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■14—『マザー』襲撃・舞台C ( No.61 )
日時: 2011/03/29 14:36
名前: ささめ ◆rOs2KSq2QU (ID: uHvuoXS8)
参照: ねるねるねるね! ねるねるねるね! ねるねるねるね!

 ————同刻、『マザー』内書斎前廊下にて。
 黒いコートを着込んだ、銀髪の人間が“静寂に包まれた廊下”を歩んでいく。今、他の階では盛大なブザー音が鳴っているはずなのだが……どうしてか書斎前廊下には、微塵も音は聞こえてこない。銀髪の靴音がこつこつと存在を示すだけだ。銀髪の表情は、殆ど無に近いものだった。ほんの少し他の感情が入っているとすれば、それは軽蔑や嫌悪、残酷などの負に近いものだろう。
 銀髪は女にも男にも見える端整な顔立ちを、自分の背後へと向けた。銀髪の背後には、数人の男達が血を吐いて倒れており——誰が見ても銀髪が何かしたのは明らかで。しかし銀髪はその男らを視界に入れたくないのか、すぐにまた前へと向き直った。
 銀髪が目指すのは、『希望のヴィーナス』についての手掛かりがあると思われる、書斎。朱色の瞳はしっかりと書斎のドアを見据えている。銀髪はふぅと溜め息をつくと、ドアにある鍵穴に右手をかざした。


 「……意外と簡単だね」


 素直な感想を述べて銀髪は“どろどろの液体になり使い物にならなくなった”鍵穴によって開いたドアを、半ば蹴飛ばすようにして中に入り————朱の瞳を、驚愕に染めた。


 「いやん、見つかっちったのぅ」


 なぜカピバラがいるのか、分からないままに。



 ■14—『マザー』襲撃・舞台C



 天城西院(あまじろさい)は綺麗事が嫌いだ。スポ根漫画のような熱血野郎や、他人の為に生きるとかほざく輩を見ると、ついつい自身の『コード』で殺してしまう程の。だからといって、天城は人を殺すのが好きなわけではない。人をどうにかするのは、容易ではないからだ。とにかく天城は、人と人とのつながりが嫌いなのだ。自分しか信じられるものはいないし、愛とか友情とか、そんなあやふやなものは吐き気がする。


 (だから……ボクはこの計画に賛成したんだ)


 綺麗事が嫌い。天城にとってこの『マザー』襲撃の計画に加わった理由である。人々のためにと作られた『コード』なのに、それは平気で他人を傷つけることに使われる。結局は自分達の保身や威厳を保つために紫宵散罪や『マザー』は、『コード』を作ったのだ。どうせそんな結果が導き出されているのだから、人々のためになんて甘い理由はいらない。
 天城は、この『マザー』が嫌いだった。科学者の欲望のために作り出された『コード』に、わざわざ“人々のため”という看板を掲げてくる、この『マザー』が。


 (ボクは『希望のヴィーナス』を手にする。ボクがこの実験都市の全『コード』を手に入れて、こんな綺麗事を破壊するために)


 動くにはそれだけで十分。天城はそう考えていたのだが……。現時点で、天城は動くに動けない状況に陥っていた。何しろ、『マザー』襲撃のための情報には載っていなかった者が、目の前にいたのだから。


 (……で、…………何だ、このカピバラは?)


 書斎の中にあるテーブルに、カピバラは平然と座っていた。茶色い毛が生えた柔らかい体が、硬いテーブルに乗っているせいでもにゅりと肉が歪んでいる。カピバラはどうやって用意したのだろうか、ティーカップを持っていた。中には当然の如く(まぁカピバラが持っているから当然というわけではないが)、熱い紅茶が入っていて細い湯気がたなびいている。
 

 「君は何だい? 見たところ、喋るカピバラという奇妙な生物らしいけどね」
 「ただの正義のヒーロー、カピバランじゃよ。……お前のような侵入者から、可愛いお嬢さんを守るような、なぁ」


 ふししとカピバラが目を細めて笑うのに対し、天城は嫌悪感によって目を細めた。同じように目を細めたのに、2人の温度の差は天と地程ある。カピバラの返事があまりにも馬鹿げていたのか、天城は深いため息をついた。


 「ボクは、正義とか守るとか……そういった腐りきった言葉は嫌いなんだけど」
 「それじゃあ俺とは正反対じゃのぅ」


 紅茶を横へ置くと、カピバラはテーブルの上にごろんと転がった。敵である天城とちゃんと話す気があるのかないのか、微妙なところである。喜悦の表情を浮かべて、カピバラは自分の意見を語り始めた。


 「俺は正義も守るも、愛も友情も平和も大好きやよ。人間ってのは、そんぐらい凄いものをいっぱいもっとるからのぉ」


 真逆で対称的で大嫌いな考え。甘く優しく偽善的なその言葉を聞き————天城はその時初めて、苛立ちを表に出した。整った唇が、ぎゅっと引き締まる。天城はカピバラの話を聞き終わると、先ほどドアノブを溶解させた右手をカピバラに向かって突き出した。口元に笑みを称えて。


 「……君の名前は? 随分と腸な煮えくりかえるような言葉を吐いてくれるけど」
 「俺の名前は、侵島零区(おかしじまれいく)やよぉ。そんで、アンタの名前は何かな? ほら、倒した後に捨て台詞言うとなれば名前は必須じゃろ?」


 相手を小ばかにする言葉に、天城の余裕の表情が固まる。次にカピバラが体を起こした時には、天城は————手元に透明な立方体を作り出していた。ぎりっ、と奥歯が噛み締められているのをカピバラは愉快気に見ている。


 「ボクかい? ボクは天城 西院。仲良く……してね?」


 柔和に微笑み、天城は透明な立方体を高く掲げた。どうやらカピバラにぶつけるつもりらしく、立方体は周囲の空気を取り込み——小柄なカピバラを嘲笑するように、それはだんだんと強度と大きさを増やしていき、やがて——————


 「——————息、何時間止めてられるかな? 空気中で溺れる、そんな貴重な体験をしてみないか?」


 書斎は爆風に包まれた。
 天城の先制攻撃から、侵島零区の戦いは始まったのである。