ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: Veronica*参照700突破嬉しくて昇天しそう ( No.93 )
日時: 2011/01/08 17:30
名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 7Qg9ad9R)
参照: 出逢いが人を強くするの?それとも、別れが人を強くするの?-Veronica-

 ———生き血である。女はまだ生きていた。

「やだ、服に穴空いちゃったじゃない」


———は?

ごぷりと口元から黒くどろりとした液体を吐き出しながらにやりと不敵に女は笑った。そして全くのノーモーションで躰に突き刺さる水晶の槍を、それだけでは無く魔法陣すら一瞬で消し去った。硝子を割ったかのように全て砕け落ちる。

 ヘルは右手で自分のつま先から頭のてっぺんまで、一本の直線を描くように撫でた。すると手が通り過ぎた場所から傷口も、服の穴も全て塞ぎ始めあっという間に最初フリッグらが見かけた姿となんら変わらぬ姿になっていた。


———聖属性魔法最高位のレ・ラクリスタル……だぞ!?

その光景にレイスは驚愕する。魔法と言っても種類は様々。第一階位に属する聖属性魔法だけでも数百種類はある。そんな数多の魔法の中でもレ・ラクリスタルは聖属性魔法の頂点に立つものだ。同じ属性魔法でもこれを超えるのは、禁書を読んで習得するしかない"聖なる審判(ホーリエスト・ジャッジメント)"だけである。

 そんな呪文を悉(ことごと)くヘルは破り去った。だが茫然としている暇は無い———!


 跳躍したフリッグが背後からヘルの背中にスニーカーを押しつける。全体重をこの脅威の女の体に押しあて、前方へと踏み倒す。まるで女体をトランポリンのように扱い、少年の小柄な躰は後方へ、そして地面にそっと着地した。

「なんだか分からないけど、眠ってろ!」
フリッグの怒鳴り声と同時にヘルの周囲にあった音が一瞬で刃に変わり、ヘルに降りかかる。———が。


「———弱くなったわね」

攻撃に呆れたヘルは呟くように言った。フリッグに幻滅したのだ。ああ、あの頃の強さの欠片もないじゃない。

手を一振りするだけで音で出来た刃を全て振り払うことが出来た。こんなもの、私たちにとってはくだらない餓鬼の足掻き。余裕綽々のヘルの背後から大剣を振り下ろすレイスの姿があった。


 ザン!!


 レイスが振り下ろしたクレイモヤの刃は女性の髪をバサリと切り落とす。いや、それしか出来なかった。精一杯の攻撃でたったそれだけ。


 だがそのヘルの不意を突いたかのよう、彼女の腹部に大きな衝撃が走った。内臓が圧迫され、躰の中にある臓器が口から出そうな感覚に陥る。

よろけた女の足元を魔法陣が捕えた!運命聖杖ノルネンのウルズである。咄嗟に地面に錫杖を突き刺したメリッサをヘルの目が察知する。軽く女は舌打ちした。

 レイスの攻撃はブラフだ。そちらに気を行かせ、背後からフリッグの攻撃を与える。それにより隙の出来たヘルの足元をウルズで捕え、身動き出来なくするといった寸法だ。

そのチームワークの良さにヘルは多少ながら感心する。


ヘルに歩み寄ったフリッグが冷徹な視線を浴びせながら、言った。

「質問に、答えて貰おうか」

女は頷くしかなかった。

* * *

 不安な程の静寂にリュミエールの小さな体躯は″ある嫌な現実の肯定″に蝕まれつつあった。

 童女は周囲をきょろきょろと見回す。誰も居ないし、破壊された痕跡が残っている。

 あの若紫のおねえちゃんが殺ったのかと、決定的な証拠もなくただ自分の考えに思考が支配されてそのような答えだけがリュミエールの中に生まれる。それは徐々に″憎しみ″という名の糧に育まれてゆく———。

 真ん前で足を魔法陣に吸い付けられた女の姿を見るだけで激しい憎悪が込み上げてくる。

———だめだめ、そんなの考えちゃ。
首を激しく横に振り、感情を呑み込んだ。まだ微かに残っている理性が、それを心の奥深くに押し込めた。

感情は沈む。心という大海原の深海に感情を押し込めた痕跡であろう、水面に静かに波紋が広がり、消えた。

 卑しく笑うヘルに堪えながら少女はたっていた。

「立場分かってんの、アンタ」
琥珀の眼をぎらつかせ、メリッサはヘルに言う。
「ふふ、分かってるわよ」嘲るような笑みを浮かべる様子は、実に不愉快だった。捕らわれているにも関わらず何故か余裕な振る舞い方である。「訊きたいことでもあるんでしょ」

 静かに歩み寄ったフリッグの先を、小さな体躯が駆ける。フリッグの先に立ったリュミエールが不安にまみれた表情を向けて、静かに訊ねた。

「み、みんな……マックールの、みんなは………………?」

「死んじゃった」

ヘルの容赦ない返事がリュミエールの躰を貫いた。悪いとも思っていない、実に清々しい返事だった。鋭い刃に変わったそれは幼い少女の心に深く刺さり、空いた穴を″絶望″で満たしてゆく———。

「てか、私が殺ったわ」

女の言葉で一瞬でその場が凍り付いた。フリッグの、メリッサの、レイスの———リュミエールの瞳が絶望の色に染まってゆく。

 感情が理性よりも先に走った。

絶望と憎しみという空気を注入されてゆき、リュミエールの心の役割を果たしている様な″風船″は止まる気配も無い空気をひたすら受け入れて膨らんでゆく。

「あ……あ、あ………あああ……ああああ………———」

———所詮は器。出しっぱなしの水道水がコップを満たせば溢れるのと同じように、風船はぱちんと弾けた。まるで押さえていた壁を破壊したかのように。声と共に躰が震え、白の流れが黒く染められてゆく。まるで無垢で純粋な心を絶望や憎悪が染めていくのを比喩しているかのよう。

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッッッッッッ!!!!!!!!」

鎖から解き放たれた獣の様な咆哮をし、手に持つ紐———神器グレイプニルを握りしめ、一変したリュミエールはヘルの首を紐で絞め始めた。

「ぎ、ぎざ……っ。貴様がっ、みみ———っん、皆、をっっ———………!!!!」
理性がぶっ飛び、リュミエールの口からは上手く言葉が紡がれていない。言葉を紡ぐ糸車が完全に狂っている。

ぎりぎりぎりぎり———。細いリボンの様な紐が女の肉に食い込む。徐々に絞まってゆく、がヘルは平然としていた。

「絞めても死なないわよ。それに、グレイプニルの使い方違うし」

へらへらとするその姿に憤ったメリッサが首を絞められているヘルの躰を殴り飛ばした。

そして咄嗟にレイスがリュミエールの小さな手から紐を無理矢理外した。抵抗する小さな体躯を押し倒し、意地でも止めさせた。

歩み寄ったフリッグの背中から現れたポチが巨大化し、鋭利な爪でヘルの腹を貫く。まるで虫ピンに刺された虫のように地面に押し倒した躰を刺した爪で押さえつける。やはり相変わらずヘルは余裕であった。

「落ち着け、リュミエール!お前が何しても、駄目なんだ」

「嫌だ!!こいつだろう!?こいつがっ———!!」

暴れる小さな躰を押さえつけながら、そっとレイスは頭を撫でた。落ち着かせなければ、落ち着かせなければ。

「コイツを殺して、何が残る!!」

その言葉にピタリとリュミエールの動きが止まった。真白の目から一筋涙が溢れ落ちる。それは頬を伝って、冷たい地面を濡らした。
レイスはリュミエールの手に気付く。血が滲んでいた。紐を力一杯握っていた、手だ。そっとその手を握った。



「感情的で仕方ないわ。まぁ、今回は遊んでる暇ないけどね」

横たわりながら首から紐を取り、ヘルはメリッサの足元に投げて返した。そっと少女はそれを拾う。血が滲んでいた。

「———感情的、じゃなけりゃ人じゃ無いじゃんか」
俯きながらメリッサは呟いた。———誰にも向けてないのだろう。ただ自分に言うような風だった。

「相変わらず楽しい仲間に囲まれてるじゃない〜、フリッグぅ。
どーお、楽しい?」

「———何が、だよ」
肩が震えた。無意識にフリッグの目から涙が出ていた。

怒りに身を任せてはいけないと自分を押さえつけ、少年の二つの翡翠は哀れみを込めて女を見下していた。「アンタ、可哀想だよ」

『———可哀想な人』

———やぁね、言動もホンッと変わってないじゃないのよ。昔っから変わらないわぁ。クリュムを見る姿と。固いのね。

あの暖色の長髪を靡かせた男が自分に向けて言う台詞と同じだ。昔から変わらないこの様子をヘルは静かに笑っていた。

「千年ぶりに会っても同じ台詞。凄い男だわぁ」
ヘルの躰が透けてゆく。

 その様子に四人はただ立ち尽くすだけだ。
「たお、し———?」メリッサがそう呟いたがそうでは無いようだった。ヘルがにこにこしながらリュミエールを見つめた。

右手から白く透明で綺麗な石ころが現れ、それをエンジェルオーラの童女に見せつける。

「貴女の仲間はこーこっ。また会いましょう〜、エンジェルオーラの生き残りさんっ。
二人の琥珀の種っ」
地面の色がヘルの肉体に同化してゆく。石ころを見せつけながら笑った。

そしてフリッグに視線を送る。

「フリッグ=サ・ガ=マーリン」

「待てよっ!!」
伸ばしたフリッグの手も虚しく、ヘルは消えた。手は空気だけを掴んだ。唇を噛み締める。鉄の味が口内に広がった。

 泣きじゃくりそうなリュミエールに駆け寄ったメリッサがレイスを退けて童女の躰を抱き締めた。

男のすべき行為とは思っていなかったレイスはそっと全てをメリッサに委ねた。あれは母の温もりを感じるべきだと思い。

 レイスは空を見上げた。日が暮れてきている。灰色が夕焼けを蝕んで行っていた。
小さくなったポチを頭に乗せたフリッグはレイスの隣に来て、彼と同じように空を見た。

 メリッサの胸に顔を埋めたリュミエールは黒髪を掻き乱した。そっと暴れるような小さな体躯をメリッサは強く抱き締める。リュミエールの口が大きく開かれた。二つの真珠玉からは大粒の涙が溢れた。


「うっ————、ああああああああああああああああああああああっっっっ————!!!!」


———あ、雨………。
フリッグの掌に空から雫が落ちた。手を濡らすそれに気付き、少年は再度見上げる。———曇天。

降り始めた雨は、音を消してゆく。雨の降る、静かな世界にはただただ齢七つの女の子が泣く声だけがしていた———。



* * *


『神様って、居るのかなぁ』

かつてアンバー種の少年は孤児院の修道女にそう訊ねた。

 レイスは覚えている。自分がそう訊ねたのを。

そして、今思う。

 ———もし神様が居るのなら、何故これ程まで残酷な運命をひ弱な存在に与えるのか、と。

そんな世界は、実に残酷で———。嗚呼、今もこんな世界が目の前にある。

———俺たち人間は実に弱い存在だ。

だから、きっと見えない″神様″という存在にすがるのだろう———。


口の中に入り込んだ″雨″は何かしょっぱいものを含んでいた。





<Oz.6: Hallelujah-神様っているのかなあ-   -Fin->