ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 僕と戸口さんともうひとつ ( No.12 )
- 日時: 2011/04/08 23:14
- 名前: 揶揄菟唖 (ID: Uk0b6ssr)
僕と戸口さんと赤い空
同じ精神病院に入院している戸口さんという人がいる。
下の名前は、知らない。
別に知らなくても僕と戸口さんとの関係を壊す程でもない。
病室が近いのと、単に暇という理由で、よく戸口さんの病室に顔を出した。
「今日も来たんだね」
まるで咎めるようにそう言ってくるのにももう慣れた。
僕はそれに首を縦に動かして答える。
そうすると、僅かに微笑んでくれるのがたまらなく嬉しくて仕方が無かった。
ドアをスライドさせて体を滑り込ませる。
そして、後ろ手にドアを閉めた。
スリッパをやや引き摺るようにしながらベッド近くまで歩み寄る。
この緑色のパイプ椅子も今ではすっかり僕専用となってしまったものだ。
サビがちらほら見受けられるパイプ椅子を少々愛撫してから、腰かける。
苦しそうな音を上げているこれに体を委ね、いつものように僕に見向きもしない戸口さんの姿を眺めた。
戸口さんはいつも窓の外に気を取られていた。
その視線は妙に熱っぽく、まるで恋をしている女のようで——
とにかく、美しい。
だが、僕が入院しているのは紛れもない精神病院のためその感覚はおかしいのかもしれない。
一般人になってもしも戸口さんのことを美しいと思えなくなるとしたら・・・
・・・やめておこう。
考えただけで、身震いを引き起こす。
「いいこと教えてあげよう」
不意に戸口さんが微笑む。
「空はね、赤いんだよ」
手を伸ばし、窓に触れようとするが届かないのは明白だった。
ここからでは反対側の病棟が邪魔をして空は見えない。
なのに戸口さんは自信に満ち溢れた声で言う。
僕の病室からは空が見える。
その色は紛れもなく、青だ。
全てを受け入れ、調和する、青。
「どうして、そう思うの?」
入院する前から空は見てきているはずなのに。
「最後に見た空が赤かったから」
最後、というと入院する前か。
「そう」
それとも、夢の中か。
この日はいつもより多く喋った。
たまに何も喋らないで帰る事もあるから、ついていたということだろう。
そうして僕は、今日を終えた。
夜を迎えれば朝が来る。
死人に朝は来ない。
無事にベッドから体を起こすことができたので僕は生きていた。
目の前で動く指を見つめてから、ベッドから這い出す。
今日も戸口さんのところにいくために。
大分前からの日課を済ますべく、廊下を歩きドアの前に立つ。
そして、開けた。
ドアの使用方法はそれ以外ないから当然だ。
それでも、ベッドの上に僕を迎えてくれる人はいなかった。
———あぁ、そうだ。
そういえば、今日で戸口さんは退院なんだ。
思い出したことに軽く満足感を覚え、綺麗に荷物がなくなったベッド周辺に足を運ぶ。
そこで、みつけた。
ベッドの上に片付けられることもなく放置されていたのを手に取る。
絵だ。
白い画用紙一杯に描かれた、赤い空。
ぽっかりと行き場を失ったように塗られた、青い雲。
それを折りたたんでポケットに押し込む。
困ったな。
まだ、日課を終えていない。
しょうがないから、会いに行こう。
戸口さんに。
そこは普段通りに開いていた。
屋上。
緑のフェンスにか囲まれたその空間は家畜を閉じ込める檻に似ている。
そこに戸口さんはいた。
風が強いけれど真っ直ぐに立ち微動だにしないその姿は機械じみていた。
「やっぱりここだったんですね」
どこかの刑事ドラマに出てきそうなセリフを吐く。
ゆっくりと戸口さんは振り返る。
「最後に空を見たくてね」
戸口さんは空を仰いだ。
理由も想像できていた。
だからここにきた。
「空はいつだって、青いです」
それで、白い雲を浮かべてる。
「・・・知ってる」
一見強がっているようにも聞こえるけれど、戸口さんは真面目だった。
真面目に事実を否定して、
真面目に嘘をついて、
真面目に空に恋をして。
「退院おめでとうございます」
初めて、僕のことを見てくれたような気がした。
いつも窓の外ばかりを見てきた目が僕を捉えている。
「ありがとう。でもね、」
踵を返しフェンスをよじ登る。
やがて上り終えて、向こう側の狭い足場に着地した。
戸口さんでさえも上れてしまうフェンスはきっと何の意味も果たしていないだろう。
これで、僕は檻の中。
戸口さんは檻の外になった。
「退院、したくないんだ」
悲しそうな表情を浮かべ、右手でフェンスを掴む。
折角人間らしい表情になったのに緑の網が邪魔でくっきりとは見えない。
「なんでですか?」
僕は一歩も動かずに声をかける。
「・・・生きなくちゃならなくなくなるから」
左手もフェンスを求めて喰らいつく。
「退院すると、他の事も考えなくちゃいけなくなる」
顔を背けて必死に訴えかけてくるものだから迫力があった。
「世間の常識に合わせなくちゃいけなくなる!他の人に合わせなくちゃいけなくなる!」
やがて、手が震え始めた。
「・・・好きな人のことをずっと考えて居たいんだよ」
綺麗な瞳はもう一度だけ空に向けられる。
「どうして空が赤いと思い込もうとしたんですか?」
僕を使ってまでしたことだ。
知る権利はある。
「嫌いになれるかもって思った」
でも無理だったよ、そういって力なく笑う姿がやけに瞼の裏に焼き付く。
「それじゃあ、一緒になってくる」
フェンスを掴んでいた戸口さんの両手が一気に離れて、重力に従い体が下降していった。
それを見送った後、ポケットからあの絵を取り出す。
しばらく眺め、
粉々に破いた。
細かくなった紙を風に乗せると真っ直ぐに上へと飛んでいく。
もったいないことをしたかもしれないという後悔はもう遅い。
だから、戸口さんの幸せを祈って、
「お幸せに」
赤く、青い空に手を振った。
〜end〜
四話目です。
今回はやたら長い。
二話目のような感じではなく、ちゃんとした小説風にしています。
分かりにくい話だったなぁ・・・と。
しかも悲恋っぽい。
・・・いつものように、気にしない方向で。
