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Re: 反逆的交響曲-Against Symphony ( No.2 )
日時: 2011/06/25 11:53
名前: 千臥 ◆g3Ntw.kZAQ (ID: .v5HPW.Z)

第一楽章-the first movement

第一小節[始まりはwehmutig]


声が、聞こえる。

聞き慣れた優しい声が自分の名前を呼ぶ。
「夕灯」
鼓膜を揺らすその声が、とても心地良く感じられた。
「夕灯、あなたは強い子よ。だから、私がいなくても大丈夫……」
あぁ、この声は、母のものだ。
優しさと少しの悲しみを含んだこの声は、父の話をする時の母の声と重なった。
“私がいなくても大丈夫”その言葉は夕灯を不安にさせる。
まるで、母が死んで消えてしまうかのような言い草。
「私の愛しい子、いつまでもあなたを……あなたとあなたの父さんを愛してるわ」
愛してる、母がよく自分と自分と父に向けて言う言葉。
愛情を感じさせる言葉。
だが、今ただ不安を煽るものでしかなかった。
“母さん”そう呼び掛けようにも喉が他人のものになったように自由に働かない。
「さようなら、夕灯。あなたの幸せをいつまでも願っているわ」

母の声が消えていくのと同時に自分の意識が浮かび上がってくる。
自分が眠っていたことに気付かされ、閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げた。
視界に映るのは真っ白な天井と窓から差し込む日光。

「……目ぇ覚めたか?」

母の声と入れ替わるように若い男の声が耳に入った。
声の聞こえた方へ視線を向けると、そこには白衣を着た、
恐らく医者と思われる人物が椅子に腰掛けこちらの様子を窺っていた。
天然パーマ気味の茶髪に、左目を覆う眼帯。
やる気の見えない気だるそうな右目。
「……片桐、さん?」
夕灯はこの若い男に見覚えがあった。
何時だったか、母がこの男と仲良さそうに話しているのを見たことがある。
確か、父との共通の友人だと言っていた。

名前は片桐 遙(カタギリ ハルカ)山岸記念病院の医師。
名前が女みたいだと言ったら、思いきり拳骨を喰らわされた覚えがある。

「なんで、俺……。病院なんかに……」
記憶の糸を辿るが、自分が病院のベッドに寝ていた原因は分からない。
「……何も、覚えていないのか?」
驚いたような表情の片桐に夕灯は首を傾げる。
「何を、覚えていないんですか?」
表情を曇らせた片桐は、溜息を一つ零した。
「お前……どこまで覚えてる?」
「どこまでって……学校終わって家に帰って……そしたら母さんが、床に……倒れてて、家が、燃え、て……っ」
記憶が混乱しているようだった。
途中から記憶に靄がかかって思い出せなくなる。
「いい、無理に思い出すな。……ショック性の記憶障害か……」
片桐は額に手を当て
「参ったな……」
と、そう小さく呟いた。
「俺は……なんでここにいるんですか? 母さんは、どうなったんですか……?」
少し落ち着きを取り戻した夕灯は、片桐を見つめ尋ねる。
あの自分が眠っている間に見た夢が、嫌な想像だけをさせる。

“私がいなくても”その言葉が頭の中で繰り返された。

「お前の、母親は……」
片桐は唇を噛み締め、
「今朝、焼けた家の中から……焼死体として、見つかった……」

絶望的な言葉。
その言葉が耳の奥で幾度となく木霊していた。





始 ま り は w e h m u t i g
(悲しみに満ちた世界の始まり)

wehmutig(ヴェーミューティヒ)
音楽的意味は[悲しみに満ちた、悲しげな]