ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

■06—帝見杏子と彼女 ( No.11 )
日時: 2011/01/18 22:58
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: jbwgUQwv)
参照: ねるねるねるね! ねるねるねるね! ねるねるねるね!

 ————10時41分。『マザー』正面にて。日吉の言葉通り、午前8時をまわった後の『マザー』正面の遊歩道には、人々の喧騒が絶えない。それは『マザー』が実験都市中枢部に位置しているからだろう。
 セーラー服の中途半端な茶色の髪をしたセミロングの少女と、深い隈が特徴的な、ゲームを手に持った少女。2人は、『マザー』の所有権を持つ会社の前に立っていた。少女らの足元には何故か、アーモンド色の毛並みのカピバラがちょこんと存在している。
 と、驚くべきことに、カピバラの口が言葉を話そうともにょもにょと動いた。三十代の男の声である。


 「……ここが『マザー』かのう、のおりー子?」
 「そうっスけど」


 りー子が、カピバラの言葉に簡素な返事を返す。遊はたいした反応も見せずに、持っているゲームの画面へと視線を落とした。
 カピバラは、りー子の言葉ににたりと口角を吊り上げる。

 
 「やっぱエロぐふふぉあ」




 ■06—帝見杏子と彼女



 帝見杏子(みかみあんね)は、帝見会社の1人娘である。何色にも染めていない、純粋な黒髪のボブヘアーに、大きく愛らしい瞳。今はまだ幼いが、きっと将来は帝見会社を継ぎ、経済的にも外見的にも頭脳的にも、見事な女性に成長するだろうと周囲から期待されている。
 また杏子の父が経営していた帝見会社とは、実験都市中枢機関重要機『マザー』の所有権を持つ、実験都市の中ではトップレベルを誇る会社だ。主に『コード』の研究に努めており、研究の成果は過去の天才紫宵散罪には劣るが、それでも研究のレベルが高いことには変わりない。帝見会社のおかげでこの実験都市は発達しているといっても良いほどだ。


 (……そんな凄いものを持つ子と一緒にいられてるなんて、私はとても幸せなのかしらね)


 帝見会社の副社長であり、また『マザー』研究班主任である解明聡(かいめいあきら)は、ふと目の前の少女——帝見杏子の表情を窺った。杏子は解明から受け取ったクッキーを口にしながら、ご満悦のようだ。よほどお菓子が美味しいらしい。


 「クッキーはどう? 杏子」
 「うん、おいしいよーあきら! わたしのすきなクッキーよういしてくれてありがとうね!」
 「ふふ、喜んでくれて何よりよ」

 
 ちょこん、とお行儀良く座る杏子に柔和に微笑む。解明は杏子の顔が見えるようにとソファーに背を預け、体の緊張を解いた。何にせよ、この子の笑顔が見れて良かった、と。
 —————『マザー』の中にある、『マザー』研究用の某室。半ば自分専用の研究室になろうとしているその部屋で、解明聡と帝見杏子は軽いティータイムを行っていた。50畳程の部屋の中には、一つのガラステーブルを挟んで、いかにも高級そうな革製の赤いソファーが2つ置かれている。壁際には本棚が所狭しに並べられ、中には悪趣味な漫画からマニアックな知識しか詰め込まれていない専門書まで、隙間が無いほど入れられている。
 解明は、カップを手に取ると、杏子に話題を投げかけた。白い蒸気がゆらめく、紅茶の水面に視線を移しながら。


 「そういえば、杏子は今日は学校は無いの?」
 「うん、ないよ!」


 頷いて肯定の形をとると、杏子は花の形のチョコクッキーを口に放り込んだ。おいひい、ともごもご口を動かす度に、少女の口元にはクッキーの残骸がくっ付く。解明は苦笑いを浮かべると、持っていたハンカチで杏子の口元を拭くために腰を浮かばせた。


 「ありがと! それでね、学校はねーいまは、ふゆ休みなんだよ。だからね、しばらくこうやって、あきらとあそべるんだよ」
 「ふーん」


 最近の学校は休みなんてあるのね、と解明は数十秒ほど自分の世界に浸った。実験都市が出来た当初は、地上の人間よりも優れようと、ここの人間は休まずに延々と勉強していたからだ。とはいえ、今はそんな風潮も無くなっているし、少なくとも地上の人間よりも優れた『コード』を手にしているのだから、解明達実験都市の人間達には、切羽詰まってまで勉強する意味がないのだろう。これも時代の流れだと解明は紅茶を口にした。
 ——————あ、時代……時といえば。


 「ねえ杏子。貴方、誕生日プレゼントには何が欲しいの?」
 

 解明は唐突に話を切り出した、と同時に後悔をすることとなった。なぜなら、少女にとってその話題は、禁忌(タブー)に等しいものだったから。少女の表情は、みるみる内にさっきまでのクッキーによる幸せから解明の話題による絶望へと変化してゆく。


 「……わたし、おとうさんからプレゼントをもらうまで、ほかの人からもらわないようにしてるから」


 震えそうになる、杏子の声。重ねるように、解明の真実なる言葉が浴びせられる。


 「お父さんから……って……でも杏子、貴方のお父さんは————」


 ————死んじゃったじゃないの……!
 糾弾したい思いを抑えるかのように、解明は自身の唇をきつく噛み締める。行動に込められているのは、自己を責めるものか、それとも幼い杏子へのものか。
 目の前の少女に重なる面影。優しげな横顔、短く切られた黒髪。自分より少しだけ背の高い視線で、快活に笑うあの姿。それらは全て、杏子の父親を思い出す為に必要不可欠なもので。そして、思い出す彼の最期は。


 『解明、聞いてくれ! 明日は杏子の……』



 帝見杏子の父親、帝見成果(みかみせいか)。彼は、杏子が3歳の頃————およそ7年前に、この世を去っていた。