ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ
- Re: 反逆的交響曲-Against Symphony ( No.3 )
- 日時: 2011/07/02 12:04
- 名前: 千臥 ◆g3Ntw.kZAQ (ID: .v5HPW.Z)
第二小節 [giulivamenteな黒猫は笑う]
耳を疑った。
「……今、なんて」
声が情けなく震えている。
焼死体? 誰が? 母さんが?
片桐は、悲しそうな、それでいてどこか悔しそうな顔をしていた。
下唇を噛み締めて、眉を寄せて。
「近所の住人が気づいた時には、もう火が広がってて……手遅れだったらしい」
呟くようなその声は、夕灯と同様に微かに震えていた。
この男が母の友人であることは知っていたが、こんな表情をするまで仲が良かったとは知らなかった。
片桐に、聞きたいことはたくさんある。
何故自分だけが助かったのか、とか、何故家が燃やされたのか、とか。
だが、今の片桐にそれらを尋ねるのがとても酷なことに思えて、夕灯は言葉を喉の奥に押し返した。
「……一番辛い筈のお前に、気ぃ遣われるなんてな。……明日、明日の朝また来る。悪ぃが、それまで待っててくれ……」
俯いたまま、そう告げると片桐は病室を後にした。
彼の姿が見えなくなると共に、胸の内に溜まっていた悲しみやら疑問やらが一気に溢れてきて、
「なんで俺は、肝心なこと……覚えてないんだよ……」
霧に覆われたような自分の記憶が酷く憎らしく思えた。
今の自分にはっきりと分かるのは“母が死んだ”という絶望的な事実だけ。
夕灯は頬を伝う冷たいモノを隠すように両腕で顔を覆った。
*
「くそっ……」
夕灯の病室から少し離れた非常階段。
壁にぶつけた拳。
鈍い音がその空間全体に響き渡った。
「一番辛ぇ身内のガキに……なに気ぃ遣われてんだ、俺は!!」
反響する声が片桐自身を責めているように感じる。
「“あいつ”が死んだのも……“俺達”のせいじゃねぇか……」
あの普段のやる気のない右目には深い後悔と憎悪が浮かんでいた。
「随分と、心内荒れ模様のようだね……遙」
声の聞こえた階段の踊り場には、黒髪の端整な顔立ちをした男が立っている。
白衣を着ていることから片桐と同じ医者という立場だと分かった。
切れ長の瞳が遙を捉え、優しげに細められる。
「九条か……。名前で呼ぶなって何度言ったら分かるんだテメェは」
いつもより幾らか弱っていると思われるその声に、九条 十(クジョウ ミツル)は小さく笑った。
「……なに笑ってやがる」
「ふふ……。いや、君が弱っているのを見るのは初めてでね。その様子を見ると、
あの親子とは随分仲が良かったみたいだね」
浮かべた笑みを崩さぬまま、十は遙の下へ歩みを進める。
「で、彼の容態はどうだった?」
「部分的な記憶障害が見られた……。恐らく、あの火事の現場で何らかの大きなショックを受けたんだろうな」
「そう……。そういえば、あの火事は事故的なものではないらしいね。犯人の顔とか、彼は見てないのかな?」
一層笑みを濃くした十に得体の知れない冷たいものを感じ、遙は一瞬身震いした。
今目の前にいる十は、自分の知っている九条 十とは別人なんじゃないかと思えてしまうほどの冷たい笑みがそこにあった。
「あ、あぁ。あの状態じゃ見ていない……もしくは覚えていないと思う」
「そう。僕も後で彼の様子でも見に行ってみようかな?
運ばれてきた時、随分と綺麗な顔立ちの子だったから印象に残ってるんだよ」
階段を上がっていく十は、時折くすくすと笑い声を残していく。
その様子は、いつもの彼と何変わらぬようで遙に多少の混乱を招いた。
だが、不思議とさっきまでの自分を追い詰める深い後悔と憎悪は、いつの間にか胸の内に収まっていて、
「……なんだか分かんねぇが……取り敢えず、これで明日はアイツの話、ちゃんと聞いてやれそうだな……」
既に姿が見えなくなった同僚に疑問と感謝の情を抱きながら、遙は非常階段を降りていった。
*
「どうやら、彼は君達のことについては覚えていないようだよ」
院内の屋上。
人気のないそこで十の声だけが静かに響く。
「うん……。軽いショック性の記憶障害、ってことになってる。でも、彼の記憶を操作したのは君でしょ?」
表情は相変わらずの笑顔で、
「後で、僕も彼の様子を見てくるよ。君は……いや、君達は随分心配性みたいだから」
くすくすと時折聞こえる笑い声は青空の内に消えていく。
「大丈夫。後は僕に任せてよ。また何か分かったら報告する。……じゃあね」
十は携帯をポケットにしまうと、大きな欠伸を一つ残して屋上を後にする。
「さて、じゃあ手始めに、彼の病室に行ってみようか」
新たな玩具を与えられた子供のような、楽しげな声がドアの閉まる無機質な音と重なって消されていった。
g i u l i v a m e n t e な 黒 猫 は 笑 う
(始まった物語《ストーリー》笑う黒猫は愉しげに)
giulivamente(ジュリーヴァメンテ)
音楽的意味は[楽しげ、快い]