言えない状態だったが、それでも突き進んだ。細雪が目に入る。くそ、と吐き捨てながら、走り続けた。途中、深い雪に躓き、顔面を雪に埋めた。それでも咄嗟に起き上がり、顔にべったりと付いた雪など取らずにまた走り出す。口内が鉄の味に満ちていた。肺が痛かった。——まるでウェロニカを失ったあの時のように。最悪のケース——血まみれになって倒れるユールヒェンの姿——が脳裏を駆けた。その姿が自然とウェロニカに重なった。涕泗が無意識に垂れ流しになっていた。——それでも、と首を激しくふるう。
——分かっていた。これは、無意識に行っている罪滅ぼしの行為だと言うことを。
あの日、兄弟であり幼馴染であった最愛の彼女を救うことが出来なかった自分には、罪が無いことを証明するための様な行為にしかならないと言うことを嫌でも理解し始めていた。自分に関係してきたものを、全て救おうとしている行為が即ち助けられなかった彼女への罪滅ぼしの証なのだ。それは今や敵となってしまったウェロニカと対峙することに対する恐れでもあるようだった。今はもう、全てを救う気でいるのだ。
儚い白い影を漂わせたユールヒェン・エトワールと言う名の極寒の白い死神。
彼女の灰色の髪が、何処かウェロニカに重なった。
「くっそぉ!」
躓き、倒れた自分に対して彼は怒鳴った。走りたくても、足が、体が、自分の機能が限界をきたしてきているようだった。更に寒さで体が動かなくなってきているのも理解出来た。その理解は、したくなかったのだが嫌でもしなくてはいけないものだったので、悔しさが更に募った。募った悔しさを鬱憤するかのように、彼は自分の唇を血が出るくらい噛み締めた。出来るのなら、意識だけでも飛んで、彼女に追いついてほしい。それが出来ないのが、更に悔しい。無力な自分を嫌々思い知らされる様だった。こんな状態をみたマーリンはきっとほくそ笑むような感じでいるのだろうと思うと、腹立たしくなってくる。起き上がっても、もうふらついて歩けそうにない。フリッグの耳が捉えていた足音が、段々と遠のいて行く。聞こえなくなるのが怖くて、彼は足を踏み出した。が、一歩はとてもゆっくりなものになっていた。もう歩くことも儘ならなくなっている状態だったのだ。
とうとう足が凍ったように動かなくなった。雪が降り積もり、茫然とした体を白く包んでいく。粉雪を体にまとわせながら、彼は北の虚空を見上げた。そして大口を開けて咆哮する。
「うあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ !! 」
その啼き聲は、虚しく雪に掻き消されるだけだった。
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