ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 【短編】お題:指先の冷たさ【アンソロジー】 ( No.14 )
- 日時: 2011/03/08 17:30
- 名前: 朱音 ◆c9cgF1BWc. (ID: JYHezvC8)
- 参照: ケフカちゃーん ケフカーちゃーん 細すぎーてもやーしーみーたーい
参加します。……あ、迷惑とか言わないで。
空を飛んでみたかった。鳥のように自由に、何にも縛られず、あの透き通るような大空を。
——「翼」——
僕たちは双子だった。どちらが兄でどちらが弟かなんていちいち気にしてなかったけど、僕は兄のことを「にいちゃん」って呼んでた。兄は僕のことを「君」って呼んでた。双子の兄弟だったのに何故か距離があって、周りからは「おかしい」って言われてたらしいけどあんまり記憶にない。
「翼、欲しいと思わない?」
兄は抜けるような大空を見上げて言った。
「にいちゃんは欲しいの?」
ベンチから身を乗り出して兄の顔を見た。夢を見ている少年の顔だった。いや本当に夢を見ている少年だったんだけど。
「欲しいよ、とっても」
呟いた後、兄はこっちを見た。僕の前に細い腕を広げて見せて、
「僕はこの手が翼になればいいと思う。そしたらいつだってあの空に飛んでいける。君はどう思う?」
うーん。僕は少し考えた。
手が翼になる……そしたらご飯はどうやって食べるんだろう。お風呂にはどうやって入るんだろう。髪の毛も体も洗えないんじゃないかな。
「僕は背中に翼を生やしたい。天使みたいでカッコいいし、飛んでる時にも手が使える」
「そしたら、寝るときに邪魔じゃない?」
「横向きに寝たら気にならないんじゃないかな」
翼についてあーだこーだと議論をしていたら、いつの間にか日が暮れていた。急いで帰ったらお母さんにものすごく叱られた。その日の夜ご飯はハンバーグだったんだけど、二人で一つしかもらえなかった。
その夜も同じ話をした。二段ベッドの上と下で、相手の声だけが聞こえてくる。なんだか不思議な感じ。
「じゃあさ、」
兄の声が聞こえた。遠足前日の子供みたいに、わくわくした声だった。
「二人で翼を生やそう。大きくなったら。それで二人で飛んでいくんだ。あの空の向こうまで」
眠かった僕はその言葉の半分くらいまでしか聞こえてなかったけど、曖昧に返事をして眠りについた記憶がある。
次の日から兄は、鳥を捕まえて色々調べ始めた。
兄の部屋からは毎日鳥の鳴き声が聞こえていた。たまに苦しそうな声も聞こえてきたから、もしかしたら解剖とかそんなのをしてたのかもしれない。部屋から出てきた兄の顔には血がついていたから、多分それであってると思うけど。
お母さんが止めなさいって言ってからも、兄はそれを続けてた。多分中学校卒業くらいまで続けてたんじゃないかな。
理系だった兄と、文系だった僕は別々の高校に入った。兄はそこで生物か何かの研究をしてたらしい。「らしい」っていうのは兄の通ってた高校が他県にあって、あんまり連絡を取れなかったから。
いつしか、お母さんがやつれはじめた。
ある日、僕の携帯に一通のメールが入った。件名は「久しぶり」。兄の名が入っていた。
勉強で疲れているはずの目は実に自然にメールを追った。どうやら久しぶりにこっちに帰ってくるらしい。メールの最後に「見せたい物がある」と書かれていた。場所が何故か自宅ではなく、ずいぶん前に潰れた工場の跡地だったのが少し気にかかったけど、久しぶりに兄に会えると思った僕は部活で汚れた服を着替えもせず、手早く運動靴を履いて家を飛び出した。
工場までどれだけ時間がかかったのかは分からない。
こなごなに砕かれたガラスを踏みつけて、僕は工場の中に入った。機械の部品が乱雑に置かれて、というよりは放置されている上に、埃が多い。ごほごほと咳き込みながら、僕は兄の姿を探した。
見つけた。
兄は崩れかかった二階部分にいて、ガラスのはまってない窓から外を見ていた。多分そのときは夜だったから、兄の姿は月光に照らされてすごく綺麗だったと思う。
「にいちゃん」
僕は一回から声をかけた。兄はこちらを向いた。
「君か。早いね」
「走ってきたから」
僕は膝に手をつき、いかにも酸欠です、というように肩を上下させて見せた。兄の笑う声が聞こえて、階段を下りる音がした。
「見せたいものって?」
「ああ、」
「これ」
兄は自分の腕を僕に見せた。
それは白い羽に覆われていて、全く人間の手には見えなかった。小さいころ兄が言っていた翼——それに酷似していた。
以前腕だったであろうところは、まるで骨がそのまま見えてるみたいに角ばってた。そこからふさふさした暖かそうな羽がいっぱい生えてたけど、どうしても触る気にはなれなかった。
「まだ空は飛んだことないんだ。君の目の前で飛ぶところを見せたかったから」
「…………にい、ちゃん?」
「腕自体が羽毛だからあったかいんだけど、問題があるんだよね。ほら、ここ」
もふもふとした羽毛の中から、人間の手とは思えない色をした手のひらが姿を現した。兄はそれをふりふりと振ってみせて、
「羽ばっかりに血が行っちゃうから、手のひらの感覚がなくなっちゃったんだ。これじゃあお風呂にも入れないし、箸が握れないからご飯も食べられない」
僕は兄の変わり果てた手のひらを握った。
氷のように、もしかしたら氷以上に冷たかったその指先。かつて人間の指だったとは到底思えなかった。
「これから、僕は飛ぶ。人間が機械の力も借りずに飛ぶんだ」
そう言うと、兄は再び階段を上がりはじめた。僕の足は自然に兄を追いかけていたけど、「やめろ」とも「止まれ」とも言えなかった。
兄は階段を上り続けて、とうとう屋上まで来た。ボロボロになった柵の上に飛び乗った兄は、
「見ててね。絶対飛んでみせるよ」
と、少年のように笑っていた。
ビルが立ち並ぶ大都会の中。もし落ちたら確実に命はない。
にいちゃん。やめて。人間は飛べないんだよ。飛べるくらいの筋肉を持ってないんだよ。落ちたら死んじゃう。だからやめて。
必死に止めようとする僕の手を振り払い、
兄は、飛んだ。