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Re: 【短編】お題:指先の冷たさ【アンソロジー】 ( No.7 )
日時: 2011/03/06 15:16
名前: 朔 ◆sZ.PMZVBhw (ID: 9nPJoUDa)
参照: どっこいしょういち。書かせて貰いますよ〜




    -Recall-


 乾いた銃声。ぱん、というその音はまるで自分の心を擬音化させているような気がしてならない。


「————ッは」


バラバラの間隔で吐き出される荒い吐息は白い。吐いている自分だけでなく、其れを見る人も音を聞かなくても呼吸が荒いというのが分かるくらい、白い靄のようなそれははっきりとしていた。……如何やら相当ガタが来ているようだ。

 重い躰を起こしあげ、青年は血まみれの右手で額の汗を拭った。拭われた汗の代わりに手についていた赤黒い液体が付着する。そのままの流れで、今度は袖口で口元をふき取る。唇についた血が白い袖口を小さく染めた。


 ————自分が如何してこんな行動に及んだのか理解できない。今は、感情に一直線過ぎた自分のことが可笑しくて仕方が無い。哂いたければ哂うが良いさ、自分よ。さあ、嘲笑すれば良い。大声を上げて哂ってくれてもいいさ。この行動に走った自分を見ているのは、分裂した自分という人格な気がしてならない。……鬱病と言うのも、自分を否定するあまりに分裂して出来上がった人格が、元の自分を非難するから起こるというような話をどこかで聞いた気がした。——ああ、フロイトの本だっただろうか。


「おかしいなあ」

ふと見上げた空はいつの間にか、何時雨が降ってもおかしくないくらいの曇天になっていた。先程までは清々しいほど乾ききっていた青空など何処にもない。曇った空はじめじめとした空気を生み出して、周囲を包み込んでいる。————ただ一人、自分を除いては。


 何故か、自分の中は乾ききっている。
 どうしてか、周囲はこんなにじめじめとしているのに、自分の心はからからに乾いている。



 ビルの物陰から、人影らしきものが見えた。それが敵か味方かと判別する前に青年は左手に持っていた拳銃の引き金を躊躇なく引く。少し前までは重く、固かった筈の引き金が今は羽の様に軽い。鉄の塊の様だった引き金がそうなったのは分からないのだが、其れは自分自身を捨ててしまっただろうか。最早自分は嘗ての自分とは違うのだ。もう、あの頃の自分はこの世に居ない。



『手が温かい人は心が冷たいっていうけど、そんなことないよ。
私は、キミのこの手のぬくもりが大好き。キミは全てが温かい人だって、分かるんだもん』


 ぱん。引き金を引いて、弾丸を発射させ、人影の頭を撃ちぬいてやる。それと同時に"彼女"の言葉が頭に蘇った。————大丈夫、もうすぐ。もうすぐだから。もうすぐ、キミのところに行ける。

どさりと重い何かが倒れる音を聴いて、青年は標的の命が消え去ったことを認識した。最初はなんだかんだ言って不快に感じていたこの火を消したような感触はいつの間にか気持ちの良いものに変わっていってしまっている気がする。それはきっと人間性を失っていっているからなのだろう。




 ——雨が降り始めたようだ。


 冷たい雨粒が自分に降りかかるのが分かる。その身に掛かっていた血液が少しずつ流れて行くのが分かった。足元には、水に洗い流された血液が貯まっていた。それ程はっきりしたものではないのだが、アスファルトに弾(はじ)かれて貯まっているそれは光に反射して、妙にきらきらと綺麗に見えるのだ。



 ——キミを犯して、殺してしまった奴らに対する復讐。


最初はそのつもりだった筈だ。なのに、気付けば彼女に関係のないものまで殺していっている気がする。快楽殺人とは怖いものだ。"人を殺すことが目的"という恐ろしい化け物を生み出してしまう。




『躰中で感じられるの。キミの温かさ。それが嬉しくって、嬉しくって。いつまでもこうしていられるといいよね』

後ろからした足音に向かって銃を撃つ。「う"っ」という呻き声とまた倒れこむ音がした。それと同時に、また"彼女"の声が聞こえた。青年は自嘲染みた笑みを浮かべる。右手を、銃を持つ左手に当ててみる。……冷たい。



『私をなぞってくれる、このほっそい指はとっても温かいの。冷え切った私の躰に触れてくれるその指は、どんな暖房器具よりも私を温めてくれるのよ』
そんな言葉を思い出した青年は指先の温度を確かめてみた。……やはり冷たい。

————引き金を引くこの指は、冷たい。
————キミに触れていた頃の指の温もりなんて、もう、無い。
————もう、キミが知っている"モノ"では無い。


躰がびしょ濡れになっているが、心はからからに乾いている。全くの対極的な物に本当哂いが漏れてしまう。

 青年はその場に屈み込んだ。同時に持っていた銀の拳銃を地面に落とす。少しだけ重い音が鳴り響いた。もう、これ以上歩いたりする気力が無いようだ。……心も、躰も、ぼろぼろになっている。彼女を辱めた奴らを殺して、自分も死のう。——弔いとか、もうそういうレベルでは無いのかもしれない。ただ単に自分の中にある空虚なものを埋めるための行動に変わっているのだろう。





 意識が他に行ったその時に。


 重い銃声が、青年の胸を貫いた。




「———あッ……?」




唐突過ぎて何が何だか分かっていない。取り敢えず、手を左胸に当ててやる。温かい液体が漏れ出ていることが分かった。

 遠くで「やった、撃ったぞ」という歓喜の声が聞こえた。……それに構うようなコトをするつもりなど青年の中には全くない。徐々に青年の視界が霞んでいき、躰が倒れて行く。耳も遠のいていく————。




————っはは。


やられちゃったよ。



 どさり、と躰が濡れたアスファルトに倒れた。水しぶきが飛ぶ。胸元にぽっかりと空いた穴から出てくるのは、深紅の液体。水にと紛れて、濃度が薄まっているのだろうな、と青年は思った。

 ——死ぬのは本望なのだ。
 ——これでもう、やっとキミの元に逝ける。


 躰を打つ雨がだんだんと体温を奪っていくのが分かった。もう一度青年は自分の手を触ってみる。やはり冷たいな、と。






「やっと、こっちに来るね」


青年の耳に聞き覚えのある声が入った。ハッとしてゆっくりと顔を上げる。見上げると、見覚えのある"彼女"が青年を見つめていた。黄色い傘をさして、それに青年を入れてやっていた。——艶やかな長い黒髪と太陽の様な笑みを此方に向けて。


「————そうだ、ね」

青年は喉から声を絞り出した。酷く弱弱しい声だったが女性はそれを確かに聞き取ったようだ。


 青年の冷たい指に女性の手が触れる。女性の手の温もりが、冷たく冷え切った青年の手を包み込んだ。


「おかえり」


女性はにこりと微笑んだ。



「…………ただいま」


青年は静かに目を閉じる。





 ————彼の指先の冷たさは、いつの間にか温かいものに戻っていた。



-Fin-