ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 無限∞エンジン Ep1 Akt3 part1 執筆中 ( No.105 )
日時: 2012/02/03 20:32
名前: 風猫(元:風  ◆Z1iQc90X/A (ID: UmCNvt4e)

Part1


  「……あぁ、クソッ! 覚悟はしてた積りなんだけどなぁ……」

    
  ————人間暦二千十四年七月十四日(碧曜日)二十三時十五分
  インテルの一人、ワルキューレとの激闘から一日が過ぎた。リコイルの死は、リーブロの言葉により現実の物となる。
  此処は、セリスの自室。
  カラン。音を立てて空缶がセレスの手から零れ落ちる。商品名は、サワーコーラ。チューハイだ。
  チューハイとは、蒸留酒を炭酸水で割ったアルコール飲料のことである。
  彼女は、昨日からの不安を振り解きたくて自棄酒に走っていた。
  実は、逃亡生活の性も合って彼女は今迄の人生で酒を嗜んだ事はないのだが。どうやらそれなりにいけるらしい。
  調度品である小物入れに詰れた空瓶や空缶を見るに、相当酒豪の気があると評価できる。
  しかし、幾ら呑んでも悔恨の情や消失感を拭い去る事は出来ない。

  最初の任務で色々な事が有りすぎた。彼女にとって受け入れがたい色々なことが。
  恐らくは、リコイルのような強者であり良識人でなければ、案外仲間の最初の死をすんなり受け入れられただろう。
  そして、今更になって彗を殺害したことに後悔する。あの時は、相手も殺気を漲らせていてそうするしかなかった。
  それは、確かだ。しかし、彼女とは昔親しく色々世話をして貰ったのも事実。
  他のメイドの誰よりも近しい存在で同世代の友人の居ないセリスにとっては、親友のような存在だった。
  年相応の馬鹿なことをさせようと何時も躍起になっていた姿を思い出す。

                 「せやなぁ、お嬢様はもうちょっと、羽目を外してもえぇんやで?」

                          「羽目を外すって如何すればいいの?」


                                  「例えばなぁ。館を脱出してまうとかどうやろ?」

  楽しかったあの頃。
  いつも箱入りで本当の世界を鎖されているセリスに世界を見てもらおうとして居た。
  窮屈そうな彼女にいつも清涼な気持ちのよくなる刺激を与えてくれたのは彗だ。
  本来なら感謝すらすべき存在。それを殺す。何という蛮行だろう。
  セリスは、頬肉を千切れそうに成るほどに噛締めた。
  僅かに血の味が、口内を駆け巡る。
  沸々と怒りが、頭に湧き上がっていく。
  何かをぶち壊したい衝動に駆られるが、彼女は何とかそれを理性で丸め込み次のチューハイに手をつけた。
  流麗な仕草でタブを上げ彼女は、飲み口に口をあてがう。グッと一気に一口飲み込む。
  酒が食道を通っている最中だった。突然、ノックの音が響きだす。

「……ぐっ!? ゲホッゲホッ! だっ誰!? 
いや、こんな時間に他人の部屋に来る粗忽者はファンベルンだけね! 
ファンベルン!? アンタなんでしょ!? 
……入りなさいな。お酒ってのは一人で飲むもんじゃ無いわね」

  セリスは、突然の来訪に驚き咽び泣く。喉を鳴らせながら苦しそうに咳払いし誰だと問う。
  しかし、直ぐに頭の中に相手を思い浮かべその名前を呼ぶ。
  否定されないと言う事はどうやらそのようだ。そう、解釈し入室の許可を彼女はする。
  生憎とリーブロから報酬として頂いた酒類は、所狭しと彼女の部屋を占領していた。
  いかに彼女がアルコールに強いらしいとは言え一人では、とても飲みきれない。
  セリスの誘いの言葉が終る前に扉が開く。

「いやぁ、何で俺だって分ったんですかお嬢? さては、愛のパワーって奴ですね!」
「ストーカーで不躾と言ったら貴方だけだからよ! ほらっ、付き合いなさい下僕っ!」

  扉の先に立っているのはサングラスを掛けた中性的な顔立ちのスタイルの良い燕尾服の女性だ。
  セリスは、当った事に悲しくなりげんなりとした表情をする。
  その表情を見逃したファンベルンは、何時も通りに惚気て見せた。
  渋面を造りながらもセリスは、近くに有った酒瓶とジョッキを渡す。
  アルコール度数五十パーセント以上の強い酒だ。彼女は、案外酒に強いとは言えそれほど度数の強い酒を未だ口にしては居ない。
  酒が結構入った今の状態では、多少の抵抗もあったのだろう。
  ファンベルンは、軽々と無造作に投げつけられたボトルとジョッキを掴みコルクを強引に抜く。そして、ジョッキに酒を注ぐ。

「おぉ、バーボン! こりゃぁ、結構度数キツイっすね! 俺強いんですよ酒!」
「あーぁー、そう言う出来るんですアピール全然萌えないからやめてくださいファンベルンさん?」

  そして、ファンベルンはグイッと一杯、酒を煽った。派手に呼気を漏らし常套句を放つ。
  どうやら酒の飲める格好良い女と言う触れ込みを狙っているようだ。そんな彼女に心底呆れたようにセリスは言う。
  それに対し彼女は、全く諦めず更に言葉を続ける。セリスは、鬱陶しく感じたので空缶を投げつけた。
  見事にそれは、相手の眉間の辺りに命中する。良い音を立てて当ったそれは、良い音を鳴らして床に落ちた。

「良い音ね。アンタの脳みそってやっぱスカスカなのね?」

  セリスは、苛立った口調で言うと更に次の酒に手をつける。
  嫌な記憶を払拭しようと躍起になっているのがファンベルンには丸見えだった。
  帰路。彼女とセリスの二人の車両内。会話は無く虚しい。ファンベルンにとっても彗とリコイルは、大きな存在だった。
  故に同じ思いを共有できる二人で馬鹿騒ぎをしたくて此処に来たのだ。
  記憶を消去すると言うのは実は不可能に近い。
  だが、如何に甘美な記憶とて鬱屈な思いとて。私情を仕事に挟むのは良くない。
  プロフェッショナルとして彼女はそう理解している。だから嫌な記憶は早い内に心の最奥へと追い遣るように心掛けた。
  今も。仕事中に振り返ったりしない程度にその痛みを封殺しようと騒ぐ。

「お嬢の棘の有る言葉は俺の明日へのエールです!」

  痛め付けられて楽しげにする目の前の同性。
  セリスは、何をしても無駄なのだろうなと嘆息しいっそのこと馬鹿騒ぎしようと思いなおす。
  そもそも、一人で飲んでも面白く無いと気付いたから部屋に招いたのだから。

「ねぇ、アンタさ。ここカラオケボックスとかみたいなのないの?」
「有りますよ? じゃぁ、俺取りに行きますね! リーの奴ぶっ飛ばして!」
  
  周りは任務の関係で空席ばかり。思う存分朝まで騒げるだろう。
  そうと決まったら何か騒げる物。口元に手を充てセリスは思案する。
  思い浮かんだのは、路傍で寝ている時に聞こえてくる複数の歌声。そして、点数を競う様。
  色々な所で聞く。普通の家族で。あれなら此処にも有るのではないだろうか?
  そう思い立ちセリスは、ファンベルンに聞く。
  するとファンベルンは、考える事も無く取りに行くと直ぐに部屋を飛び出して行った。  
  どうやら、口調は男っぽくてガサツに見えるが使用人気質は抜けていないのが実情らしい。

「……良い独楽使いね。あぁ、リーダーぶっ飛ばすとかそんなことは聞こえなかったわよ? って、誰に言ってるのかしら私……」

  昔を思い出し微笑を浮かべるセリス。それが、鏡に映り笑う余裕が出てきたのかと驚嘆する。
  そうして始めて彼女は、ファンベルンに感謝した。いつもは鬱陶しいが、愉快なパートナーに。
 
  一方、勢い良く部屋を飛び出したファンベルン。
  セリスの部屋から左方向に十メートル程度行った所で男と遭遇し会話をかわしていた。
  茶色の癖毛が特徴的な青い瞳と赤い瞳の所謂オッドアイの柔和そうな好青年だ。

「そうですか。姉上は、皆の役に立って逝ったのですね」
 
  少々うな垂れて一部始終を聞いた男は呟く。彼は、不意に涙を零す。悲し涙ではない。
  付き合いの長いファンベルンは、それを感じ取り強いなと心の奥で唱えた。
  同じ目的を持ち血塗れで二人は、イグライアスの門戸を叩く。もう、十年以上前のことだ。
  彼は、ファンベルンと同じ最初期からのメンバー。リコイルの血縁でもあるトランスポーター。
  名をカッツォ・フェルノスと言う。六人兄妹の末っ子で相当な我侭だったと良く過去を振り返り呟くのだ。

  いつも長女である姉に迷惑を掛けて何時かは罪滅ぼしをしたいと。
  姉の掲げる目的と対を成すほどに叶えたい目的だと。
  だが、彼は知っていた。
  もう、家族の居ない自分にとって最も敬愛する存在である姉にとって、最大の目的は組織への貢献だと言うことを。
  だから涙を流すわけには行かなかった。彼女は、組織にとって最も利益の出る方法を取ったのだから。

「……それだけが救いだって……
俺は、思ってるよ。でもさ、心に言い聞かせたってそれで納得できるのか? 
本当に辛い時は泣いて良いんだよカッツォ。
男だからとか女だからとか……言わないから。一番辛いのがお前だって俺は知ってるから」
「うぅっ……あ゛あぁぁぁっ……あぁあああぁぁぁあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

  誇りに思う。そう付け加えたカッツォの背中は小刻みに震える。受け入れ切れていないのが、泣きたいのが丸見えだ。
  そんな彼をファンベルンは憐れに思う。身内の涙は、死者にとっての最高の手向け酒なのに。
  彼女は、彼の華奢な背中に手をあてがう。そして、母性に溢れた声で訴えた。
  彼は、その表情に瞠目する。長い間、彼女と組んできたが彼は、ファンベルンの今の表情を見たことが無い。
  慈愛と敬意に満ちた聖母のような顔。本心なのだろう。彼は、その言葉に素直に従い我慢するのをやめて盛大に泣く。
  その声は、セリスの部屋まで届く程だろう。彼は、ファンベルンの胸に蹲り情けなく泣きつづけた。
  時が止るような感覚が空間を支配する。窓の向こうは、満天の星空。
  
「……ファンベルンさん」
「うん?」

  何分こうして居ただろうか。我ながら恥ずかしいと思いながらカッツォは、面を上げた。
  そうして、ファンベルンの名を呼ぶ。彼女は、素気ない風情で続きを促す。
  彼を尊重するように。

「どうか気に病まないでください。姉上は、きっとそんなことしたら怒りますから」

  カッツォは、淡々とした口調で呟く。目には未だに涙が浮び目元は腫れている。
  きっと、まだまだ辛い思いは心の中に居座り続けているのだろう。
  しかし、彼は言う。心配するな。気に病むな。その言葉は、故人リコイルの誇り高さを深く知るが故に強く。
  強くファンベルンの心に響き渡った。

「そうですね。リコイルさんならきっと、何時までも悔やんでて仕事に支障でたら許さないんだからって言うんでしょうね」

  リコイルの人格を理解しているからこそ弟であるカッツォの言葉は深く理解できる。
  ファンベルンは、懐かしむように目を細め彼女の口調を真似て呟いた。
  きっと、仕事中毒で忠誠心豊富な彼女ならそう言うのだろうなと。
  
「所で……」
「うん?」
 
  そうですねと、カッツォは頷く。そして、引き止めた自分何か忘れているなと上を見上げる。
  そして、ファンベルンが自棄に慌てて廊下を駆けていたのを思い出す。
  何をそんなに急いでいたのか彼は、彼女に尋ねる。
  するとファンベルンは、口をギクシャクともごつかせ走り出した。

「カラオケセット——!」
「はっ? カラオケ……?」

  ファンベルンは、悲壮な表情を浮べ叫び声を上げながら走り出す。
  今頃、主人が眉間に皺を寄せている頃だろう。セリスの気の短さを知る彼女は、大慌てだ。
  そんな愉快な彼女の後姿を眺めながらカッツォは呟く。何が何だか分らず置去りにされた様子だ。
  彼女は、大丈夫だろうかと心配すると同時に何時も通りの騒々しい彼女だと思い安心もするのだった。
  暗に何時も大丈夫では無いと酷いことを言っているのだが、そこは触れないで置こう。

「お嬢! 馬鹿リーぶっ飛ばして見事にカラオケボックス確保しました!」
「あら? 遅かったわね? 全く、この程度のお買い物も出来ない駄犬は、お仕置きが必要かしら?」

  セリスの部屋を開くと空瓶や空缶の数が、目に見えて増えていた。
  思った以上に酒に強いセリスにファンベルンは驚愕しながら、声を上げる。目的を達成したと。
  するとセリスは、ゆらりと立ち上がり随分と遅かったじゃないかと至極当然のことを口にする。
  何時も通りの飄々とした笑顔のファンベルンだが、内心戦々恐々だ。
  何せ、下手をすればセリスから始めての大きな拷問が下されるのだから。
  マゾフィストである彼女にとっては願ったり敵ったりだ。
  カッツォに促されて急いだのも実は、少しでもセリスとカラオケを楽しみたいと言う理由だけなのだから呆れるばかりだ。
  彼女のお望み通りとばかりにセリスは、何処から持ってきたのかムチを構えてみせる。
  彼女は、その拷問器具を見て目を爛々と輝かせた。セリスは、そんな彼女に正直引き気味だ。
  矢張りこうなるのかと呟きながら、ムチを落し手を上げ降参のポーズをとる。

「ねぇ、アンタ……少し前に男の人の泣き声がしたけどなんかしたの?」
「嫌……ね。リコイルさんの弟さんに会ってね? 泣きたいときに泣けば良いって言っただけっすよ?」

  疑問に思っていたことをセリスは、素直にファンベルンに聞く。
  今、イグライアスのメンバーでホームにいる人間は少ない。
  唯でさえ少ないのに深夜帯なのだから余計に少ないはずだ。
  ならばファンベルンが、事の引き金だと思われても不思議は無いだろう。
  大の男が泣くと言うのもどうかと思うが、と彼女は思いながらファンベルンに促す。
  するとファンベルンからは、意外な答えが帰って来た。
  彼女は瞠目する。今迄のファンベルンからは想像もできない言葉だったから。
  彼女も人間的な感情を持っているのだと今更ながらに自覚するセリスだった。
  
「どうかしました? はとが豆鉄砲食らったみたいな顔してますよお嬢?」
「鳩が……って……あぁ、アンタがそんなまっとうなことを言うなんてね……って驚いたのよ」

  彼女達のカラオケパーティは、夜通し続く。朝焼けがカーテンを透き通り二人を照らすまで……

「いつの間にか朝ですねお嬢……」
「悪酔いし過ぎたかしら……完全に三日酔いよこれ。全くファンベルンの馬鹿の性だ!」

  朝焼けに目を細めながらセリスは、ファンベルンに愚痴るのだった。
  自分だって楽しそうだったじゃないか。
  ファンベルンは不服そうな表情をしながらも口にはしない。
  吐き気が今更になって襲ってきてそんなことを口にする余裕もなかったから。

「無限」∞エンジン  〜Ep1〜 Akt3 渇望エンジン 

「なぁ、お前……何で喋らねぇわけ? ひょっとして本当に喋れねぇの?」

  雑踏。
  猥雑に色々な物がひしめく。
  多くの人々の声が飛び交い実に賑やかだ。
  其処は、見覚えのあるようで一度も見たことの無い風景。
  目の前には、金の長髪の長身痩躯の粗野そうな男が立っている。
  何度も男は話しかけてくるのだ。路傍に捨てられた貧相な孤児に……
  少女は、自分の容姿に自信が有った。その精緻な人形のような容姿は多くの人々を捨てられるまで魅了したから。
  捨てられてからも多くの人々が、高く売れそうだと自分を捕獲しようと何度も来た。

  大方、今回の目の前の男も自分の容姿に魅入られて高価で売れると踏んだのだろう。
  白い肌は傷んでいて本来は綺麗なのだろう、水浅黄色の髪も縮れている。
  本来は、肌は真っ白で張りがあり髪は柔らかいロングストレートなのだろう。
  多くの男達がそうやって良い方に想像したくなるほどの美貌がそこにはあるのだから。
  “貴方には関係ないでしょう。私は喋れなくても良いのです”そう、窓に書き連ねる。
  紙も筆もないから冬の寒さで白んだ窓に。
  すると男は、彼女の細い体を強く抱え込んだ。

「なっ……!?」
「お前が、何で一人なのか俺は知っているのよ? そして、お前は永遠に不幸じゃないとけない訳じゃ無いんだよ?」

  不意に声が漏れる。
  その声は、当惑よりやっと抱き締めてくれる人が居たと言う喜びに満ちた声音だった。
  雑踏は何時も彼女だけを照らし出しているようで。いつも浮いていた。
  浮薄した彼女は、性欲に満ちた男たちの格好の的で。下賎なる者達は商品として見て、或いは化物として非難して居た。
  誰一人人としては見てくれず彼女が、人の温もりに飢えていたことなど気付いてもくれない。

  それが、エージェントと言う存在に生まれた宿命なのだと当の昔に諦めていた。
  優しかった両親も能力が暴走した日を境に見る目が変わったのを覚えている。
  当然だ。自分は、弟を殺した化物なのだから。そう、諦めれば何時だって慰めになった。
  自分が、世界で一番不幸だと思うと何か退廃的な気分で溜飲が下る。
  でも、彼女は知っていた。それは、一瞬の痛み止め。まやかしなのだと。

  男に抱擁された瞬間に気付く。あぁ、人の肌とはこんなに暖かかったのだ。
  涙が、滝のように流れるような気がした。目頭が熱い。その暑さ以上に体中が火照る。
  久し振りの温度。今は冬で心身に響き周囲の見る目は氷のように冷たい。
  そんな全ての寒さを吹飛ばすほどに暖かい男の体温。

「何……ですか? 卑怯ですよ……私は、今まで冷たくしかされて来なくて……
暖かくされた……時の反応が分りません! 何も分らないくせに何でそんなに全てを包み込むほどに暖かいのですか!?」

  男の言葉が反芻される。彼は、自分の不幸の発端を知っていてそれを抱かかえて幸せに出来ると。
  そう、解釈する。彼の態度には、優しい慈しむような手付きには無償のやさしさが溢れていて。
  その解釈が、彼の意思の真髄だと教えてくれる。
  涙が止らない。エージェント、それも最上位に位置するエージェントなど一般人からすれば化物でしかない。
  人は、化物の美貌には魅せられるくせに化物を女として見ることは出来ないらしい。

  それが、今迄の彼女経験則だ。だが、その考えは目の前の男の手によって壊された。浸食していく優しさに染まったいく。
  嗚咽しながら声を上げる。今迄の冷たさが辛すぎて彼の優しさが熱すぎて彼女は覚える猫の様だ。
  何もかもをを疑ったような口調で否定する。でも、目は否定出来ていない。
  少し優しさを振り翳されただけで是かと情け無い気分になる。
  目の前の男は一体なんなのだ。恐らくは自分に話しかける時点で闇商人か何かだろう。
  そう高をくくっていたが、言動も仕草も全く違うのだ。
  彼等にしては、情熱的で一般人にしては自分を人間として扱っている。何故だろう。
  逡巡している内に一つの解が浮かび上がる。彼も同族なのではないかと。

「それは、俺がお前と同じ境遇に有ったからだよ?」
「貴方は強いの?」

  矢張りそうか。唯それだけのことだ。だが、何故だろう。彼に会えた事がなぜかとても幸せに感じる。
  今まで同種に会った事は無いわけじゃない。しかし、自分の有する能力と比べれば皆が小さすぎた。
  会って来た全てのエージェントをいっぺんに相手しても彼女は一瞬で排除してしまうだろう。
  だから、彼女を支えてやれる物は居なかった。理解できる者は居なかったのだ。
  目の前の男はどうだろう。彼女は、親から捨てられて三年の間、殺戮を繰り返してきた。
  圧倒的過ぎる力の奔流の制御が出来なくて。
  
  目の前の男は、自分の攻撃を耐えれるものだろうか。そして、そんな不安定な自らを矯正できるものだろうか、と。
  それは、真に自分勝手な願い。全て他人任せ。彼任せな子供の発想。
  途端に彼女は恥ずかしくなって頬を赤らめ反省する。
  しかし、だからこそ問う必要があったのだ。彼の強さを。
  もし、彼の好意を仇で返してしまった時自分を処断して貰うために。
  当初の彼女は、彼の優しさを知らなかったからそんな後ろめたい考えばかりして居た。

「あははっ、安心したぜ! お前普通に喋れるんじゃねえかよ?」
「人の質問を……聞いて! ちゃんと答えてください!」

  全く、人の話を聞かないのか。カラカラと無邪気そうに笑いながら彼女が、言葉を発した事を喜ぶ男。
  彼女は、声を荒げる。それに対して悠然とした態度で男は、悪かったと小さく謝る。
  やっと、質問に答えてくれるのかと彼女はホッと胸を撫で下ろした。

「悪い悪い。そうだ。俺の名前か? 俺の名前はワルキューレ。ワルキューレ・ヴァズノーレンだ! 宜しくな」

  ワルキューレと名乗る銀の長髪の男。
  呆気にとられ彼女は、瞠目し失笑する。この男は人の話を本当に聞かない。
  だが、この掛け合いが何だか心地良いのだ。友達と言う奴みたいで。過去の家族のようで涙が出る。
  良く泣くなと、彼が言うが全くそのとおりだと彼女も思う。最も、こんな風に涙を流したのは久し振りの話だ。
  此処最近は、欠伸をした時でさえ流れない。笑みも零れないのだ。
  目の前の男に感謝こそすれ怒るなど言語道断ではないか。

「今回は嬉し泣きですよワルキューレさん? あぁ、私はノーヴァ・ヒュールンと申します! 自己紹介など久し振りですわ」
  
  一頻り笑ってから彼女は、自己紹介する。先程までより闊達で流暢な口調だ。
  最も、名前を名乗る所で声が上擦っているのだが。そんな所をワルキューレは見逃さず冷かしてくれる。
  デリカシーの無い人だなと満更でもない風情で指摘して一息つく。
  暖かい。太く逞しい腕。出来る事なら何時までも抱かれていたい。
  紳士淑女の常識として自己紹介したら挨拶するべきなのだが。もう、既に余程握手より親密な挨拶だろう。
  何しろ二人は抱き合っている。昼の雑踏の人の目など気にも留めず情熱的に。
  そう、脳内補完しノーヴァは息を吐く。吐息がくすぐったかったらしく彼は、変な声を上げる。

「何ですか? さっきの気持ち悪い声!?」
「るせぇ! 美人抱いてて私心抑えるのは男にとっては苦行なんだぜ!?」

  悪戯っぽい笑みでノーヴァは、呟く。それに対ワルキューレは、頬を染めて有りの侭を述べる。 
  彼女の美貌は、誰もが認める所だろう。
  美人と言う賞賛の声は、子供の頃から聞いてきた。だが、こんなに暖かく本心からの言葉は初めてだ。
  彼女は、氷塊の中に隠れた優しさが目の前の熱い男のせいでドンドン解けていくのを理解する。
  この男に会えたことを彼女は強く感謝した。
  もう、彼の強さなどどうでも良いと思えるほどに。 

「美人と言う言葉がこんなに響いたのは初めてです……」

  ノーヴァの何気ない一言。ワルキューレはそれを見逃しはしなかった。
  尚一層彼は、強く彼女を抱き寄せ耳元でささやく。

「当たり前さ。今までの奴等はお前を人間だと見てなかった。唯の人形だとしか思っていなかった。
だからこそだ。だからこそ……お前が力に目覚めた瞬間にお前への情愛を放り捨てたんだ」

  ワルキューレの言葉は的を射ていて、ノーヴァにとって身に覚えの有る事だった。
  誰もが自分を見ているようで見ていない。何か自分と言う人間ではなく自分の外観と言う機械的な物を表面的に捉えていた。
  第一印象という点では容姿と言うものも間違いなく大事だろう。
  しかし、今までの人生で彼女を見る存在は皆其処までしか見てくれなかった。
  そう、彼女が尋常ではない苛烈な力を有した怪物で有ることを彼女の街の人々は皆知っていたのだ。

  世界が全て汚く見えた。誰もが自分を人間として見てくれない。本来なら千変万化の虹色のような世界なのに。
  世界は、灰色だ。剥離している。唯、存在しているだけで彼女は、他の人々と同じ空間に居ないのだ。家族さえも。
  だから、彼女は世界に絶望して居た。耳を塞ぎ心を鎖し自分の考え付く限り最も綺麗な幻想に心を酔わせ。
  現実から目を逸らしていた。地獄だ。自分の思い描く最大幸福はいつだって世界から糾弾されている。
  
  何人の人間が、彼女に歩み寄ってきただろう。その美貌を利用しようと強大な力の歯牙に掛からぬように用心して。
  いつだって奴等の目は卑猥で身勝手で。エージェントと言う存在を否定している。
  初めてだ。こんな優しく接してくれる存在は。この人なら支えてくれる。
  寄り掛かりたい。一人で立っているのは疲れた。何時までもこうして居たいほどに。

「ずっと、こうしていて居て良いですか?」
「……あぁ、俺はそれを望んでいる」

  心の発露。声に出る何よりも輝かしい裏表の無い言葉。光に満ち溢れている。
  男は、ノーヴァの強すぎる光を更に強い圧倒的な光で包み込む。
  あの頃からだ。鮮烈な出会いだった。最初から自分は、あの男の虜で。
  体から滲み出る男の匂いが好きでだ。あの遠くを見詰めた強い眼差しに絆される。
  あの大きな手で撫でられるごとに心地良くて目を眇めた。
  恋をした。人生最大級の恋を。 
  今もまだ、十年経っても冷めることは無い。きっと、是から一生愛し続ける。
  絶対に愛し続ける。


「うっ……ん? 夢? ですか。分っているんです。師匠は、私のこと……」


  目を覚ます。
  カーテンを透かして陽光が降り注ぐ。白い肌をその光は、浮かび上がらせて暖かく包み込む。
  小さく呻き声を上げてノロノロと開眼する。細められた瞳には、ノーヴァとワルキューレとクロウの映った写真。
  余り写真写りは良くないが、三人で取った唯一の写真だ。
  クロウは、彼女の婚約者でワルキューレは彼女の最も尊敬する人。
  二人ともが大切な人だ。
  失うわけには行かない掛替えの無い二人。
  いつも目を覚ますと其処に居ると思いたいから目を覚ましたら、絶対直ぐに目にする場所にその写真をおいてある。

「クロウ? 師匠は?」
「……始末書書かないといけないそうですよ?」

  ノーヴァは、暫く優しい笑みを浮かべながら写真を眺めていた。
  そこにノックの音が響き渡る。二回叩いて一拍休む統一感のあるリズム。
  直ぐに分る。クロウだ。入って良いと指を鳴らす。丁寧な所作で扉が開かれた。
  そこには彼女の予想通り童顔で甘美なマスクの男、クロウ・ネヴィルが立っている。
  安堵に満ちた表情を浮べ彼女は、彼に気になっていた事を問う。
  いつもならワルキューレを呼寄せると早朝に騒ぎ立てられ夢の途中で目を覚ますのだ。
  今回はそれが無い。訝しむのは当然だろう。
  
  不思議がる彼女に対し彼は、深々と一礼して淡々と事実を述べる。
  彼は、彼女にとって執事のようにつき従う男で。
  彼女の質問に嘘を付く事は一切無い。その淡白な口調が嘘は無いと教える。
  唇に手を当て耽溺し、成程と理解して彼女は呟く。あの人が騒々しくしてくれないと何か物足りないのだと。
  夢見の悪い所で目を覚ますが、彼の騒がしさは自分にとって必要なものなのだ。
  そう、彼女自身が自覚しているのだとクロウは理解する。

「何で……あの男がそんなに良いのですか?」
「何もかもが好きなのよ……愛なんてそんなものでしょう?」

  しかし、心の底から込み上がってくる慟哭は抑え難い。
  ワルキューレに対して敵対心を強く燃やす彼は、このときばかりは抑揚に掛けた強い口調で指摘する。
  それに対して、怜悧な口調で彼女は訴えた。
  愛と言う物に理由があるのだろうかと。意趣返しのようなその言葉に思う所が有るのかクロウは押し黙る。

  そして、部屋の外に止めていた台車を運ぶ。台車の上には、紅茶の注がれたマグカップが二つ。
  毎日の日課だ。朝六時半に起きて二人でモーニングティ。それは、二人の親睦を深める朝の儀式だ。
  ノーヴァは、流麗な手付きでカップの取っ手を掴み自分の口元へとカップを寄せる。
  そして、カップを上下させながら匂いを愉しむ。
  一頻り愉しんだ後、口に紅茶を注ぐ。優しく心地良い香が口内を駆け巡る。雌伏の時間だ。
  それを喜々とした瞳で見詰めながら彼も紅茶を飲む。

「私の紅茶に対する熱愛も同じですね……」
「むしろ、狂愛……ね」

  そうして、彼は呟く。自分の紅茶に対する並々ならぬ執着は、常軌を逸していると彼自身が知っているのだろう。
  全ての紅茶は夫々僅かに違い、どんなに熟練しても全く同じ物は造れない。  
  故に彼は、常に紅茶に名を付ける。今回の紅茶は、正式名称はヴェルピアン。
  同じヴェルピアンでも蒸らし方などで全く違うものだ。彼は、それを知っている。
  だから、名を付けるのだ。今回は、「チャーリィ」と「サンテル」と言うらしい。
  それを聞くごとにノーヴァは、いつも笑う。熱烈ね、と。
  そんな彼の言葉に彼女は、何を考えるでもなく呟く。
 
「私達の愛は、普通の人から見たら偏りすぎていて狂っているように見えるわ」

  それを聞いて、全くその通りだと納得した風情で男は頷く。
  そして、彼は付け足す。

「そんな狂った愛こそが私とノーヴァ様を繋ぎとめているのですよ?」

  クロウの言葉にノーヴァは、本当にねと否定するわけでもなく笑いながら同意した。
  


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