ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 玲瓏の刃 ( No.7 )
日時: 2011/01/22 22:23
名前: 椎羅 ◆geiwiq3Neg (ID: cbSjBA7r)




———不覚、織田信長に気を取られすぎて、背後から近づく影に気付けなかった。
背後から忍びよっていたその者は、槍を桔梗に向けていた。あと数センチ動かせば、桔梗の首に届く。
弓では太刀打ちできない。

「今川の者ではなさそうだな…しかし信長様の敵には変わりないか」

「………っ」
桔梗は弓を置いた。隙を窺って逃げる事を考えるも、その男は「動けば身が危ないぞ」と低い声で言う。…沈黙が続いた。


「——トシ、その辺にしとけ」


と、そんな時だ。後方から笑い交じりのそんな声が聞こえてきた。
顔を上げてみると、愉快そうに笑う織田信長が腕組みをしながら近づいて来ていた。
そして軽々と馬から降りると、そのトシと呼ばれた人を引かせる。

「ふぅん、弓の軌道が正確なもんだから、どんな手だれがいるのかと思えば…まさかこんな餓鬼だったとはな。
 ………貴様、名は?」


…………、
「へ?」
いきなり何を言い出すんだろうこの人は———
そう思ったのは桔梗だけではなく、トシと呼ばれた人も眼を丸くしていた。

っと、待って…今、織田信長を討つにはチャンスかもしれない。
このトシって人も槍は構えていない。織田信長は刀を抜いてすらいない。

『今しかない…!』

私は懐から懐刀を取り出し——織田信長に向かって振り上げた。
トシと言う人は目を見開き、私に槍を向けるが遅い。
私は力一杯刀を振り下ろすが、またも次の瞬間不思議な出来事が起こった。

————ガチンッ

強い衝撃が走る。
眼にも止まらぬ速さで何かが刀を弾き飛ばし、その刀は弧を描き遠くの方の地面で音を立てて落ちた。
『何…今の……』
桔梗は痺れる手を押さえながら、織田信長の方を見た。
すると、また彼の手に何時の間にやら…刀が握られていた。

居合い、だ。

そして、その織田信長は刃先を私へと向け、さっきまでの笑みを消す。


「図に乗るな小娘。貴様程度、いつでも斬れる」

「ッ…!」

織田信長は淡々とした口調で桔梗に吐き捨てた。その声には露骨に——殺気がにじみ出ているのが分る。
思わず怯んだ私を見て、今度はトシと言う人が口を開いた。

「おやめください信長様…されど女子オナゴです」
「…」

しかし織田信長は何かを見据えるかのように私を見たまま黙っている。
何かを考えているのか、眉間にしわを寄せ…そして次の瞬間口の端を吊り上げてこう言った。


「フン…命が惜しければ命乞いをして見せろ、小娘。」


織田信長は刀で桔梗の顎をクイッと上げた。そして、眼の奥を覗き込む様な目線で桔梗を見据えた。

一方桔梗は、刃物の冷たさを肌に感じでとうとう顔から血の気が引いた。
…今ここで命乞いしたら、逃がしてもえる。そして隙をつけば…
いや、それは無理だとしても、少なくとも生きながらえる…。

「でも…私は“風間家”の血を引く者…」

だが、桔梗は首を横に振り、真っ直ぐ織田信長を見て言った。


「“風間家”の者として、命乞いをする位なら潔く腹を斬る覚悟…!」


決して嘘ではない。
“風間家”…正当な忍びの血を引く者として、一族の名に泥を塗る訳にはいかない。
それに…

「それに、貴方の刀で殺されるくらいなら…ここで自害した方がマシだっ!」

この男に殺されるのだけは、何が何でも嫌だった。暫しの間、また沈黙が流れる。
するとその瞬間、一瞬織田信長が笑った———気がした。

「…生意気な口を利く」

——ドスッ
だが、それを確かめる間もなく織田信長は容赦なく桔梗に峰打ちを叩きこんだ。
桔梗は声も上げぬままその場に倒れ込み、動けなくなった。そして、そこで彼女の意識は途切れていった。





「トシ、戻るぞ」
「…お言葉ですが、その娘…一体どうするおつもりですか」

“風間家”と名乗る小娘を片腕で担ぎ、信長はトシ…前田利家にそう告げた。
トシは苦笑を浮かべながら信長を見てそう尋ねるが、彼が何をしようとしているのか既に分っている様子だった。
そんな家臣の問いかけに、落ちてある小娘の弓を拾い上げながらその問いに答えた。

「何って…“風間家”の娘だぞ?連れて帰るに決まっている」


あまりにも淡々の述べる信長の言葉を聞き、最早それを止める気にもならないトシは短く溜息をついた。

「…止めませんよ、俺は。しかし、光秀様は…」

光秀様は何て言うか…。
トシは小娘の連れていた馬の手綱を取り、やれやれと肩をすぼめた。すると信長は不敵に笑い、一言。

「アイツはどうにでも言いくるめればいい。…利用できる奴は、最大限に利用するまでだ」

それを聞き…トシは『相変わらずの利己主義者だ』と思った。




五月の風が、桶狭間の戦跡に吹いていった。
その音を聞き信長は傍らに立つ家臣には見えぬほどの小さな笑みを浮かべたのだった。