ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 斬鬼 ( No.3 )
日時: 2011/03/05 14:02
名前: まる (ID: 1deg7EE.)

序章

 紅い月が闇を裂き、辺りを淡く染め上げる。
 闇は暗く渦巻き、静寂がその場を支配していた。聞こえるのは風の唸り声と、そのたびにからからと揺れる木々の擦れる音だけだ。
 ふと、男は目を開ける。底冷えする深い闇が彼を出迎え、誘うかのように風の乾いた音が彼を嘲笑う。
 ふいに強く生暖かい風が吹き荒れ、男の雪のように白い髪を舞いあげた。
 男は目を閉じ、風が凪ぐのを待ってゆっくりと瞳を開ける。——刹那、男を出迎えたのは薄紅色の無数の花弁。風に舞う無数の花弁は、踊るように彼を取りまき、ゆらゆらと辺りを漂う。
 風に舞う小さな花びらに、男は手を伸ばす。そして、握り閉めていた手をそっと開け、真紅の瞳を細めた。
 そこにあったのは小さく柔らかな一片の花びら。
 咲くはずもない花が咲いていたのだ。“あの時”から蕾も付けず、ただ長い季節を無常に見送り続けた花が。
 男は口元を歪め、薄く笑う。彼の笑みは酷く美しく、その場に人が居たならば誰もが息を飲み、羨望の眼差しを向けたであろう。高い鼻梁、薄い唇にシャープな輪郭。着物の上からでも分かる見事な肢体は、細く引き締まりしなやかであった。
 —— 彼の笑みは酷く美しくもあったが、酷く残忍な色を浮かべていた。
 「時が来た」
  彼の囁きは暗闇に飲み込まれた。それと同時に、彼の手にあった花びらがするりと風に踊り舞い、闇に消えて行く。
  男はそれを、無言で見つめゆるりと笑みを浮かべた。
 「この世で最も愛しく憎い鬼姫——鈴鹿御前を、ここへ」