ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 玲瓏の刃 ( No.6 )
日時: 2011/01/22 22:52
名前: 椎羅 ◆geiwiq3Neg (ID: ADUOsQyB)

『一将功成りて万骨枯る』————一人の将軍の輝かしい功名の陰には、多くの兵士の痛ましい犠牲がある。
天下を謳い、弱き者を守る事さえできない者の為に…大勢の人間が犠牲になるならば、私は…



- 第〇巻 意志堅固 -



永録3年5月、桶狭間。

戦が終わった後のその場所は、さっきまで大戦が繰り広げられていたのが嘘だと錯覚してしまうほど静かであった。
地面は雨と血でぬかるみ、地面に人が重なり合う様に倒れ、所々に折れた刀や槍が落ちている。
時には地面に突き刺さっているが、いずれにせよ使い物にはならなかった。

そんな戦場跡にポツリと、とある少女が弓を携えて佇んでいた。
巫女服に身を包んだ彼女は、黒く長い髪をなびかせ、その場でそっと手を合わせている。
…戦死した者へのせめてもの弔いなのだろう、南無阿弥陀仏を唱えてゆっくりと目を開いた。
そして、寂しそうだったその瞳は…次の瞬間、迷いの無い鋭い眼つきへと変わった。

彼女——桔梗は、織田軍が布陣していた方角を見る。微かにだが、人が忙しなく蠢いているのが見えた。
この桶狭間で織田と対峙したのは今川氏。勝敗は知らないが、彼女にとってそれはどうでもいい事だった。

「将軍の…織田信長のせいで皆苦しんでる…。……何で私達まで戦に巻き込まれなきゃいけないの?」

そう、
彼女が此処にいる理由…それは織田信長を討つ事だった。
彼女は本気である。彼女の父も兄弟も、皆織田信長によって戦に巻き込まれたのだ。

…でも、それは仕方のない事でもあった。

「そう、よね。私達は“忍びの血”を引いてるんだもん……将軍様の為に戦うのは当然だよね…。だけど……」

だけど、本心はそうではなかった。田畑を耕す事に苦を感じる者も多いご時世だが、桔梗達はむしろそれを願った。
忍びというのは、生まれた時から運命が決まっている。男に生まれれば忍びとなり、女子になれば巫女になる。
故に望んでも農民みたいに…平和に暮らせる事は無い。


…京に住んでいる桔梗達は、織田信長の支配を受け続けている。
もしその織田信長がいなくれば、自由になれるのだ。
トップに立つ存在と言うのは必要不可欠であるけど…戦の為に税の負担をかけられる農民にしても、戦に徴兵される事はなくなるんじゃないかな。


だから、今日ここに来たのだ。


彼女は、遠くにいる織田軍の方に向き直った。
何をしているか分らないけど、歓喜に沸いているのは、聞こえてくる声で分る。

『あの中から織田信長を見つけ出して…弓で殺す。その後は…』

その後は、兄上から拝借した馬で逃げる。ただそれだけだ。
逃げられる自信はある…事前に調べておいたのだが、今回の戦に織田は3万の兵に対して3千の兵で迎え撃ったらしい。
戦で人数も削られているから、織田信長を殺すのは今しかないのだ。その為にはまず———
「…まず織田を探して…………ッ!?」


探す…筈だったんだけど、その男は探さずとも…いた。


戦跡に黒い馬に跨りそこに佇んでいた。長い黒髪を一つに束ね、背は高い。
鎧に身を纏っておらず、周りに仲間らしき人物は見当たらなかった。

『あれが…織田信長!』

遠くからとはいえ、この目で織田信長を見たのは初めてだった。
凛とした、畏怖というか威圧と言うか…他の者とは比べ物にならない恐ろしい雰囲気を纏っている。

あいつが自分達を苦しめる根源…狙うなら————今しかない!

桔梗は素早く弓を手に取った。弓の先を向ける先は、織田信長。
虚空を仰ぎみているばかりで、こちらには気が付いていない様だ。そう、それでいい。
そのままこっちには気が付かないで。
「私達“風間家”の自由の為にも…」

死んでもらう!

私は、生唾を飲む。キリキリと弓を絞り、そして————

「……」
「———!!?」

弓を放つ瞬間、遠くにいた信長がこちらを見て…笑った。
驚愕した桔梗の手元は狂い、弓の軌道は織田信長をかすめ後方へと飛んでいった。
茫然として、桔梗は立ち尽くした。だが、すぐにまたハッと我にかえり弓を構える。
しかし、織田信長は挑戦的な、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ている。
焦る様子も無く……何?私を試しているのだろうか…

「でもそれはこっちには好都合…!」

私は少しためらったが、意を決して弓を放った。無論弓は真っ直ぐ織田信長の方へ飛ぶ。
だが、その瞬間目の前で目を疑う出来事が起こった。
真っ直ぐに飛んでいった弓が織田信長の体に触れる直前に、真っ二つになって後方へ流れたのだ!

「なっ…!?」

桔梗はその瞬間気が付いた。
織田信長の手には、さっきまで握られていなかった刀がある事に。
つまり、織田信長は居合いで…


飛んできた弓を、眼にもとまらぬ速さで斬ってみせたのだ。



「く…」
無理だ。そんな豪剣、倒せるはずもない。絶対に敵う筈がない。
ここは引くべきだと悟った桔梗は、後退し逃亡を図ろうとした。

「動くな」

しかし、その瞬間——背後から忍び寄っていた何者かに、首元に冷たい何かを突き付けられた。


>>6

Re: 玲瓏の刃 ( No.7 )
日時: 2011/01/22 22:23
名前: 椎羅 ◆geiwiq3Neg (ID: cbSjBA7r)




———不覚、織田信長に気を取られすぎて、背後から近づく影に気付けなかった。
背後から忍びよっていたその者は、槍を桔梗に向けていた。あと数センチ動かせば、桔梗の首に届く。
弓では太刀打ちできない。

「今川の者ではなさそうだな…しかし信長様の敵には変わりないか」

「………っ」
桔梗は弓を置いた。隙を窺って逃げる事を考えるも、その男は「動けば身が危ないぞ」と低い声で言う。…沈黙が続いた。


「——トシ、その辺にしとけ」


と、そんな時だ。後方から笑い交じりのそんな声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、愉快そうに笑う織田信長が腕組みをしながら近づいて来ていた。
そして軽々と馬から降りると、そのトシと呼ばれた人を引かせる。

「ふぅん、弓の軌道が正確なもんだから、どんな手だれがいるのかと思えば…まさかこんな餓鬼だったとはな。
 ………貴様、名は?」


…………、
「へ?」
いきなり何を言い出すんだろうこの人は———
そう思ったのは桔梗だけではなく、トシと呼ばれた人も眼を丸くしていた。

っと、待って…今、織田信長を討つにはチャンスかもしれない。
このトシって人も槍は構えていない。織田信長は刀を抜いてすらいない。

『今しかない…!』

私は懐から懐刀を取り出し——織田信長に向かって振り上げた。
トシと言う人は目を見開き、私に槍を向けるが遅い。
私は力一杯刀を振り下ろすが、またも次の瞬間不思議な出来事が起こった。

————ガチンッ

強い衝撃が走る。
眼にも止まらぬ速さで何かが刀を弾き飛ばし、その刀は弧を描き遠くの方の地面で音を立てて落ちた。
『何…今の……』
桔梗は痺れる手を押さえながら、織田信長の方を見た。
すると、また彼の手に何時の間にやら…刀が握られていた。

居合い、だ。

そして、その織田信長は刃先を私へと向け、さっきまでの笑みを消す。


「図に乗るな小娘。貴様程度、いつでも斬れる」

「ッ…!」

織田信長は淡々とした口調で桔梗に吐き捨てた。その声には露骨に——殺気がにじみ出ているのが分る。
思わず怯んだ私を見て、今度はトシと言う人が口を開いた。

「おやめください信長様…されど女子オナゴです」
「…」

しかし織田信長は何かを見据えるかのように私を見たまま黙っている。
何かを考えているのか、眉間にしわを寄せ…そして次の瞬間口の端を吊り上げてこう言った。


「フン…命が惜しければ命乞いをして見せろ、小娘。」


織田信長は刀で桔梗の顎をクイッと上げた。そして、眼の奥を覗き込む様な目線で桔梗を見据えた。

一方桔梗は、刃物の冷たさを肌に感じでとうとう顔から血の気が引いた。
…今ここで命乞いしたら、逃がしてもえる。そして隙をつけば…
いや、それは無理だとしても、少なくとも生きながらえる…。

「でも…私は“風間家”の血を引く者…」

だが、桔梗は首を横に振り、真っ直ぐ織田信長を見て言った。


「“風間家”の者として、命乞いをする位なら潔く腹を斬る覚悟…!」


決して嘘ではない。
“風間家”…正当な忍びの血を引く者として、一族の名に泥を塗る訳にはいかない。
それに…

「それに、貴方の刀で殺されるくらいなら…ここで自害した方がマシだっ!」

この男に殺されるのだけは、何が何でも嫌だった。暫しの間、また沈黙が流れる。
するとその瞬間、一瞬織田信長が笑った———気がした。

「…生意気な口を利く」

——ドスッ
だが、それを確かめる間もなく織田信長は容赦なく桔梗に峰打ちを叩きこんだ。
桔梗は声も上げぬままその場に倒れ込み、動けなくなった。そして、そこで彼女の意識は途切れていった。





「トシ、戻るぞ」
「…お言葉ですが、その娘…一体どうするおつもりですか」

“風間家”と名乗る小娘を片腕で担ぎ、信長はトシ…前田利家にそう告げた。
トシは苦笑を浮かべながら信長を見てそう尋ねるが、彼が何をしようとしているのか既に分っている様子だった。
そんな家臣の問いかけに、落ちてある小娘の弓を拾い上げながらその問いに答えた。

「何って…“風間家”の娘だぞ?連れて帰るに決まっている」


あまりにも淡々の述べる信長の言葉を聞き、最早それを止める気にもならないトシは短く溜息をついた。

「…止めませんよ、俺は。しかし、光秀様は…」

光秀様は何て言うか…。
トシは小娘の連れていた馬の手綱を取り、やれやれと肩をすぼめた。すると信長は不敵に笑い、一言。

「アイツはどうにでも言いくるめればいい。…利用できる奴は、最大限に利用するまでだ」

それを聞き…トシは『相変わらずの利己主義者だ』と思った。




五月の風が、桶狭間の戦跡に吹いていった。
その音を聞き信長は傍らに立つ家臣には見えぬほどの小さな笑みを浮かべたのだった。