ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

■11—The opening ( No.38 )
日時: 2011/01/26 18:28
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: zi/NirI0)
参照: ねるねるねるね! ねるねるねるね! ねるねるねるね!

 侵島零区(おかしじまれいく)と名乗ったカピバラが去って2日目。日吉の日常は、淡々と過ぎていた。『マザー』の清掃、学校での生活、家に帰ってまた『マザー』の清掃。2日目も同じように、朝に『マザー』の清掃をし学校へ行き、また家に帰るはずだったのだ。平凡な日常を繰り返すために。カピバラがあんなことを言っても、成果の残したパスワードがどんなのものでも、それは自分には関係のないことだと割り切っていたのだ。
 だらだらとした普通の生活を送りたいという希望。自分は無関係だという安心ゆえの望み。
 最残日吉は、そんな自分の甘さに対面した。
 そう、それは杏子の誕生日を明日に控えた————2日目の夕方のことで。



 ■11—The opening



 学園都市直属学園、聖シミュレーション学園。実験都市の中でも随一の規模を誇るこの学園には、都市中から様々な生徒が通学してくる。3000人以上の生徒が通う学園内はかなり広い。『マザー』と同等かそれ以上の土地の大きさだ。中は、生徒のための高級ホテル並みの寮室や、『コード』保持者が自身の能力を育てていくために作られた専用のルームがあったりと、生徒にとって素敵な対応ばかりだ。特に『コード』の能力が一際高く、実験都市の未来繁栄に協力するほど、その者には特別な施しが送られる。
 ……少なくとも、最残日吉はそんな優遇を受けたことなど無いのだが。


 「鬱だ……死のう」


 最近の若者がよく口にするであろう一言を、日吉はぽつりと呟いた。面倒くさい、苦しいといったような負の感情をごちゃ混ぜにした表情だ。持っていた学生鞄を枕代わりにしているせいか、ただでさえクセがある黒髪が、さらにぐしゃぐしゃになっている。本来ならばカッターシャツを着ているので、背中にちくちくとした草が付くはずなのだが、彼は気にしていないらしい。不愉快そうに唇を噛み締めたまま、微動だにしない。
 彼は今、聖シミュレーション学園内の芝生で寝ていた。空はすっかり水色から深いだいだいへと塗り替えられ、冷たい空気が日吉の肺を冷やした。校舎からはだいぶ離れた位置にいるので、周囲に人の影は見当たらない。だからこそ、日吉はこの場所を選んだともいえる。


 「そうでもしねーと…………色々考えられねーっつーの……」
 「何がだ?」


 ばっ! と日吉が背筋を伸ばして飛び起きる。「……誰だよ?」明らかに困惑したような顔つきで、きょろきょろと辺りを見回し————突然独り言に介入してきた人物を探す。そして自分の背後を振り返ると、ほっとした様子で、胸を撫で下ろした。
 「んーと」と多少口ごもる。日吉は頼りない自分の記憶を必死に選別して、声の主の名を呟いた。


 「えーっと……氷砕 件(ひょうさい くだん)……だったっけ」
 「そうだ、最残日吉」


 日吉の背後に立っていたのは、水色の短髪の青年だった。青年とはいえど、がっちりとした石を思わせる体系で、ぱっと見ただけでは彼が高校2年生であるということに気が付かないだろう。しかし、他人の名前をすぐ忘れる最残日吉でも、彼の名と功績には覚えがあった。


 「……んと、学園武道大会高校生の部、金賞受賞の方がこの平凡な最残日吉に何の御用なんだって話だったりー?」


 氷砕 件(ひょうさい くだん)。彼のことを知らない者などこの学園にいない。氷砕は武道の天才である。彼は学園内でつい2ヶ月前に行われた学園武道大会高校生の部で、見事な体裁きで相手を圧倒し、優勝したのだ。それは学園都市新聞で表紙を飾り、一躍有名人として皆の記憶に刻まれている。ただ、いつも自分のことで精一杯の日吉は除いてだが。


 「隣、空いてるか?」
 「……空いてるけど」
 「そうか」


 金賞受賞という肩書きを持つ氷砕が、いかにもだらけてますという体の日吉の隣に座る。日吉は話したことも、同じクラスになったこともない氷砕を見て、脳内で疑問を巡らしていた。正直、今あのオニテンジクネズミが言ったことを1人で考える時間が欲しい。だから、特に接点もない同学年の男子と話す時間が惜しい。
 氷砕は隣であぐらをかき、自身のものであろう携帯電話の画面を無表情で眺めていた。紺色の瞳に、携帯の画面が反射され、淡い緑の光が射している。(携帯見んなら何でここいんだよ……)腹立たしいような、理解出来ず不安なような感情が、日吉の精神を揺さぶる。
 無言を貫いている氷砕に向かって、申し訳なさそうに日吉は話しかけた。


 「あのさ……隣空いてるっつって自分で言っといてアレなんだけど……ちょっと1人にしてくれな」
 「知ってるか、最残日吉」
 「…………はぁ」


 話聞けや、と言いたいのを喉元でこらえる日吉。さっき見た時は寡黙なイメージを受けた氷砕の横顔が、妙に不愉快になってくる。日吉の心に現れた苛立ちを表したように、ざぁと風がふいた。風により、背景である木や花がゆらゆらと揺れる。やはり水色の髪の青年は、隣にいる日吉を視界にいれることもない。
 ぴくぴくと口元が引きつった状態の日吉ををちらりとも見ずに。氷砕は低い声で、語り始めた——————日吉にとってはバッドニュースである“出来事”について。


 「このサイトで見たんだが、『マザー』が何者かに襲撃されたそうだ」
 「まっ、じでッ!?」


 ダイレクト腹筋をして、飛び起きる。次に氷砕の携帯を奪い取り画面を凝視する。(もしかして、あのカピバラが言ってたことが……っ!)焦りと後悔が一気に日吉の瞳を冴えさせた。解明さん、杏子、緑崎さん……日吉の脳内に、大切な人の項目に入った人々の姿が浮かんでいく。アイツらに何かあったらと、日吉は最悪の展開を考えた。
 だが。


 「……まっ……黒……?」


 日吉の目に映ったのは、ただの真っ黒な液晶だった。つまり、携帯の電源などついていないということだ。サイトがどうこうなど、そもそも電源がついていないので関係がない。じゃあ何故、氷砕は自分にサイトで見ただなんて言った? 何故このサイトなどと、『マザー』清掃員である日吉の意識を奪うような行動をしたのだろうか。
 何故、何故? 湧き水のように溢れ出ていく疑問を————次に氷砕の顔を見た時に、日吉は絶望を味わうこととなった。恐怖と驚愕を伴い。


 「最残日吉、お前はここで足止めだ」


 目の前にいる、『コード』BRE-2020保有者である氷砕件の姿を見て。
 自分が今置かれている状況を理解せぬまま。