ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 刃 ( No.3 )
- 日時: 2010/12/27 10:15
- 名前: right ◆TVSoYACRC2 (ID: zuIQnuvt)
Ⅰ.散るか散らすか
——橋田架月——
頭が混乱する。
この暗くてカビ臭い路地裏は迷路のようだ。今来た道さえも覚えていない。自分が何故走っているかは見当がつく。俺は今は殺されようとしている。だから俺は走っているんだ。当然だ。殺されるのに立ち止まって「ハイ死にまーす」と自分から突っ込む奴はいるのか?
しかし本当にどうすればいい。今までの俺はどうしていたんだ? こんなことがあっても全て冷静に切り抜けたはず——ぱしゃんぱしゃん。
水溜りがまるで逃げろと催促するかのように音を響かせる。煩い、誰だ。殺されるかもしれないこんな極限状態で、どこの餓鬼が遊んでいる。
ぱしゃんぱしゃん。後ろからだ。
ぱしゃんぱしゃん。追いかけてきている男か。
ぱしゃんぱしゃん。ああ、俺か。俺も音を立てているのか。なるほど。
ぱしゃん。だからそばで音が。馬鹿だ。俺は馬鹿すぎる。日本一——いや、世界一馬鹿すぎる。こんなこと、猿でも気づくぞ。それを俺は、どこぞかの餓鬼のせいにして。これもアイツらのせいだ、なんて責任転嫁しても意味はない。
——ぱしゃん。
音が、止まった。決して俺が立ち止まったわけではない。遠くの水溜りの音が消えたのだ。多分、俺を追いかけていた"狩人"が走るのをやめたんだ。どうせ、もう追いつかないとあきらめたか、走り疲れたか。
それかどこかの民家の屋根に上って、もしくは中に入って俺を待ち伏せしているか。多くの可能性があるが、今考えた時点ではこの四つが妥当だ。
「——っ!」
息を整えようとゆっくり歩き始めれば、右足に激痛が走った。
ああ、くそ。自分の体の異変にも気づかないほど、俺は必死こいて全力で走って来たのか。やっぱり、中学の時の先生の言った通りだ。人間は生きたいと思うほど、死の淵に立たされるほど、周りが見えなくなって、今の行動を一生懸命に行なう。例えそれが、自分の家族や友人に悪影響を及ぼそうとも、人間はそれをし続ける。だから人間は生に最も貪欲な生物——と言われるらしい。
「俺も生に貪欲なのか」と一言呟き、右足を引きずりながら、どこか隠れれる——休めれる場所を探す。
しばらく痛みに耐えて歩き続けると、道が途絶えた。この道は行き止まりだったか。まあいい。とりあえず、体を休めたい——とそんなことを考えている内に、ふと眠気が俺を襲ってきて、体から力が抜ける。
眠い、眠りたい。けど、眠れば俺は死ぬ。永遠の眠りにつくだろう。なんちゃって…………って俺は何を言っている。こんな危険な時に、眠ろうだなんて。しっかりしろよ、俺。全身を緊張させて、冷静になるんだ。
俺は腰に差していた日本刀を鞘から抜き、己の手の甲を刀の先で斬れば、鋭い痛みが全身を覆い、脳を目覚めさせる。
血がみるみる内に溢れ、指を伝い、土の上へ落ちていく。
「そこか」
——後を追われていたか、ちくしょう!
ほこりっぽい暗闇から呻き声のような、低い声が俺の背中に響く。俺はとっさに体ごと振り向いた。背中を見せていては確実にやられる。
そこから、狐の仮面を被った、まるで木の様に背の高い黒ずくめの男が飛び掛ってくる。その両手には、僅かに照らされる太陽の光によって怪しく輝く出刃包丁が握られていた。
俺は刀をしっかり握って、右足を前に、左足を後ろに広げ構え、男に向かった。
「はあっ!」
「ふん!」
奴は包丁二本を同時に振り降ろし、俺は刀でそれを防いだ。
刃が勢いよくぶつかり、質量感のある金属同士が擦れ合う音が耳に付く。耳障りな音だ。
力を弱め、刃同士が僅かに離れた瞬間、俺は姿勢を低くし、刀を左手に持ち替え、男の腹をアッパーのように殴ってやった。
「いっ!?」
だが、男は平然としていて、その腹は異様なまでに固かった。まるで石を思い切り殴っていたかのよう。防弾チョッキの類のものだろうか。
見上げれば、包丁の刃が目の前に迫っていた。
すぐさま後ろへ退がる。
「ふー……」
自分を落ち着かせようと息を吐く。
男はこちらの出方を伺っているのか、先ほどのように飛び掛っては来ない。
なら、こちらから行こうか!
痛む右足に体重をかけ、一気に走り出す。激痛が走るが、そんなもの今更にはかまっていられない。今は生きることを考えろ。生にしがみつけ。振り落とされるな。奴を殺せ。
男はいきなり俺が全力で走りだしたことに驚いたのか、構えが少し甘くなった。俺はそれを見逃しはしない。
目の前に来たところで、俺は刀を下から掬い上げ、斜めから振り下ろす。刀を叩きつけ、打撃を与える。相手がひるんでも容赦はしない。上下から、左右から斬りつける。時折、血の雫が舞った。
「うおおおおおおおおお!」
俺は雄叫びを上げて、力を振り絞り、刀を再度叩きつけた。
その衝撃で、奴の武器が宙に舞い、地面に突き刺さる。
出刃包丁はもう使い物にならないほど、ぼこぼこに凹んでヒビが入っていた。
「ひぃ……!」
男にもう武器はない。
今だ。
殺せ。
「……っ」
何を戸惑っている、殺せ。
殺せ。
「すまない」
俺は男の首を刎ねた。
続く