ダーク・ファンタジー小説 ※倉庫ログ

Re: 不穏と孤独な芸術家 ( No.1 )
日時: 2011/05/22 16:54
名前: おりがみノート (ID: JC/wmrqc)

プロローグ



 少女はふと思い立った。

 あれはいつの事であったか。思い出そうとすると決まって妙な気怠さが心と身体を蝕んでしまう。だから時が経つにつれ、あの時の強烈な出来事は鮮明さを失い、やがて自らの中で記憶としての価値を下げていってしまった。

 しかしこの刹那——、数年の時を用いて不鮮明となった記憶が、秒針が一秒を刻むその刹那で、爆発したように掘り起こされた。少女は混乱する間もなく、記憶の波に意識を持っていかれた。・・・・・・。


 空は夜明けを迎えようとしていた。

 病院の一室。そこで今にも止まりそうな浅い呼吸を繰り返す全身傷だらけの女。先ほどまで10時間以上にも及ぶ大手術を受け、なんとか一命は取り留めた。しかし医師の顔に安堵の色はなかった。

 「お母さんとお話ししててね。何かあったらそこのボタンを押してね。」

 一生で最後の会話になるかもしれないよ、とは言わなかった。くりっとした大きな黒目が見透かすように、作り笑いを浮かべる看護士を見つめる。看護士は逃げるように病室から去っていった。

 病室で二人きりとなり、何秒か遠目でベットで眠る母親を見つめていたが、やがてさらさらとした栗色の頭を揺らしながら、母親の元へ歩み寄った。

 「おかあさん。」

 依然無表情で言う。会話を求め発せられたというより、幼稚園のお友達のネームプレートを見てその名前を呟いた、というような、まるで感情の籠っていない言い方だった。

 静寂が続いた。

 栗色の頭をした少女はパイプ椅子に座り、床から3センチほど浮いた足をぶらぶらと上下に揺らしていた。もうこのまま何も話さなくてもいい、少女はそう思っていた。しかし。

 「ああ・・・・・・。」

 ベットに眠る人物によって、その静寂は破られた。うめき声と共に、その目はゆっくりと開かれた。

 「終わる・・・・・・。」

 少女は瞬きをするのも忘れ、母親を見つめた。目は開かれたものの、その瞳は虚ろで、何も映していないように思えた。掠れた声で、三回「終わる」と呟いた。

 「おおきな、爆弾が・・・・・・。空に浮かんでいた・・・・・・。世界は、終わり。終わりよ・・・・・・。」

 勿論、少女にはなんの事だが分からない。母親は、寝てる間に見ていた夢を口に出しているのかもしれない。ヒューヒューと母親の呼吸が乱れていく。少女はいよいよ不安になってきた。しかし何故か、ナースコールをする気にはなれなかった。どうせ死んでしまうのなら、その瞬間を白衣を着た人間で群がらせるより、静寂に包まれていた方がいいと母なら思うだろう。それだけは少女にも分かった。

 「シゲル・・・。ああ・・・あの男は、あの男は許せない。・・・・・・ケイ。」

 自分の名前を呼ばれ、少女は思わず「なに?」と返事をしてしまった。しかしもう、母が言葉を発する事は永遠になくなった。心電図と心拍数は先ほどの忙しなさをなくし、そのかわり耳障りな一定の電子音が病室を包んだ。・・・・・・。


 少女は記憶の波から生還した。

 視界が一変し、ここが自分の現実だと自覚するのに随分と時間が掛かった。しかし現実に戻っても、先ほどの幼い頃の記憶の断片が、経験した事のない激しい動悸を誘う。全身が脈打ち、平静ではいられなかった。

 (言わなきゃ・・・。これを、言わなきゃ・・・。)

 恐らくこれも何かの定めなんだろう。

 思い出す宿命だったんだろう。

 きっと、あの二人のどちらかが、この謎を解いてくれる。

 孤独な芸術家に、救いの平穏をくれるだろう。

 少女は涙を拭い、立ち上がった。