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Re: 【短編】お題:指先の冷たさ【アンソロジー】 ( No.15 )
日時: 2011/03/11 06:55
名前: るりぃ ◆wh4261y8c6 (ID: SHYi7mZj)
参照: トリップ変更しました

【心臓に住む蝶々】

私の心臓には、蝶が住んでいる。
生まれて初めて植物園に行くことになった。蝶や鳥もいる、綺麗な所らしい。
誰かと一緒に外出することも、これがはじめてだった。
それは私が生まれつき心臓が弱くてずっと入院生活をしていたから。
両親も小学生の頃に死んでしまったし、後見人になってくれた親戚さんは優しい人だけれど世界中を飛び回っている人だった。
私の心臓は移植でもしない限りいつ発作が起こるとも知れない欠陥品で、不用意に外出もできず、一緒に外出する人もいなかったから外に出たのは片手で数えても足りるくらい。
そんなわたしを、植物園に誘ってくれたひとたちがいる。
彼らとの出会いはそれまで私の世界だった病室で、奇跡的に見つかったドナーの人から心臓移植を受けた手術のあとだった。
そして私に心臓をくれたその人は、彼らの大切な家族だった。
名前を、大杉 富之さんと言う。

「桜、準備はできた?」

「あ……博さん、なんだかすこしはずかしいです」

「大丈夫。僕の見立てに間違いはない。」

博さんが漆黒の瞳をきれいに細めて笑った。
瞳にささやかに落ちるのは、色素の薄いまつげの陰。
髪型を崩さないようにやさしく頭をなでられる感覚は、小さいころお母さんにして貰った以来だったので未だに慣れない。
富之さんの心臓をもらってから過ごせるようになった外の世界は初めてのことばかりで、現に今だって病院着ばかりだった私には縁のないような可愛らしい服を着ることは初めてだった。
カーディガンもワンピースもやわらかくて清潔な白。
だけどリボンがついているパンプスだけは鮮明に赤かった。
博さんの目にはわたしがこういうイメージで映っているのだと思うとなんだか恥ずかしい。
恋とか愛じゃなくて、くすぐったい感じだ。
博さんに手を引かれて出た外には大きな車が待っていた。
傍らで誠さんが手を振っていて、今日の運転手さん役はどうやら誠さんなのだとわかった。
博さんは当然その助手席に座るのだろう。

「すみません、お待たせしました!」

「そんなことはない。気にするな、桜」

「わ、わわわ……!」

「誠、それじゃあ折角の髪型がぐしゃぐしゃになるよ」

「あ、すまない。」

先ほど博さんになでられた頭を、誠さんの大きな手がぐしゃぐしゃとなでて。こんどはお父さんがそうしてくれたように、飾り気のない愛情をこめたような手つきだった。
そのあと後部座席に座った私に声をかけてくれたのは翔さん。

「ふん、毛並みくらい整えておけ」

「………はい」

つめたいような言葉だけれど、翔さんは櫛で髪を梳いてくれた。
すこし驚いたけれど、されるがままに髪を梳いてもらう。
頬が赤くなりそうだなぁと思いながらパンプスにあしらわれているリボンをじっと見つめてみる。
やっぱりかわいらしかった。


植物園のなかの一角にある飲食OKエリアのなか。
ここには鳥はいないけれど、さえずりの音は透き通ってよく聞こえている。
いっぱいの緑と色取り取りの花に囲まれて、植えられている背の高い木と木の間から零れ落ちる光がとても優しいと思った。
両手に収まるくらいの大輪の白い花は中心に向かって淡く色づき、控えめだけれど甘い香りを漂わせている。
試しに目を瞑ってみても、そこは綺麗な世界のままだった。
今まで病院のなかの真白な世界しか知らなかった私には、全てが全て鮮烈で、だから記憶に焼き付けたいと思った。
すると目を瞑った私を心配してくれたのか、誠さんの声がした。

「疲れたのか、桜」

「いえ、今日は沢山の物を見せて貰ったので記憶に焼き付けたいと思ったんです」

見たこともない草木や花、鳥、蝶。
知らない名前に、知らない種類。
それを博識な博さんが丁寧に教えてくれて、迷子になりそうになったら翔さんが手をひっぱってくれた。
誠さんはこうして体力のないわたしを気遣ってくれる。
それはとても幸せなことに思えた。

「ああ桜、よく似合うリボンだね」

博さんのやわらかい声がする。
リボンは靴だけなのに、と思って首を傾げれば、視界をひらひらとなにかが横切っていった。
蝶だった。
その蝶はわたしの目の前をひらひらと舞って、試しに片手を差しだしてみれば指先にとまる。
翅を伸ばして、安心しきったように休んでいた。
淡い光のなかに翅が透けて、とてもとてもきれいだった。
すると翔さんが雰囲気をやさしくしてわたしを見つめていることに気がついたので、視線を送ってみれば、やはりやさしい声で答えてくれたのだ。

「富之もこうして蝶に懐かれていた」

今の桜のように指を差しだせば必ずとまったものだ、と。
誠さんも博さんもどこか懐かしいような表情でいるものだから、それに泣きたくなってしまった。
いたたまれなくなってしまった。
そうだ。この場所は本当は富之さんの場所なんだ。
富之さんがながいながい時間と信頼を積み重ねて勝ち得た場所。
そこに、私なんかがいることは許されるのだろうか。
私は、富之さんの代替品なのだろうか。
それならどうして、こんなにも優しくしてくれるのだろうか。
私の手のなかにあるグラスの氷がぴしりと亀裂を生じさせた。透明ななかに歪に走る白い線は、私に入ったそれにも似ていた。