ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: <タイトル、保留> ( No.3 )
日時: 2011/04/01 12:40
名前: カキ子 ◆74EC9roHQw (ID: oShmi/gg)


       2

 朝からシュークリーム作りに励みながら、伊勢崎基子は思いふけっていた。

 「心配だなあ……」

 基子が脳裏に思い描く人物——ボサボサ頭に不健康に痩せた体。唇はいつも荒れていて、授業中は授業以外の事に意欲と集中を向けていた、加賀見ケイである。坂田雄二郎曰く『筋金入りの陰気変人エゴイスト』。

 まさにその通り。なのだが、基子にとってそれは彼女の欠点ではなかった。彼女は、自分が退屈だと思う事は絶対にやらない。だからいつも楽しそうだった。だから見ているこっちも退屈しなかった。彼女の言動すべてが新鮮で、輝かしくて、基子は惹かれた。

 それが小学五年生の時である。それから二人は仲良くなり、ケイにとっても基子にとっても、お互いは無二の存在となった。

 そして時は流れ、中学卒業…。基子は前々から憧れていた難関私立高校に合格した。ケイは公立の偏差値は並み以下の高校へ進学を決めた。ケイは二人が離れ離れになると知った時、「基子ちゃん合格おめでとう。適当に頑張ろうねお互い」といった、ケイらしい言葉が返って来た。

 ケイちゃんなら、心配ないんだろうけど…。

 なんてのは、嘘。基子は物凄く心配だった。

 具体的になんの心配なのかは、基子にも分からない。でも漠然とした不安が、思考を捉えて離さない。

 ああ!もうケイちゃんの所へ行こうかな!

 会えば何か分かるかもしれない。でもとりあえず、このシュークリームを作ってからだ、と基子は一層張り切る。


 「美味しそうだね」

 没頭していた基子は、突然耳元で聞こえた声に一瞬肩をビクッと震わせた。

 「おお、お兄ちゃん…」

 基子の兄、伊勢崎正である。身長は170センチ。痩せている、という表現より、スリムであると言った方が良いだろう。しかし若干猫背気味で、今起きたのか寝癖が酷い。片手には分厚い書物を持っている。

 「なんか頂戴」

 抑揚のない声でいう。基子は文句を言う事なく、少しばかり考え、掻き混ぜていたカスタードをヘラに少しのせて正の許に差し出す。

 「カスタード、舐めていいよ。まだ出来上がりには掛かるけど、出来たら試食させてあげる」

 正は人差し指でカスタードを掬い、舌で物足りなげに舐めた。口一杯に広がる、甘い味。この一舐めというのがいじらしく、堪らないものなのだ。

 「美味しいなあ。さすが基子」

 呑気な声をあげる。基子は照れくさそうに手元の作業に戻った。正はリビングのソファーに腰掛け、分厚い書物を捲った。基子にそれが何なのかは分からないが、兄はとても頭が良いと言うことは知っている。

 「ところでそんなに作ってどうするの?」

 流しの三角コーナーの凄まじい数の卵の殻がどうも気になっているらしい。本を捲りながら、横目で台所の妹を見る。

 「ケイちゃんに会うついでの手土産にね」

 ついでの手土産に、手作りのシュークリーム——。そんな事をさらっと言う妹に思わず苦笑しつつも、正は言葉を返す。

 「ケイちゃんて…。時々聞くな。高校は同じなのか?」
 「ううん。違う…」

 基子の声のトーンが若干下がる。家族での団らんで、基子が言っているのを度々耳にする友達の名だ。よほど仲が良いんだろう。

 「寂しいな」

 当然だろう。正は思う。

 「いやー?そうでもないんだ。ケイちゃんがそうだからかな」

 正は基子の方を見る。強がっている様子は見られなかった。口調に乱れもなく、「ごく当たり前の事」を口にした、と見受けられた。

 「ケイって子は、寂しくないのか」

 そういえば母校の——基子の中学でもあるあの学校に、かなり変わった女の子がいるとは依然聞いた事があったな、と正はぼんやり思い出す。

 「寂しいなんて感覚、あるのかなー。あはは。ちょっと頭のおかしい子だからさ。あ、貶してる訳じゃないんだよ。ただ、周りからすれば「異常」というか。家庭環境も…」

 そこから基子は語尾をあやふやにした。明らかに言わなくても良い事を言ってしまった、という顔だった。

 「家庭環境が、どうした?」

 正は曖昧に会話が終わるのが好きではなく、容赦なく核心を突く。基子はばつが悪そうな顔で、お兄ちゃんならいいか、と自分に言い聞かせるように呟き、若干歯切れ悪く話した。

 「ケイちゃんはね、ずっと前に両親が死んじゃって、近親者もいなくて、施設に入らざるを得ない所に、引き取りたいっていう人が現れて、その人の所にいるの。でも三年前…だったかな。その状況が一変したっていうか…」

 基子はそこで口を閉ざした。雑談で話すような話題ではないと思ったのだろう。しかしもう遅い。正の頭の中では別の考えが成させていた。とある男の子の顔が浮かび、心がざわついた。

 「その一変したっていうのはもしかして、その人が“親類として、両親を亡くした孫を引き取った”って事か?」

 基子は顔をあげ、かつてないほど面食らっていた。その顔はまさにその通り、と言っていた。

 「なるほどな…」

 正は三年前の状況を反芻しながら、新たに得た事実と繋ぎ合わせる。確かにそれは滑稽で、複雑なものだった。


 その「孫」とは、お察しの通り坂田雄二郎の事である。
 加賀見ケイと坂田雄二郎、まったくの赤の他人の、しかも同級生である二人が一つ屋根の下に住むのには、奇妙な縁が存在した。

Re: 逆説の絵画 ( No.4 )
日時: 2011/04/01 15:00
名前: カキ子 ◆74EC9roHQw (ID: oShmi/gg)

 加賀見ケイは9歳の時に、父も母も亡くした。

 父はケイが生まれた時にはすでに死んでいて、ケイの母親はケイを育てるために必死で働いた。それはもう、見てるこっちが疲労を感じるくらい、働いて働いて、働いていた。

 ケイはその時から何かと我がままな所があった。というより、何か他の人には感じ取れない何か別の物——美しいもの、恐ろしいもの、どちらとも取れるような「気」を、身近な物から感じ取っていた、という方が正しいのか。

 「あれ、あれ」と幼いケイがしきり指差す方向には蝉の死骸。母親は虫嫌いであった為、ケイの要望を強く拒んだ。そうするとケイは母親の手を振り解き、蝉の死骸をわしづかみにして、太陽に照らし合わせる。「きれー、きれー!」その時、誰もが思うだろう。『何が綺麗なのか?』彼女の目に映るそれは、一体どんな風に見えるのだろう…。そこからケイの一般的な感覚のズレは生じていたのだ。

 ケイは、身なりを整えて澄ましていれば、それなりに可愛らしい少女だった。でも彼女にとってそんなもの、10秒とも持たない。静かにしなければいけない所で、暴れてしまう。ケイは次第に、嫌われ者となった。

 そしてケイ、9歳の春——。朝から夕方まで飽きもせず桜をたっぷり眺めて帰宅すると、目をこの上なくがん開き、心臓に包丁を突き刺し仰向けに倒れている母親を発見したのだった。

 母は何者かによって殺されたのだと知った。

 天涯孤独の身となったケイは、施設に入らざるを得ないところを坂田幸子という60近い女性から引き取りたいと申し出が来たのだ。彼女は父の知り合いらしく、母が死んだらケイが一人になる事を知っていた。彼女は子供が大好きで、幼稚園の先生をしていたが色々と問題が生じて続けられなくなったのだという。そして一人息子は遠い所にいてろくに顔を見せてはくれない。

 定年の女性が9歳の子供面倒を見るなんて到底できない——。それにケイは色々と面倒な子だから——。それでも幸子は引き下がらなかった。何よりケイの事を、気に入ってくれたのだ。ケイ自身も、この坂田幸子という人物に何か感じたのか、彼女の手を握って離さなかった。程なくして、ケイはまったくの赤の他人、坂田幸子の家にやってくる事ができたのだ。幸子の家は、一人で住んでるには大層立派だった。

 そしてそれからも、幸子と生活を共にするが——。

 未だ母を殺した犯人は、捕まっていない。