ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- ■08—津々(しんしん)とそれらは流れる ( No.18 )
- 日時: 2011/01/20 22:47
- 名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: zi/NirI0)
- 参照: ねるねるねるね! ねるねるねるね! ねるねるねるね!
最残日吉は『マザー』への帰路についていた。学務を終えた彼は、じょじょにオレンジ色へと塗り替えられていく空を眺めて、学生鞄を持ち直す。日吉の表情は、明るくもなければ暗くもない。いかにもだるいですという雰囲気をかもし出している。眠たげに伏せられた瞳には、自分の横を通りすがっていう歩道を通る多くの学生や親子などの人々が。
日吉は実験都市の住人をぼんやりと景色のようにとらえながら、空いている片手でポケットを探った。出てきたのは、黒い携帯電話。日吉のもので、地上に比べて充実した機能が多くついている実験都市特有の携帯だ。
人差し指で携帯電話の画面をぱきりと開くと、ボタンを押して、あるページを画面に映した。画面には『解明さん』という日吉の知人の名と共に、メール受信2件のマークが。彼女からのメールの内容は、1件目は杏子の誕生日についてのもので、2件目は学校が終わったら急いで帰って来いという……実に単純明快なものだった。何十秒もかけて、日吉は2通のメールを読むと————携帯をしまった。
「……杏子って、何ケーキが好きだったっけな」
■08—津々(しんしん)とそれらは流れる
————————午後3時23分。『マザー』内部、とある客室にて。肉感的な体をスーツと白衣で包み込んだ長身の女性、解明聡は目の前の現実をぶち殴りたくなっていた。現に今、彼女の拳はぎりぎりと血管をうかせて握り締められている。本来なら解明はそんな姿を他人杏子に見せることは無いのだが……彼女の隣には、すでに帝見杏子はいない。杏子は客人が来たからといって、緑崎が連れて行ったのだ。緑崎め……と心の中で緑崎を7回程八つ裂きにしている。
「今、メールを送りましたから」
「ほほぉー、ようやくかの? 俺は貴方の悪意が見えているようでたまらんがなぁ」
「気のせいですわ」
業務用の笑顔で、目の前の客人——カピバラをもてなす解明。しかしカピバラは解明の真意に気付いているらしく、にやにやと嫌な笑いを繰り返している。解明はカピバラに相当キレているようだ、拳がさらにソファーへと減り込んだ。
カピバラの両サイドには、2人の少女が立っていた。セーラー服と学ランを着た特徴らしく特徴が見つからない少女と、携帯ゲーム機を持ったまま微動だにしない深い隈を持つ少女。りー子と遊だ。りー子の方は、広い客室が始めてなのかそわそわとどこか落ち着きがない。遊はというと、マイペースにぴこぴことゲームをしている。遊の指は何度も同じボタンを連打しているのだが、顔に疲れの色は見えなかった。
「それにしても、おじさま」
「侵島零区(おかしじまれいく)やよぉ。気軽にれいちゃんって呼んでくれたら嬉しいけどなあ」
「話を変えますけどおじさま」
「……何や、冷たいねぇ」
そんな冷たせんでも、とカピバラはむひむひと鳴き声を発す。言われた側である解明は、こいつ解剖して中身見て良いのかしら、と妙な観点でカビパラを見ていたのだが。
「それで……『希望のヴィーナス』についてなのですけど、おじさま」
対客人用の解明が話を切り出す。広い客室に似つかわしくない、重い沈黙が流れた。りー子は解明の声にしゅっと背筋を伸ばしたのだが、遊は完全無関係という体を装っている。そして当のカビパラ————侵島零区は、小さな耳をちょこちょこと動かして答えてみせた。
「そうそう、それについてなんやけどね」
一息。カピバラの口からひゅっと音がした。
「……『希望のヴィーナス』を、俺らに渡して欲しいんよなぁ、うん」
「はあッ!?」
ばっ、と解明が立ち上がる。その際に手をついたテーブルが鈍い音を出したが、解明は気にせずに叫んだ。『希望のヴィーナス』とは、人々の間で語り告げられている都市伝説。だが逆に、はっきりとした情報もあるそれを、彼——カピバラは平然と口にしたのだ。渡して欲しい、とも。
『マザー』研究班主任である解明聡が、そんな未知の存在を許すはずもない。
「何言ってるの、あんなのただの都市伝説よっ! 貴方は空想で作られたものを渡せと言ってるのよ、分かるっ!?」
ヒステリックな怒声をあげて、カピバラに食ってかかった。カピバラは余裕があるのか、取り乱した様子の解明をふほほと嘲笑する。ただでさえ細い瞳が、線へと細められた。そして、にたにたという表現が似合う笑みを浮かべて、
「……じゃあ、そこの少年の表情は何じゃ?」
「何言ってるッ、少年なんていな……————————ッ!」
カピバラが自身の小さな体躯と共に、客室のドアを振り返る。解明は、男の言葉を否定しつつも、同じようにドアを振り返り——————驚愕した。長いまつげを伴う瞳が、大きく見開かれ、淡い桃色の唇はぱくぱくと空気を食む。
やがて、解明はドアを開けた青年の名を、呼ぶ。今度は空気を噛むこともせず。……青年の、いつもはみせない焦りという感情を露出した顔を見て。
「……ひっ、……日吉……っ」
最残日吉は、ドアのノブに手を伸ばした格好で固まっていた。学生鞄が、重力に逆らうこともなく、ずるりと彼の手から抜ける。日吉は静止したままで、学生鞄を拾う行動は見せなかった。